BACK

123

NEXT

ストーナーの引退

ペドロサがこれから目指していこうとする「二輪ロードレース最高峰の頂」だが、過去2回にわたってこれを極め、いま自ら去っていこうというライダーもいる。ケーシー・ストーナーだ。
シーズン序盤は万全の状態とはいい難いマシンを巧みに駆ってロレンソとし烈なトップ争いを展開。第12戦から第14戦までは負傷により欠場を余儀なくされたものの、オーストラリアGPでは母国グランプリ6連覇を達成し、最終戦バレンシアGPでも3位表彰台を獲得した。年齢だってまだまだ若い。関係者も「もったいない」と口をそろえる。

「自分の足で頂上から下りる」ということ

レーシングライダーのキャリアを「山」に例えたとしよう。MotoGPという「世界最高峰からの眺め」というのは、私も想像するよりないが、いつまでも眺めていたいほどすばらしいものであるに違いない。「最高峰の頂」ともなれば、なおさらだ。だが、山の頂上は狭いし、風も強い。そこに至る細く、急な登山道は、同じ思いを抱くクライマーでいつだって長蛇の列だ。世界を見下ろし続けるのは想像を絶するほどの困難がともなう。
こういった厳しい状況の中では、ライダー自身のテクニックがいかに優れていたとしても、それ以外のさまざまな要因によって後退を余儀なくされ、気がついたら頂ははるか高く、雲の中に隠れてしまっている……ということは、いつでも起こり得る。キャリアの最後に待ち受ける「世界最高峰」は、かくも厳しい場所なのだ。
頂点を極められるだけの力を持ちながらも、「自分はもっと戦えるのに……」と、煮えきらない思いを心に抱えたまま、表舞台から去っていくことになってしまったライダーは、過去に1人や2人ではなかった。

そんなことを、ストーナーは20年のキャリアの中ですでに悟ったのかもしれない。
だれかに引きずり下ろされるとか、強い風に行く手を阻まれるとか、外的な要因で山を下りるのではなく、「もう十分に風景を楽しんだ」とライダー自身で決め、自分の足で下りていこうというのだろう。
バレンティーノ・ロッシのように、尾根から見える景色が好きで、そこを歩きながら次の頂を探そうとする生き方とは違うが、どちらもライダーとして幸せな選択だろうと、私は思う。
──なにはともあれ、しばらくは釣りに精を出すというストーナーの第二の人生が幸多いものになることを祈るばかりだ。
個人的には、「MotoGPから引退するとは言ったけれど、バイクのレースをやめるとは一言も言っていない」と、スーパーバイク世界選手権あたりのパドックになに食わぬ顔で戻ってきてくれたらどんなによいことか、と思ってしまうのだが……。

二度と見られない「ライブ映像」

このストーナーというライダーの芸術的なライディングは、ストーナーの気が変わらない限り、これから先「ライブ映像」で見ることはできない。もはや、「記録映像」しか残っていないのである。
もし、今シーズンのMotoGPの録画が手元にあるという方は、ぜひこのオフシーズンにもう一度、2012年シーズンを最初から最後まで通しで見てみてほしい。

特筆すべきは彼の「ドリフト」だ。 2000年代初めに、RC211Vを駆るロッシがやっていたドリフト──当時の私もあれには相当に驚かされた口だが──それとはわけが違う。
通常のドリフトはフロントタイヤを軸にして、リアタイヤが横に移動していく。だから、カウンターステアを当てないとスピン、転倒となる。
ところが、ストーナーのそれは、あまりにもドリフトのスピードが高いために、フロントとリアが同時に横へと滑っていく。その状態で前後の荷重を微妙に──外から見ても分かるか、分からないか……というくらい、本当に微妙に──コントロールしながら向きを変えていく。「二輪版慣性ドリフト」ともいうべきもので、まるでF1における全盛期のミハエル・シューマッハを見ているようだった。

この原理も、バイクが「直立状態」ならばまだ理解もできる。だが、ストーナーは強烈なグリップ力を持つ、現代のMotoGPタイヤを装着したマシンで、60゚以上といわれるフルバンク状態のまま、これをやってのける。私も「バイク」という乗り物の運動のメカニズムには精通しているつもりであるが、こればかりは自分で再現する姿が想像できず、「不思議な走り」としか形容しようがない。
皆さんは、まさに「MotoGPの歴史の証人」である。ぜひ、彼の走りをリアルタイムで見ることができた幸せを感じながら、後世まで語り継いでほしいと思う。

BACK

123

NEXT