モータースポーツ > ロードレース世界選手権 > Honda World Grand Prix 700勝の軌跡 > NSR500
1980年代のWGPレースは、シーズンごとに高速化する傾向にありました。当時の主力マシンであったNS500は既にマシンとして完成の域に達し、パワーの限界が近づいていため、Hondaは時代に合う新たなマシンを必要としました。そこでHondaは、最高出力で有利となるV型4気筒のエンジンを搭載したNSR500を開発しました。1984年型のNSR500は、燃料タンクをエンジンの下、排気チャンバーをエンジンの上に配置する特異なレイアウト。これは、常に技術的挑戦を続けるHondaの意思の表れでしたが、マシンの性能は安定せず、思うような結果は残せませんでした。しかし、150馬力近くまで記録したエンジンは、当時トップレベルの出力を誇り、NSR500のポテンシャルを示唆していました。翌1985年、さらなる開発で車体性能を向上させたNSR500。シーズンをスタートさせると早速頭角を現し、12戦中8勝(フレディ・スペンサー選手:7勝、ランディ・マモラ選手:1勝)という圧倒的なスピードで、Hondaにライダーズタイトルとメーカータイトルの2冠をもたらします。その後も1987年と1989年にタイトルを獲得するなど、NSR500は、ランキング上位の常連となりました。しかしHondaはその現状に満足せず、150馬力を超えるハイパワーをコントロールし、確実にスピードにつなげられる扱いやすいマシンを目指し続けました。この挑戦が実を結んだのが1994年。ここからNSR500の前人未到の活躍が始まります。Hondaの新エースとして台頭していたミック・ドゥーハン選手とのコンビネーションで、14戦中9勝という圧倒的な成績でタイトルを獲得します。その後1999年まで一度も王座を譲ることなく、シーズン6連覇。1997年のタイトル獲得時は、15戦全勝(ドゥーハン選手:12勝、アレックス・クリビーレ選手:2勝、岡田忠之選手:1勝)という偉業も達成しました。2001年第1戦日本GPにおいて、バレンティーノ・ロッシ選手によってHondaはWGP500勝を挙げるなど、数々の記録を打ち立てて一時代を築いたNSR500でしたが、GP500クラスがMotoGPに名称を変えた2002年に、最後のシーズンを迎えることになります。WGPが4ストローク990cc200馬力のMotoGPマシンに移行する中で、さまざま改良がなされたNSR500は、500ccながら最高出力180馬力を実現。最高位2位となる健闘をみせましたが、この年から登場したHondaの次世代マシンであるRC211Vが圧倒的な強さでシーズンを制し、NSR500はエースマシンの座を譲ることになります。しかし、 19年という年月で、基本構成をほとんど変えずに10回の個人タイトル、9回のメーカータイトルに輝いた技術と思想は、RC211Vへしっかりと受け継がれました。
エンジン種類 | 水冷2ストローク V型4気筒ケースリードバルブ |
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排気量 | 499.27cc |
最高出力 | over 180PS/12,200rpm |
変速機 | 6段変速 |
重量 | over 130kg |
1998年 ミック・ドゥーハン