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RS125R 125ccクラス参戦

  • 1990
  • 1991
  • 1993
  • 1995
  • 1996
  • 1999
  • 2003
  • 2004
  • 2005
マシンの歩み
  • 1987年世界選手権デビュー
  • 1990年RS125Rを駆るロリス・カピロッシがチャンピオンを獲得
  • 1995年青木治親がRS125Rを駆り、日本人として初のライダータイトル獲得
  • 1996年青木治親がGP125を連覇
RS125R

131勝を挙げた市販ロードレーサー

世界選手権におけるHondaマシンの700勝。そのうちの約5分の1にも上る、131勝を挙げたマシンがあります。Hondaと世界選手権との歴史を語るうえで欠かせないそのマシンが、市販ロードレーサーRS125Rです。このマシンの最大の特徴はエンジンの位置です。エンジンの位置、すなわち重心位置を高く設定することで、スピードやエンジン回転をなるべく落とさないコーナーでの立ち上がりを実現。そのため前後に細長い、独特の車体フォルムが生まれました。それ以外にもさまざまなアイデアが詰まったRS125Rは、1987年に世界選手権に投入されました。ライダーには125tクラスで活躍していたエッチオ・ジアノーラ選手を起用。1987年は0勝で年間順位6位だったものの、2年目の挑戦となった1988年には2勝をマークしました。1989年は、開幕戦日本GPで23年ぶりに125tクラスが開催され、ジアノーラ選手が優勝。さらに、10位までをRS125Rユーザーが独占しました。この年は10勝を挙げて、メーカータイトルを奪取し、このマシンが確実に世界で戦えるようになってきたことを感じさせたのです。そして1990年はRS125Rを駆るロリス・カピロッシ選手がチャンピオンを獲得。RS125Rは14戦中11勝を挙げ、ランキングでは5位までを独占しました。このころになると、「GP125クラスはRSでないと勝てない」という風潮すら生まれていました。その後、RS125Rの活躍とともに、日本人ライダーが世界選手権で台頭し始め、1995年と1996年には青木治親が、日本人ライダーとして初めてチャンピオンに輝いたのです。2004年に実質的なマシン開発を、2005年にキットパーツ開発を終了するまで、RS125Rは125ccクラスでトップを走り続け、11年間でのべ6人のチャンピオンが誕生。9度のメーカーチャンピオンを獲得しました。

RS125R Spec

エンジン種類 2ストローク 単気筒エンジン
排気量 124cc
1995年 青木治親

1995年 青木治親