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先日、ニュルブルクリンクを全開で走るNSXのビデオを久しぶりに取り出して見た。ドライバーは黒沢元治氏である。 私は、このビデオがことのほか気に入っている。ドイツのシュバルツバルト、いわゆる黒い森を駆けぬけるNSXにはどこか詩情を感じるし、何よりもしばしのトリップができるからだ。 画面を見つめるうちに、いつのまにか私はNSXに乗っている。やがて、NSXと私は一体になり、森に溶けていく。気が付くと、いつのまにか瞑想状態になっていて、深く静かな呼吸をしているのだ。そして、故郷に帰ったような気分で、私は目覚める。目覚めは爽やかである。 ビデオを見終わって、デジャビューの感覚に襲われた。頭のどこかに、同じような感覚の記憶があるのだ。やがて、それは判明した。デジャビューではなく、本当の体験だったのである。 あれから15年はたっただろうか。スポーツドライビングの神髄に触れた鮮烈な経験がある。これは、私にとっては事件と言ってもよいものだった。記憶は、これであった。 当時、私は生粋のと言ったらへんだが、レーシングカーの設計を主な仕事としていた。主なと言ったのは、当時はとてもそれだけで生活できるほど、モータースポーツが盛んではなく、モータースポーツ雑誌に寄稿して、いくらかの生活費も稼いでいたからである。 そんな折、雑誌の取材も兼ねてフランス製の2シーター・スポーツレーシングカーに乗る機会に恵まれた。と言っても、本格的なレーシングカーをドライブする技量は持ち合わせるべくもなく、とってつけたようなシートベルトを締めて助手席で試乗したのだった。 クルマは、2リッターのV6エンジンを搭載する、アルピーヌA411であった。 このエンジンは、F2に搭載されチャンピオンエンジンとなった。また、後にルノーが作ることになるF1用のV6ターボエンジンの原型でもある。 ホンダのF1ターボエンジンも、V6であり、その原型は、F2エンジンにさかのぼる。’64〜’68年の第一次グランプリチャレンジから12年後、ホンダがようやく4輪レースにカムバックした最初は、F2であった。’80年のことだが、そのときラルトのシャシーに搭載されたのが、それだ。 このV6は、その後、かつてF2でホンダが連勝を続けたように連勝を続け、F2チャンピオンエンジンとなった。F1、F2の系譜を受け継ぐのが、NSXのV6である。 アルピーヌA411は、’75年のヨーロッパ・スポーツカー選手権のチャンピオンカーである。鋼管スペースフレームのシャシーは、現在のカーボンモノコックのF1のそれには比べるものもなく、当時としても剛性の低いものだったが、不思議なもので、実にしなやかに走るのである。 フレーム剛性の高さは、スポーツカーに限らず、クルマのハンドリングに絶対的な影響を持ってはいるが、しかし、単に高ければよしものではなく、バランスが大事なのだと、今から15年も前に教えられたのだった。 それはともかく、レースシーズンが終わった初冬のよく晴れたある日、富士スピードウェイでアルピーヌA411の試乗会が催された。助手席ではあったが、スポーツレーシングカーによる本格的なスポーツドライビングを味わう機会に恵まれたのだ。 このスポーツレーシングカーが出場していたのは、富士グランドチャンピオンシリーズと呼ばれるレースであった。 マーチ、ローラ、シェブロンといったイギリス製2シーター・スポーツレーシングカーが出場車のほとんどを占める中で、アルピーヌA411は、唯一のフランス製であった。申し添えれば、数少ない国産スポーツレーシングカーの1台を設計していたのが、この私である。 当時の私は、一体、レーシング・ドライバーという人種は、どのようなドライビングをする人種であるのか。また、そうした本格的なレーシングドライブでは、マシンに一体どのようなことが起きているのか。そうしたことを、ぜひ肌で知りたかった。 というのは、机上でいかに計算しても、サーキットでのテスト結果とは食い違うからだ。簡単な話が、計算ではアンダーステアとなるはずなのに、ドライバーはオーバーステアだと報告するといったようなことである。しかも、私を悩ませたのは、ドライバーが何を言っているのか、さっぱりわからないことであった。日本語なのだが、意味不明なのである。あいつらはよっぽど変わった人種なのだと、そういうことで済ませられないわけではないが、それではレースに勝てない。 それではと思い、乗用車に乗って自分でもハードに攻めてみた。だが、わかるようでいて、やはり不明な部分が多い。そこで、これはいかに机上で計算しようが、乗用車で攻めようがわかるものではない。とにかくレーシング・スピードでサーキットを攻めてみることが必要だという結論に達したのだ。 つまり、頭ではなく、からだで感じる必要があるという結論であった。 その日、快晴の富士スピードウェイのピットロードをアルピーヌA411は、いきなり全開で走りだした。ドライバーが私の顔を見て、笑っているようだった。知り合いのそのドライバーは、いつもはむずかしい技術論で講釈をしているこの私に、一泡吹かせてやろうと思っていたのだろう。 一方の私はというと、内緒でテープレコーダーを回していた。私は結構なレースおたくだった。実際に走っているレーシングカーのエキゾーストノートを、家でこっそり聞きたかったのだ。そんな録音テープを持っている仲間はいないはずだから、自慢にもなると、ひそかに決意していた。 |
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NSX Press vol.12 1993年8月発行 |