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裕紀・貴晶・謙汰 頂点を目指せ!

Vol.7 中上貴晶・グランプリ復帰への道のり――後編

2012年シーズンにMoto2クラスへ参戦し、世界グランプリへの復帰を果たした中上貴晶の挑戦。今回はいよいよ、2度目の全日本時代からグランプリ復帰を実現するまでのシリーズ3回目です。

2008年と09年の2年間、世界選手権125ccクラスを戦った中上は、2010年から戦いの舞台をふたたび全日本選手権へと戻すことになりました。グランプリを戦った2年間の年間ランキングは、08年が24位、09年が16位、という厳しい結果でした。この当時の心境を中上はこんなふうに振り返ります。

「グランプリに残りたい気持ちはあったけど、正直なところ厳しいと言われていたし、それは自分でもわかっていました。肉体的に成長して125ccに限界を感じてもいたので、違うバイクに乗りたい気持ちも強く、いくつものチームと話をしました。最終的に、全日本選手権へ戻って、古巣のHARC-PROからST600クラスへ参戦することになりました。2ストロークマシンでずっと育ってきたので、4ストロークマシンは未知の部分がたくさんあって不安もあったのですが、現状を変えるには何かが必要だとも思っていたので、今から振り返ると、2ストロークから4ストロークへの変化はいいきっかけになったと思います」

筑波サーキットで行われた2010年全日本ロードレース選手権開幕戦で、5番グリッドからスタートの中上は、序盤からトップグループに食い込み、終盤は独走態勢を築いてトップでゴール。チェッカー後は、それまでの緊張が解けたのか、涙があふれて止まりませんでした。

「世界選手権帰りのライダーが全日本でどんな走りをするのか、という視線をレースウイークのあいだじゅう感じていました。初戦から絶対に勝つ、という気持ちで臨んでいたので、プレッシャーから解放されたことや、07年のスペイン選手権以来の表彰台だったうれしさもあって、感情がたかぶってしまいました。あそこまで泣いたのは……、自分の記憶でも他にはないかもしれないですね」

少し照れたような笑みをうかべながら、中上は2年前の出来事をそんなふうに振り返ります。

印象的な復帰初優勝を果たした中上は、翌11年にJ-GP2クラスへスイッチしました。ST600は量産市販車をベースにしたカテゴリーでマシンの改造範囲も狭く、タイヤも市販の溝つきのものを使用します。しかし、J-GP2の場合はMotoGPのMoto2により近いマシンを使用し、タイヤもレース専用のスリックタイヤで争われます。世界選手権に直結したこのクラスで戦うことを決めた10年末に、中上はチャンピオンを取って世界へ戻ろうと固く決意した、と語ります。

「ブッチギリの全戦全勝ポールトゥウイン、くらいの結果を出して、以前の自分からは変わった、というところを見せつけないと、グランプリの世界に戻ることはできない、と思っていました。だから、『中上貴晶は、もう全日本をもう走るな』と言われるほどのずば抜けた成績を残して世界へ復帰しようと決意し、ただそれだけを考えてシーズンを戦っていました」

この年は、東日本大震災の影響でレースカレンダーにも若干の変更が加えられましたが、中上は開幕戦から快調に勝利を続け、4回のレースを終えて全戦で優勝。グランプリ復帰の目標に向けて着実に前進をしていました。そして、そこに幸運が訪れます。秋のMotoGP日本GPのMoto2クラスで、欠場する選手の代役として参戦するチャンスが巡ってきたのです。

「ワイルドカードで参戦する方向を模索していたのですが、どうやら難しそうだということになってあきらめかけていたところへ、イタルトランスレーシングチームの選手が来日しないという話を聞いて、チームマネージャーに掛け合って代役参戦のチャンスを手にすることができました。ここが正念場だと自分でも思ったし、少しでも光った走りを披露して『こいつは何かを持っているぞ』と感じさせないといけない、と気合が入り、久々に興奮していましたね」

金曜日の初日はトップから0.951秒差の13番手、土曜の予選でもレギュラー勢に混じって一歩も引かない走りで決勝レースの高パフォーマンスを期待させましたが、日曜日の午前中にアクシデントが発生します。ウォームアップ走行中にマシントラブルが原因で転倒し、肩甲骨を骨折してしまったのです。午後の決勝レースは当然ながら欠場を余儀なくされ、さらに悪いことには、翌週に控えていた全日本選手権も不参加となってしまいました。

「日本GPの朝のウォームアップで転倒したとき、起き上がった瞬間に骨折したことがわかりました。決勝レースに出られないことはもちろん、翌週の全日本も無理だと即座にわかったので、『何をやってんだろう……』とすごく落胆しました。欠場した岡山国際サーキットのレースはすごく複雑な気持ちで見ていて、ランキングで逆転されて点差も開いてしまったので『残り1戦でこの差は、普通なら無理だよな……』とも思いました。最終戦の鈴鹿でも骨折は完治していなかったのでかなり厳しい状況でしたが、かえって精神的にはラクで、いつもと違った気持ちでレースに臨むことができました」

鎮痛剤を服用して臨んだこの最終戦で、ポールポジションからスタートした中上はトップでチェッカーを受け、ランキングで再度逆転してトップに返り咲き、出走したレースですべて優勝を飾るという成績で2011年のJ-GP2クラスチャンピオンを獲得したのでした。

「5年間でたくさんのことを経験しながら結果に結びつけられないでいたので、このチャンピオン獲得は、最後に逆転したこともプラスされて、今までレースをしてきた中で一番うれしい一日でした。レースをやっててホントによかった、と思ったし、喜んでくれる周囲の方々の笑顔もとても心に染みたので、この日のことは本当に忘れられないですね」

そして、この全日本最終戦からほどなくして、12年のMoto2フル参戦が決定しました。

日本GPの決勝レースこそ負傷で逃したものの、予選までの高パフォーマンスがイタルトランスレーシングチームから好評価を受けたのです。自ら誓ったグランプリへの復帰を果たした中上は、本格的な戦いに向けて再びスタートを切りました。

Moto2クラスを戦う12年の中上は、第5戦を6位で終えましたが、第6戦のイギリスGPでは苦戦を強いられました。初めて経験するシルバーストーン・サーキットで、初日からセッティングの積み上げに悩み、悪天候にも翻ろうされて予選は17番手。決勝日に向けてさらに大きな変更を施してレースに臨みましたが、結果は19位、という不本意なものでした。

「決勝で走ったときの状態が一番よかったのですが、いいところもある半面、朝のウォームアップで変えた部分の問題を詰めきることができませんでした。初日からいい位置につけていないとあとあと苦しくなるのは当然で、その意味ではいい勉強にもなったし、1つ経験を重ねることでスキルアップにもなったと思うので、悔しいけれども前向きに捉えたいと思います。次のアッセンは125cc時代からよく知っているコースなので、初日から上位タイムで好位置につけるようにしたいと思います」

数々の悔しい経験をばねに、中上は成長を遂げてきました。今回の失敗も、今後のさらなる成長にとって必ずや糧になることでしょう。世界最高峰の戦いは一筋縄ではいきません。紆余曲折を乗り越えながら、中上貴晶は確実に前を見すえて挑戦を続けています。


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