モータースポーツ > ロードレース世界選手権 > Honda World Grand Prix 700勝の軌跡 > WGP全クラス制覇へ(1962年〜1966年)
1961年の好成績によって、Hondaの立場は、追う者から追われる者へと反転しました。そんな中、世界選手権ロードレース(以下WGP)では1962年から50ccクラスが新設され、クラスが5つに拡大。Hondaは活動の範囲を、500ccクラスを除いた4クラス(50t、125t、250t、350t)に広げ、GPで最大のチームとして、新たな挑戦を始めました。
新設の50ccクラスでは、ギアトレーン駆動のDOHC単気筒、RC110/111を開発して挑みましたが、2ストローク勢に苦戦してシーズン1勝。しかし、残りの3クラスでは、125tクラスで10勝、250tクラスで9勝、350tクラスで5勝とチャンピオンらしい強さを見せ、個人(125:タベリ、250:レッドマン、350:レッドマン)とメーカータイトルを獲得しました。なお、この年には鈴鹿サーキットが竣工。日本で初となる全面舗装されたサーキットの完成は、Hondaのモータースポーツに取り組む意志を、より強固にしたのです。
ところが、1963年からの3年間、Hondaにとって苦難の時期が続きます。それまでHondaの一強と言えた250ccクラスでは、最終戦までもつれ込む大接戦を演じ、10戦4勝でなんとか個人とメーカータイトルを獲得。350ccクラスは、RC172が8戦6勝を挙げて、両タイトルを獲得しましたが、50ccクラスは1勝、125tクラスでは3勝に終わり、タイトルを逃しました。1964年は125ccクラス7勝、350tクラス8勝で個人とメーカータイトルを、1965年は50ccクラス5勝と350ccクラス4勝で両タイトルをそれぞれ獲得するもそこまで。1960年にスズキが、1961年にはヤマハがWGPに参戦するようになるなど、ライバルが増加する中、すべてのタイトルを獲得し続けることは、容易ではありませんでした。
しかし、1966年からは、それまで4つにとどまっていた参戦クラスを、5クラスすべてに拡大。そして、そのすべてでのタイトル獲得を目標に掲げました。各クラスのマシンにはさまざまなアップデートを施し、シーズンがスタート。ライダーは50ccクラスと125ccクラスにルイジ・タベリ選手、250ccクラスと350ccクラスにマイク・ヘイルウッド選手、500ccクラスにジム・レッドマン選手を起用。マシンは50ccにRC115からさらにボアを拡大しショートストローク化したRC116、125ccにRC148をショートストローク化したRC149、250ccにRC165と熟成版のRC166、350ccにRC172を熟成したRC173、500ccにはボアストローク57×48mmの489.94cc、最高出力80馬力以上の4気筒RC181を投入しました。
途中、負傷したレッドマン選手に代わり、ヘイルウッド選手が500ccクラスにも参戦するなどのトラブルに見舞われながらも、全クラス合計37戦中29勝を挙げる圧倒的な戦績を収め、全クラスでコンストラクターズタイトルを獲得。豪雨の第7戦チェコスロバキアGPで、ヘイルウッド選手が3クラスすべてでベストラップを叩き出して優勝するなど、多くの印象的なレースを披露しました。同一メーカーがすべてのクラスを制覇するのは史上初。HondaはWGPの歴史にその名を刻んだのです。