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III.勝利の物語を紡ぐために定めた、果てしない目標

仮に、これから真っ白な紙に向かって、Honda勢を主人公にした「2011年のMotoGP」というひとつの物語をしたためていくということを考えてみよう。
プレシーズンテストというのは、物語に例えれば「最初の一行」のようなものだ。当然のことながら「Hondaの総合優勝」という結論を描くために書き始めるのだが、真っ白な紙には、まだ何も書かれていない。何を書いてもいい。
だが、思い描く結末にむけて、流れるように物語を紡いでいくことができるか、それとも途中で行き詰まり、投げ出したいほどのものにしてしまうか……これを決めるのもまた「最初の一行」の重要な役割である。

2009年、2010年と、Hondaはこの「最初の一行」をうまく書き出すことができなかった。「もっといい『書き出し』があった」というのは結果論でしかないが、事実としてHondaにとっていい結果をもたらしてはくれなかったのだ。

2009年──限界までマシンを追い込む姿勢が、裏目に出た

タイヤがワンメイク化され、必勝を期して臨んだ2009年のテスト。
その結果は散々なものだった。
新しいタイヤの特性を知るべく、限界ギリギリまで攻めていたペドロサが、2008年に引き続き、転倒。開幕戦まで響くほどのケガを負ってしまったのだ。開発のために用意していたメニューをこなせず、ケガのせいで思うように動かない身体でマシンのセットアップをすすめていくハメになった。
言うまでもないことだが、レーシングマシンはライダーが「誰よりも速く走る」ためのツールだ。つまり、誰よりも速く走れる状態でベストの性能を出せるようにしていかないと、意味がない。
なぜか?身体が治って動けるようになったときに、そこにあるのが「うまく動かないときのベストでしか力を発揮できないマシン」では、もはやライバルと戦うことなどできないからだ。改めてバイクを作り直していくほどの時間的余裕は、シーズン中にはない。ロッシ、ロレンソというヤマハ勢が次々に勝利を重ねていく中、Honda勢はペドロサが2勝、ドヴィツィオーゾが1勝という、望んだものからはほど遠い結果で09年を終えることになった。

2010年──ラップタイムよりも、開発メニューの完遂を

2010年のテストでは、レプソル・ホンダのピットボックスからタイミングモニターが消えた。「2009年の悪夢」を徹底的に分析した結果、ラップタイムよりも、集めるべきデータをきちんと集めて、シーズンインしてからのペースを重視しよう、という作戦に出たのだ。
ペドロサは、従来よりもパワーの出方が穏やかでありながら、それがラップタイムに繋がる出力特性に好意的なコメントを出し、ドヴィツィオーゾも昨シーズンまでのネガティブなポイントが払拭されたことに確かな手応えを感じていた。
開幕戦でドヴィツィオーゾが3位に入り、狙いは的中した……かのように思えたが、シーズンが進んでいくにつれて、ライダーたちの走りがマシンの進化を追い越してしまった。2009年とはまったく逆の原因で、「ライダーが思うようなペースで走れないマシン」になってしまったのだ。この年、HondaはRC212Vのフレームをシーズン途中でまったく新しく作り直すという「大手術」を敢行している。

いつまでたってもマシンが仕上がらない。シーズン後半こそ、その戦力は目に見えて向上してきたが、日本GPでのペドロサの転倒など、チャンピオンシップから遠ざかって行く厳しいシーズンだった。Hondaのそんな苦悩はプレシーズンテストに原因があったのではないだろうか。

2011年──「いや、まだまだ」

にこりともせずに「いや、まだまだ」と短く言い放ったHRCのチーム代表、中本修平さんの顔を見ながら思った。ならば、いったい何を以て「いいテストだった」と判断するのだろうか。全日本、8耐、WGP、そしてF1、久しぶりに現場に復帰したMotoGP……様々なモータースポーツに携わってきた中本さんが簡単にものごとを認めるはずがないとは思っていた。だが、はっきり言って少し面食らった。

過去2年間の苦しいテストの再現にならなければよいが、という心配は私の杞憂に終わり、2011年のプレシーズンテストにおけるHonda勢の速さはすばらしかった。明らかに、ペースが速い。
熟成極まったRC212Vと、それを操る6人のHonda勢ライダーは、初日から好タイムを連発。初日はストーナーが、二日目はペドロサが、三日目はシモンチェリが、それぞれトップタイムをマークした。先にも紹介した、ライダー同士の「ライバル関係」も絶妙に発揮された。ストーナーがコースインすれば、ペドロサもコースに入る。ペドロサがタイムを出せば、ストーナーもそれを上回るタイムを出してくる。こうしてお互いにラップタイムが上がっていくという相乗効果が、テストの段階で常に発揮されていた。
……だというのに、あの反応だ。我々に本心を隠しているというのではない。本当にそう思っている声だった。

確かに、テストでニュースになるのは「ベストタイム」だけ。仕上がりを判断し、マシンを開発する上での材料になるのだが、ライバルと同時にスタートして、10周後にHondaがトップで帰って来るかというと、そんな保証はどこにもない。だからこそ、2010年のテストでは、「敢えてベストタイムを追求しない」という作戦を採ったのだ。
事実、今年のタイムシートの一番上に輝くHondaライダーの名前のすぐ下には、常にディフェンディングチャンピオンであるホルヘ・ロレンソや注目株のベン・スピーズらの名前が常にちらついている。ケガが完治していないことからバレンティーノ・ロッシのペースが上がらないものの、ドゥカティ勢もマシンの熟成を進めて上位を伺っている。

では、中本さんが笑顔ではないまでも、一応納得の表情で「開幕に向けて、準備はできました」と、話してくれる「基準タイム」があるのだろうか?
私が立てた予想は、990cc時代に記録された「1分59秒台」というコースレコードだ。以来、更新されていないコースレコードを破る──それが、Honda陣営の考える「テスト成功」の基準になっているのではないか。

世界中の取材陣が、顔を見合わせた

分刻みでスケジュールが進むレースウィークと違い、テストはどちらかといえば時間的にはのんびりと進んでいく。
チームもセッション開始の直前になってから走行の準備を始めるし、私も含めて、プレスルームに出入りする連中も、わりと時間ぎりぎりになってやって来る。
バイクが走り始めるのを見計らって「それじゃ、そろそろコースを見に行ってみようか」と三々五々散っていく──これまではそれで十分だったし、今回のテストもずっとそうだった。
セパンサーキットにおけるテストの最終日の朝。この日もセッション開始直前のプレスルームに到着し、挨拶を交わしながら「そろそろピットを見に行ってみようか」と考えていた頃……陽炎の立つ静かなトラックに一台のマシンが躍り出た。
ストーナーだ。

やけに気が早い。
もう走り出してしまったのだから、今さらピットには出て行けない。仕方なくタイミングモニターでラップタイムの変化を見守ることにしたわけだが……2周目にして、2.00.122という驚くべきタイムが出た。
すでに前日のセパン自己ベストタイムを上回っている。

最終日なのだし、今日あたり、いよいよ中本さんが目標にしていたであろう59秒台に入れてくるのか?あの中本さんの顔にも、いくらか笑みが浮かぶのを見れば、「今年こそはHonda勢の勝利を」と願っていた私も、少しは気が軽くなる。まだセッションは始まったばかりだ。何周かのちに、すばらしいタイムが出ればいいのだが……そう考えていた。
だが、次にストーナーがコントロールラインを通過したときに記録されたラップタイムを見て、プレスルームの空気が一変した。
状況を見守っていた人々が顔を見合わせている。プレス連中も、メーカーのスタッフも……。
モニターに表示されたラップタイムは、1.59.665。走り出してわずか3周で、非公式とはいえコースレコードをたたき出してしまったのである。相当に、RC212Vのセッティングは詰まってきているし、ストーナーの仕上がりもよさそうだ。

セッション後にケーシーが話したことによれば、これでも「何カ所かミスをしてしまった」のだそうだ。私にも想像することが難しい領域である。
では、中本さんは?もはや返ってくる言葉は想像できていたが、やはりにこりともせずにこう言い放った。
「ケーシーも『ミスをしてしまったから』と言っていたが、あのラップタイムでは、まだ満足できない。58秒台後半は行くはずでしたからね」
なんということだ、中本さんは1分59秒台はおろか、さらにその先の1分58秒台さえも見据えていたのだ……。

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