ケーシー・ストーナーがトップをひた走っていたヤマハのベン・スピーズをオーバーテイクし、わずかコンマ2秒差でトップチェッカーを受けるという、劇的な最終戦・最終ラップ・最終コーナーの攻防から早くも2ヶ月が過ぎようとしている。
今シーズンがケーシー・ストーナーによる「ライダーズタイトル」獲得、Hondaによる「コンストラクターズタイトル」獲得、レプソル・ホンダ・チームによる「チームタイトル」獲得という、Hondaのトリプルタイトル獲得という結果で幕を閉じたことはご存じの通りだろう。今回は2011年シーズンの締めくくりとして、5年に及ぶ「800cc時代」を振り返るとともに、来たる2012年シーズンに向けた展望などもお話ししてみたいと思う。


まず、今シーズンを、そして「800cc時代」を振り返る前に、このことに触れておきたい。今年の3/11に日本を襲った東日本大震災と、モータースポーツについてだ。
驚いたり、喜んだり、悔しがったり……モータースポーツは、見る人の気持ちを揺り動かしてくれるスポーツである。そして、このエキサイティングなスポーツをできるだけわかりやすく、そして楽しく伝えるというのが、私の役目だと思っている。開幕戦は特にそうだ。長いオフシーズンを過ごし、開幕を待ちわびるファンのためにも、テレビでは特に元気よく解説をすることを心がけてきた。
しかし今年は開幕戦の1週間前に震災が発生。特に被害の大きかった東北にはスポーツランドSUGOや仙台ハイランド、日光サーキットやエビスサーキットなどのサーキットがあり、熱心なモータースポーツファンも多い。伊藤真一選手をはじめ、私の友人も被災していた。……そんな皆さんのことを思うと、「この大変な時期に、レースには何ができるのだろうか」ということを深く考えさせられ、とても複雑な気分だった。
しかし、どうだろう。レースが始まってみれば、決勝では新たにHondaへ移籍してきたストーナーと、ディフェンディングチャンピオンのロレンソが……そしてワークスとサテライトという違いはあれど、同じ仕様のRC212Vを走らせるドヴィツィオーゾとシモンチェリがし烈なバトルを展開するなど、「これぞモータースポーツ」というすばらしいレースが展開された。多くのバイクには日本へのメッセージが掲載されており、ストーナーは「ガンバレ日本」という旗を持って表彰台に登壇してくれた。解説をしながら、私自身がモータースポーツによって元気づけられるのを感じ、このパワーをなんとかしてお伝えしていきたいと決意を新たにした。
あれからレースでいう1シーズンが経過した今でも、被災され、いまだ避難生活を余儀なくされている方も多い。そうした方々に心からお見舞いを申し上げるとともに、微力ながらこれからも、モータースポーツを通じて、一人でも多くの方に元気をお届けしていきたいと考えている。もし、この厳しい環境の中で、MotoGPのエキサイティングなレースに勇気づけられた、という方がいらっしゃったとしたら、MotoGP解説者としてこれに勝る幸せはないと感じている。

「800cc時代」とは、どんな時代だったのか

それでは、まず「800cc時代」を大きく振り返ってみよう。
F1における「マクラーレン・ホンダの時代」や、WGPの「ファスト・フレディ対キング・ケニーの時代」など……。モータースポーツファンが集えば、そんな「時代」の話題でひとしきり盛り上がることができる。ものごとがものすごい速さで移り変わる中でエポックメイキングなマシンが開発され、ライダーの走りが光り輝き、数多くのドラマと感動が生まれる。ファンはそれらを目撃できたことを誇りに思い、喜びを感じ、後々まで語り継いでいくわけだ。私が皆さんとともに目撃してきた「800cc時代」もまた、そんな「語り継がれる時代」であったと考えている。
2007年から2011年まで続いた「800cc時代」。それは、MotoGPが持つさまざまな顔──最新技術のショーケース、世界を巡る興行、そして世界最高のライダーたちによる「スポーツ」など──その中でも、最も人間的な「スポーツ」の面を浮き彫りにする時代だったと思う。

800cc時代をエキサイティングなものにした「ルール」

道具を使うスポーツには、道具に関するルールがある。陸上競技で「シューズであれば何を使ってもよい」ということではないだろうし、近年話題になったところでは、競泳の水着もそうだ。しかし、それを扱う選手の肉体的能力やテクニックは多くの場合互角であり、そのままでは横並びだ。そこで決められたルールの中で自分にあったものをつくり出し、それをうまく使いこなすことによって、自分だけがライバルにできないことを実現させようと考える。自身に高い目標を課し、修練に勤しみ、晴れの舞台でその結果を披露する。そこに「スポーツ」のおもしろさがあると言ってもいい。
そういった意味でMotoGPは、「800ccのエンジン」、「21Lのガソリン」そして2009年からの「ブリヂストンのワンメイクタイヤ」という「ルール」の中で、いかにライバルよりも優れたパフォーマンスを実現させるかという戦いだったわけだが、そのアプローチの仕方にメーカーやライダーの工夫が見て取れたことが、この時代を予測不能のエキサイティングなものにしていた要因のひとつであろう。

「コーナリングスピードの時代」の始まり

2007年より、いき過ぎたパワー競争を抑制するため、エンジンが990ccから800ccへとダウンサイジングされた。これが「800cc時代」の幕開けである。エンジンパワーを大きく左右する燃料の量も21Lと制限された。むやみやたらと馬力を出していては、完走さえおぼつかなくなってしまう。これにより、多くの人は最高出力が20%ほど低下して、その点では横並びになるだろうと考えていた。
そんな、本来なら横並びになるはずだった分野で、真っ先に印象的なアプローチを見せたのはドゥカティだった。ドゥカティのニューマシン、デスモセディチGP07が開幕前のテストから圧倒的なストレートスピードを誇り、日本勢を寄せつけないほどの速さを見せたのである。これには驚かされた。
そこにどんなノウハウがあったのかは、秘密の多いレーシングマシンのこと。詳しいことはわからない。しかし彼らは、エンジンパワーが低下すると予想されていた時代だからこそ、ライバルたちへの対抗策として「圧倒的なストレートスピード」に活路を見いだしていたのだ。Hondaのサテライトチームからドゥカティへと移籍したばかりだったストーナーは、圧倒的なパワーを誇るこのマシンを攻撃的に、しかし巧みに乗りこなし、最高峰クラス参戦2年目にしてチャンピオンを獲得することとなった。
対する日本勢。ドゥカティに対抗するためのエンジンパワーを手にするためにさまざまな改良を加えていくことになるが、前述の通り、それでようやく「横並び」となる。そうなれば、コーナリングスピードを高めていくしかない。ブレーキングポイントをこれまでより奥に、コーナーからの立ち上がりをこれまでより手前にすることでタイムを稼ぐという、非常に難しい走りが、ライダーには求められていくことになっていく。

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