長く厳しい戦いが続いた2010年は、第18戦バレンシアGPでシーズンの幕を閉じた。Repsol Honda Teamのダニ・ペドロサは、左肩鎖骨骨折という負傷を抱えながらも30周の長丁場を最後まで戦い抜いてチェッカー。ランキング2位で一年を終えた。アンドレア・ドヴィツィオーゾは最終戦を5位で終え、ランキング5位で今シーズンの幕を下ろした。そして、決勝レースの翌々日からは2011年に向けたテストが行われ、新たにRepsol Honda Teamに加わるケーシー・ストーナーも合流して精力的なメニュー消化に取り組んだ。選手たちそれぞれの最終戦と2010年シーズンの回顧、そして2011年への展望について、HRC総監督の山野一彦が語る。
「最終戦のHonda勢は、最上位がアンドレアの5位、という結果でした。ダニは3列目8番グリッドから、ケガが完ぺきに治らない状態でも好スタートを決めて2コーナー進入では2番手という好位置につけていたのですが、30周という長丁場のレースで徐々にトップから離されてしまいました。後半戦にめきめきと実力を上げてきたシモンチェリも最終戦ではいい走りを披露して、レース中盤以降はシモンチェリ、アンドレア、ダニという集団での争いになりました。年間ランキングでは、ダニは2位を死守し、アンドレアも最終戦は5位でしたが、シーズン後半はもてぎで2位、セパンでも2位、エストリルでは3位、と尻上がりに調子を上げてきました。本来ならば最終戦で表彰台を独占するか、少なくとも優勝をしたかったのですが、満足のいくような成績を残すことができませんでした。ただ、いくつかの課題を残しつつも、来季に向けて弾みになる締めくくりの一戦だったと思います」
−2010年シーズン全体としては、どんな一年でしたか?
「今年はHonda勢全体の底上げをターゲットにして、開幕戦のカタールからライバル勢に追いつけ追い越せという形で進んできました。シーズン序盤は苦しみながらも、第4戦のムジェロで勝つことができ、転倒してもケガはしない、という状態でしのいでしのいで後半まで争ってきました。ポイント差は依然として大きい中を皆で一致団結して進んできたところへ、もてぎでのダニの転倒。このケガがすべてを崩してしまったといっても過言ではないでしょう。なぜそういうことが起こってしまったのか、ということについては課題を抽出して解決をしましたが、結果的に非常に難しいシーズンになってしまいました。ライダーやチーム員を含めて、レースの厳しさと怖さを改めて認識した一年でした」
−今シーズンは、最上位がペドロサ選手のランキング2位で、チャンピオンを逃してしまいました。チャンピオンを取れない原因はどこにあったのでしょうか?
「ウィンタータイムの取り組み、2月のセパンテストの段階からハードのベース仕様を決めて徹底的にマシンに乗り込むことが、勝つためのセオリーだと私は思っています。その意味では、今年も残念ながらそこが完ぺきではなかったがゆえに開幕も不安定な結果になり、その後の戦いにも影響を及ぼしてしまいました。ウィンタータイムにしっかりと乗り込み、ベストラップに近いアベレージタイムをキープできる状態にしなければ、ライバル陣営の強豪ライダーたちを相手に互角以上に戦っていくのは非常に難しいですね。勝つことをターゲットにシーズンに挑みましたが、2008年や09年以上の厳しさを感じました」
−具体的には、どういった部分で厳しさを感じていたのですか?
「戦闘力という面で、他のメーカーやライダーたちの安定した走りと比較すると、我々は精一杯の状態でした。ライバル陣営ももちろん精一杯攻めているのでしょうが、彼らはマージンを持った状態での攻め、という印象がありました。一方、Honda勢はダニ、アンドレア、そしてサテライトチーム含めて全員がマージンのない状態でひたすら攻めていて、そこには絶対的なギャップがありました。マージンがないと、何かアクシデントがあった場合は即座に不利に反映されてしまうので、そういう意味ではギリギリの線で戦っていることを実感していた、というのが真相です」
−そのマージンのなさ、はどこからくるものなのでしょうか。
「マシンコントロールひとつ取り上げても、精一杯です。ライバル陣営に話を聞くと『余裕なんてないですよ』と言うかもしれないけれども、コース上やモニターで選手の走りを観察し、ライダーのコメントを見聞きしていると、Honda勢は安定して走るためにかなりのライディングスキルを要求されていたのは明らかです。そんな状況は我々特有なのかな、と自分自身では感じていました」