限りなくエモーショナルなNSXリフレッシュ体験記

人生にはいくつか節目というか、出来事とそれに付随した時期があると思う。私のクルマ人生で最大のエポックが訪れたのは3年半前、正確に言うと1990年10月9日であった。
内外装オールブラックのNSX・シャシーNo.162が来てからの日々だ。翌日、2000kmの旅に出た。お土産は、比類なき高揚感と愛知県警の違反切符。覆面パトカーの警官いわく、「いいクルマですね。もう手に入ったのですか」。
昨年、そのNSXも3歳になろうとしていた。クルマは健康そのものであるが、世の定めである車検が迫っている。私の今までの車歴では、勉強の題材として次のクルマを考慮する時期だ。しかし、No.162は並のクルマではない。私の人生における夢の具現と言ってもおおげさではない。いつかリアルスポーツカーが欲しい。日本の自動車メーカーが私がクルマの運転を楽しめる歳に間に合わせてくれなかったら、輸入車へ行かざるをえないのか…と思っていたところ、間に合わせてくれたのがホンダであった。日本産業の興隆期、そしてホンダの創成期に、ともに口角泡を飛ばしてクルマを論じたホンダが造ってくれたのだ。
No.162の3歳の誕生日の2ヶ月後に、私も世の定めた風習である節目を迎えようとしていた。赤いチャンチャンコを着せられるのは嬉しくない。その代わりに、NSXを真紅に変身させよう。私のNSX信条は、オリジナルに保つということだ。変更する箇所は、メーカーが供給するもの、あるいは承認したものにとどめる。ホイールをガンメタに塗ったのも、ホンダがその色を追加することを知ったからだ。その後タイプRのホイール、メッシュ・エンジンカバーに変えたのも、ホンダ・アプルーブの部品だからだ。
いい塗装スペシャリストを探さねばならないかなと考えていたとき知ったのが、ホンダが計画していた『リフレッシュ・プラン』であった。NSXの生まれ故郷、栃木高根沢工場で実際の作業をするという。早速、本田技研研究所で開発の指揮をとった上原繁さんと工場技師の深沢永治さんを訪ね、計画の構想を聴いた。オールアルミ・ボディのNSXはロングライフカーである。手をかけてやれば、親子2代、いや孫の代まで伝承できるクルマだ。造った人々が、ふたたび手塩にかけて最高の状態に復元してくれる。メニューは、すでにスタートしていた新車の『カスタム・オーダー』という選択プランからも選べる。
私は、『リフレッシュ・プラン』の考えに賛同し、No.162を託することにした。メニューは、内外装リフレッシュのフルコース。外装色は、カタログに載っている赤。デザイナーは戦闘機F-16のキャノピーをイメージして、すべてのNSXのトップを黒にした。私も3年半、彼らの思い入れを尊重した。今度は我がままを許して欲しい。頭のてっぺんからロッカーパネルまで、真紅を指定した。感激したのは、チーフデザイナーの中野正人さんが、お祝いに素晴らしい赤いNSXのイメージ・スケッチを描いてくれたことだった。
ボディ、シート、内張りの一部、縫製糸まで赤くするので、まず部品をオーダー。揃ってから、いよいよ高根沢の『クリニック室』に入る。そこで3人のNSX生産のエクスパートの手で解体される。昨年10月28日、そのNSXを見に行った。いくつか印象に残ったことがある。配管、配線まで外したボディの錆びは当然のことながら、アルミに発生するという電蝕の痕跡もなく、ロングライフを納得させられる。NSXのギアシフトは、ケーブル操作とはとても思えない。世界ベストのひとつだが、入念なレバー取り付け部を見てこれもうなずいた。
夕方、台車の上で押されていく裸のNSXに生物に対するようなペイソスを感じたのは、私の思い入れだろうか。
1993年12月1日、シャシーNo.162にもうひとつのナンバーが付いた。リフレッシュ記録シリーズNo.3120101である。引き取りの日、ペイソスどころか、顔がゆるみっぱなしとなる。全身ウレタン塗装の深い光沢、落ち着いたインテリアの赤と黒の内張り、ステアリングホイール、シフト、ブレーキレバーの赤いステッチ。ちょっとヘッドルームが小さくなったのは、真新しいシートの張りのせいだろう。やがて馴染んでくる。リフレッシュ前に、内装が新しくなると、わずかに年輪を感じさせるのは、頻繁の使用でツルツルになったラジオのボタンだけですね、と冗談まじりに深沢さんに話した。そのボタンまで新しくなっている。地上高もわずかに上がっているが、これも同様に新しいダンパーのため。高根沢工場の吉村孝好さんは、「テストドライバーはよく回るエンジンと折り紙をつけた」と話してくれた。
以来、私は真っ赤なカスタム・オーダーの「新車」(リフレッシュカー)に乗っている。


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NSX Press vol.14は1994年8月発行です。