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裕紀・貴晶・謙汰 頂点を目指せ!

Vol.6 中上貴晶・グランプリ復帰への道のり――中編

2012年シーズンにMoto2クラスへ参戦し、世界グランプリへの復帰を果たした中上貴晶は、ここに至るまで、同世代の平均以上に紆余曲折を経験してきたといえるでしょう。彼の歩んできた道のりを大まかに振り返るシリーズの2回目です。

2年間のMotoGPアカデミーを経て、中上貴晶は2008年に16歳でMotoGPの125ccクラス参戦を果たします。所属先は、イタリア系のI.C.Team。開幕戦のカタールGPはポイント圏外の19位。第2戦スペインGPは、アカデミーに参加していたスペイン選手権時代に走り慣れたコースということもあって、15位に入って1ポイントを獲得しました。しかし、全世界17戦を転戦するグランプリは初体験のコースが連続し、さらに乗り慣れたHondaとは異なる特性のマシンに順応する必要性など、何から何まで初もの尽くしの環境で、この年はわずか3戦の入賞で12ポイントを獲得するにとどまり、年間ランキングを24位で終えました。

125cc二年目の翌2009年も同じチームから参戦(スポンサー等の関係により、チーム名称は“Ongetta Team I.S.P.A”)。この年はフランスGPとイギリスGPで5位に入るなど、前年よりも習熟したところを見せましたが、シーズン全17戦を終えてみると、総合ランキングは自分の目標からほど遠い16位というものでした。

無我夢中で過ぎたこの2年間を、中上は以下のように振り返ります。

「目標にしていたWGPには参戦できたのですが、一年目は初めてのバイクで知らないサーキットばかりが続き、トラブルに見舞われたり転倒でケガをしてしまったり、とリズムが一向によくならないまま、あっという間に終わってしまった印象です。2年目になると少し慣れてうまくいくときもあったものの、あいかわらず悪いときもあって、かなり波が激しい年でした。全体的には、かなり苦労をした2年間でしたね」

14歳でMotoGPアカデミーに参加し、16歳と17歳という若さで世界への挑戦を実現した中上でしたが、この2年間は同時に世界の層の厚さと壁の高さを、身をもって知った期間でもありました。ある意味では、生まれて初めて経験する大きな挫折の時期だったともいえるでしょう。しかし、このつらく悔しいことばかりが続く経験からは、多くのものを得ることもできたようです。

「まず実感したのは、気持ちの面が大きく違っていた、ということでした」と中上は言います。「いま思うと、自分にはどん欲さが足りなかったのだと思います。シーズン中は自分なりに一生懸命走っていたし、出口を探って光を探しながら走っていましたが、今から振り返ると、気持ちの面でトップ勢やヨーロッパライダーに大きく負けていたように思います。これは、レースをするうえで一番致命的なことでしたね。

技術的な面では、今までずっとHondaのバイクに親しんできた自分が初めて他社製のバイクに乗って、『こんなバイクもあるんだ』と知ったことは大きな衝撃でした。ヨーロッパのコースや路面状況などもたくさん吸収して、走り方も学び、毎戦苦しみながら不本意な結果ばかりが続きましたが、でも、それらの経験はまちがいなく今の自分にプラスになっているので、125ccクラス時代の2年間は決してムダじゃなかったと思います」

そして、この時期の苦労や自分自身について、中上はこうも話します。

「あの当時、多くの人からああしなきゃいけない、こうするべきだ、とさまざまなアドバイスをもらましたが、頭では理解したつもりでも、心の底からわかっていなかったような気もします。自分で気付かなければダメ、ということなんでしょうね。人に言われてやろうと思っても、それまでの自分のスタイルがあるからいきなり180度変えることはできないし、リザルトがすべての世界だから結果が出ないと自信も失う。これでよかったのかな……、というマイナス思考にどんどんハマっていった難しい時期でした。

14歳でスペインにわたって言葉の壁にぶつかるところから始まった四年間でしたが、でも、そういう壁や挫折を経験したから、今の自分があるのだと思います。早いうちから海外でいろんなことを経験できたので、この生活で人間的な面でもライダーとしての技術でも、かなりアップしましたね」

今から振り返れば学ぶことの多かった2年間とはいえ、グランプリの世界で3年目に生き残るためのシートは見いだせませんでした。中上は、必ずここに戻ってくる、と捲土重来を期していったん全日本へ戦いの舞台を移すことを決意します。

さて、話題を2012年第5戦カタルニアGPに戻しましょう。

路面、気温とも高温のコンディションになった金曜と土曜のセッションでは、思うようなリアのグリップを得ることができず、中上は4列目12番グリッドから決勝を迎えることになりました。

土曜の予選後にタイヤの空気圧を少しだけ下げるようアドバイスを得て決勝に臨んだ中上ですが、レース序盤は相変わらずグリップ不足に苦しみました。それでも丁寧なスロットル操作で無理をせず、集団の中で走行を続けました。その後、ブレーキングのアドバンテージを生かして1台ずつ確実にオーバーテイクしていき、最終ラップでは5番手を走る選手を0.6秒差にまで捕らえます。

「最終ラップでは、このまま順位キープに徹しても6位だけど、何もせずに終わるか最後まであきらめずにやってみるかで全然違う、と思ったのでバックストレートエンドで勝負を仕掛けました。成功せずに結局6位で終わったけれど、今日のレース内容は今年1番だったと思います」

ピットに戻ってきた中上は、やるだけのことはやった、という満足感から来る笑みをうかべていました。

「もっともっと勉強して、自分もマルケスたちトップがいる集団の中で一刻も早く争えるようになりたい。少しでも早く表彰台に上がりたいし、勝ちたい。表彰台記者会見に早く行きたいんです(笑)」

観客の前でトロフィーを掲げる中上の姿を目にすることのできる日は、そう遠くないところまで近づいているにちがいありません。


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