モータースポーツ > ロードレース世界選手権 > Honda World Grand Prix 700勝の軌跡 > 第2次隆盛期(1982年〜2001年)
1982年、Hondaは軽量コンパクトで高出力を誇る2ストロークエンジンを開発し、車体にはNR500での経験を反映した新型マシン「NS500」を投入しました。このNS500は、第7戦ベルギーGPでHondaにとって15年ぶりの勝利を挙げると、この年3勝をマーク。さらに、デビュー2年目の1983年には、フレディ・スペンサー選手とのコンビで6勝し、ダブルタイトルを獲得するなど、再び勝利を積み重ね始めます。
年々高速化の傾向にあったWGPの世界において、Hondaは「圧倒的な動力性能を秘めたマシン」を追求。パワーを生み出すのに有利なV型4気筒レイアウト採用したNSR500を開発しました。
1984年にデビューした初期型のNSR500は、エンジンの下に燃料タンク、上に排気管を配置するという独創的なレイアウト。出力は当時トップクラスの150馬力を誇ったものの、この独特のレイアウトによって燃料量によってハンドリングが大きく変化してしまうという問題が起こり、思うような成果を残せませんでした。そして翌1985年、HondaはNSR500の車体改善を図るとともに、250ccクラスへV型2気筒エンジンを搭載したRS250RWを投入。WGP史上初となるGP500クラスと250tクラスでのダブルタイトルを目指しました。この2台は、シーズン12戦でNSR500が8勝、RS250RWが9勝と大活躍。フレディ・スペンサー選手とHondaの2台は、2つのクラスで個人タイトルとメーカータイトルの2冠を達成するという、充実のシーズンを送りました。
その後も速さを示していたNSR500ですが、このマシンが持つ強大なパワーをコントロールして、いかに速さに繋げられるかという課題を解決すべく、開発を続行。その間も、1986年に3勝、1987年に7勝とコンスタントに勝利を挙げ続けます。
さらに、Hondaは1987年から、21年ぶりに125tクラスにも参戦。全日本選手権で活躍していたRS125Rを投入します。このRS125Rは、参戦初年度は勝利を挙げられなかったものの、年を追うごとに熟成が重ねられて世界で戦えるマシンへと変貌していきます。1988年に2勝をマークすると、1989年には6勝を挙げてメーカータイトルを獲得し、Hondaは1966年以来23年ぶりに全クラス制覇を達成。さらにRS125Rの進化は続き、1990年には14戦11勝、ライダーズランキング5位までをRS125Rユーザーが独占するなど、圧倒的な戦績で、“GP125はRSでないと勝てない”と言われるほどの存在感を放ちます。
WGP全クラス参戦によってHondaのWGP勝利数は飛躍的に増加していきます。1987年から1991年の5年間で積み重ねた勝利数は3クラス合わせて104勝。まさに黄金時代とも言える実績を残しましたが、これもその後に残す偉大な記録の第一歩に過ぎませんでした。
1992年、NSR500にトラクション性能を向上させた新型エンジンが導入され、それを駆るミック・ドゥーハン選手が開幕戦の日本GPで優勝。ハイパワーマシンのNSR500が、それまで苦手とされてきた雨のレースを克服しての勝利でした。この年、ドゥーハン選手とNSR500はシーズン5勝。1993年は、ドゥーハン選手のケガによる欠場が続き2勝という結果でしたが、進歩し続けるNSR500は170馬力を超える出力を記録しました。
そして迎えた1994年。Hondaが追い求めてきた扱いやすいハイパワーとそれを生かすマシン、そしてケガから復活したドゥーハン選手によって、シーズン14戦中9勝という圧倒的な成績で個人タイトルとメーカータイトルの2冠を達成。さらに、NSR500の快進撃は止まらず、1995年シーズンも9勝を挙げると、その翌年は15戦13勝。そして迎えた1997年には、15戦全勝という快挙を達成します。1998年も前年の勢いそのままに、開幕戦から連勝を続けたHonda勢は、第7戦まで優勝。22連勝という前人未到の大記録を樹立しました。ドゥーハン選手は、翌1999年の第3戦スペインGP予選の転倒負傷によってグランプリの第一線から退くことを決心し、通算54勝という輝かしい記録を残して引退しましたが、NSR500は、この年チャンピオンとなったアレックス・クリビーレ選手を中心として9勝を挙げ、6年連続で個人タイトルとメーカータイトルを獲得する栄光をHondaにもたらしました。
そして、この間のHondaの隆盛は、500tクラスに限ったものではありませんでした。125tクラスでは、RS125Rが1989年のメーカータイトル獲得を皮切りに、1995年まで7連覇。さらに1997〜2000年までメーカータイトルを4連覇し、12年間で106勝を挙げました。250tクラスでも、NSR250が再参戦を始めた1985年から2000年までの16年間で11度のメーカータイトルを獲得して119勝と、500ccクラスでの実績とそん色ない圧倒的な強さを誇りました。
そして、HondaはWGPでの通算勝利数を497として2001年の開幕戦を迎えます。その舞台は鈴鹿で行われた日本GP。HondaのホームGPと言えるこの大会で、125tクラス、250tクラスを連勝すると、500tクラスでもNSR500が勝利し、HondaはWGP通算500勝という金字塔を打ち立てます。こうして幕を開けたシーズンで、500tクラスで12勝、250tクラスで11勝、125tクラスで4勝を挙げ、全クラス制覇を達成。レギュレーション変更によって500tクラスの最終年となったシーズンを、最高の形で終えました。