今年のHondaは「レーシング」だ。
MotoGPのプレシーズンテストを訪れて、そう感じた。
もちろん、これまでのHondaがそうでなかったわけではない。
しかし、今年はピットの中に流れる空気までもが、明らかに違う。
この空気を感じたのはいったいいつぶりの事だろうか。ミック・ドゥーハン、アレックス・クリビーレ、岡田忠之という、そうそうたるメンバーがチームに在籍していたころか。それとも、革新的な5気筒エンジンを引っさげて「RC211V」がデビューした頃のことか。
一言で言えば「近寄りがたい」。だが、私のように長年レースに携わってきた人間にしてみると、「やはり、こうでなくては!」と、どこか心地よささえ感じる不思議な空気であり、走り出す前から「今年こそはチャンピオンを獲得できるかもしれない」と思わせる何かがあるのだ。
何がこの空気を生み出しているのか。テストの結果を追うことはもちろんだが、今年のHondaが「レーシング」だと感じる、その源を探ることもまた、私にとって今回のプレシーズンテスト、そして序盤戦のテーマになった。
今年は800cc V型4気筒エンジンを搭載した「RC212V」の最終年ということもあり、2010年後半モデルを徹底的に検証した上で細部にわたってリファインを行うと同時に、エンジンのトルクを効率よく路面に伝えるための画期的な「シームレスミッション」(開発に2年を要したこれは、「普通は思い浮かばない」という独創的な機構なのだという)や、減速時のエンジンブレーキを抑制する電子制御を徹底解析したことによるブレーキングスタビリティーの向上など、07年から10年までの集大成とも言うべき大幅なアップデートが加えられている。
だからといって、あれやこれやと付けたり外したりしているのではなく、持ち込むべきパーツを持ち込み、持ち込んだパーツを粛々とテストしている。彼らの動きには明らかに、マシン作りに対する「自信」がみなぎっている。800ccになって5年目、まだ一度も「チャンピオンマシン」になっていない「RC212V」の花道をつくるべく、これまでのレースで得られたデータを総動員させてマシンを作り上げてきたのだろうと感じさせるのだ。
「自分たちの作ったバイクが一番速い」と考えるのがレーシングマシンのエンジニアだとすれば、「同じバイクに乗ったら自分が一番速い」と思っている人種、それがレーシングライダーだ。相手がワールドチャンピオンだろうが、先輩であろうが「あいつになら負けても仕方がない」などと考えるライダーは一人もいない。事実、現役時代の私もそうだったし、いつの時代も、これこそがレースを面白くする最大のスパイスだろう、と思う。
レーシングライダーのそういった意識をうまくかき立てることで互いのポテンシャルを引き出す、今年のHondaのライダーラインアップはまさしく「絶妙」だと思わせる。
特に、ダニ・ペドロサを見ていると、今年からチームに加わったケーシー・ストーナーに対する「絶対に負けてなるものか」という想いが常に透けて見える。
これまでもペドロサのレースへの取り組み方は非常にストイックだったが、それにも増して強い緊張感が感じられるようになった。
このふたりは、数多くのトップライダーたちを育て上げてきたアルベルト・プーチのもとで研鑽を積んだ「プーチ門下生」同士であり、下位クラスのころから、常にライバルとして戦ってきた。今年はついに同じチームで同じマシンを使って戦うことになるのだから、それも頷ける。
一方、ストーナーにしてみれば、レプソル・ホンダは祖国の英雄、ミック・ドゥーハンも在籍した特別なチームに加わることができるとあって、オファーには二つ返事で応じたというし、とにかくモチベーションが高い。慣れ親しんだメカニックも一緒に移籍してきているので、マシンのセットアップなどの意思疎通もすでに完璧だ。
Honda勢は、このふたりを中心にして回っていくことは、間違いないだろう。
セパンサーキットのターン9──左ヘアピンへのエントリーから圧倒的なボトムスピードを保ち、ほとんど中腰になりながらコーナー出口ではマシンを素早いアクションで切り返す。そして右コーナーのターン10に飛び込んでいく、長身のライダー。多くのライダーがシートに身体を預けたままで体重移動を行っている中、ひときわ目立つライディングフォームだが、この区間における速さは、絶頂期のバレンティーノ・ロッシに匹敵するではないか──。私のストップウォッチには素晴らしい区間測定タイムがマークされていた。
いつも、ライダーの「仕上がり」をチェックするために使っているコーナーでマルコ・シモンチェリのこの走りを見たときに、レプソル・ホンダの3人目であるアンドレア・ドヴィツィオーゾの身体のことを思い出した。なにしろ、オフシーズンの間に、「他のスポーツを始めたのか」と思わせるほど見事に鍛え上げてきていたのだ。
ドヴィツィオーゾは、昨年結婚し第一子にも恵まれた。また、身の回りの全てを自分でこなさなくてはならない独身時代と違い、トレーニングに充てる時間が増えたというのも理由だろうと考えていたが、そのモチベーションになっているのは、きっとこのシモンチェリの存在だろう。
互いに「多くいるライバルの一人」という態度を崩しはしないが、二人はイタリアの先輩・後輩の関係。ドヴィツィオーゾにしてみれば早いところもう一勝を挙げて自らの速さを周囲に印象づけなくてはならないし、シモンチェリが目指すのは、2009年にドヴィツィオーゾが果たしたレプソル・ホンダへの「大抜擢」の再現だろう。この二人がコース上で散らす火花からも、目が離せない。
「ライディングで勝負」することを選んだライダーがいる。それが、青山博一だ。
実は、セパンサーキットで行われたプレシーズンテストには、二種類のマシンが用意されていた。大まかに説明すれば、昨年のアップデートの2つのタイプと言えるRC212Vだ。この二種類を、テストを通じてライダーに任せ、選ばせたのだ。
青山が選んだのは、彼自身が愛用していた「昨年の前期型のアップデートタイプ」のマシンだ。
モータースポーツは、「道具」あってこそのスポーツ。普通に考えれば、シーズン中のアップデートも頻繁に行われ、常に「最先端」であり続ける「新型」は魅力的に思えるはずだ。だが、自らのライディングスタイルに絶対の自信を持ち、それこそがライバルに打ち勝つための最大の武器であると考えるライダーにとって必要なのは、自分の身体にしっくりと馴染み、いつも同じ反応を示してくれる「信頼感」なのだ。マシンのアップデートが行われず、現状を維持することすら難しいマシンを操って、2009年に最後の250ccチャンピオンを獲得した青山だからこそできた選択なのではないか、と感じている。
マシンの開発よりも、「ライディングの開発」をして勝つ。「ライディングで勝負する」そう腹を決められるライダーは、きっと他のライダーにはない強さを見せてくれるはずだ。ぜひシーズンを通して見守っていきたい。
昨年から始まったMoto2クラスチャンピオンとしてMotoGPクラスに復帰したトニ・エリアスもまた青山と同様、昨年型をベースにしたRC212Vで今シーズンを戦う。
スペインではペドロサに勝るとも劣らない人気を誇り、06年のポルトガルGPではロッシに競り勝って優勝したこともあるエリアスは、まさに人気・実力ともに非常に優れたライダーだ。
青山にとっては、「ライディングで勝負する」ことの正しさを証明するためによきベンチマークとなるに違いない。「後半戦に向かって右肩上がりに成績が上がっていく」のもエリアスの特徴であり、マシンにも、レースにも慣れた青山と上位で争う姿も見られるのではないかと期待している。