−サテライト勢では、マルコ・メランドリ選手がやや精彩を欠いているようにも見えるところが気になります。
「マルコは、エンジンキャラクターに対して苦戦していて、セッティングで合わせ込んでいるものの、どうしても彼のライディングに合わない側面が今も継続しています。担当スタッフから技術的なアドバイスも行っていて、最終的にはマルコのスキルでいいリザルトを残そうと一生懸命に努力をしてくれています。全力でがんばってくれる姿勢には感謝する一方で、最適なセッティングを見いだせないという意見を謙虚に受け入れながら、さらなるマシンの改善につなげていきたいと思います」
−チームメートのシモンチェリ選手は、全体的には上昇傾向にあるようですが、やはりある程度の波があるように見えます。
「確かに、各セッションを見ていると低迷しているセッションもあれば上位にくるセッションもあって、多少の頭打ち感はそこからも見て取れますね。彼とも、アラゴンのレース後に話をしたのですが、今年は学習の年と割りきって、どのような状況下でもゴールすることをまず第一目標に掲げています。何戦か転倒はありましたが、おおむね自分たちが立てたカリキュラムどおりに進んでいます。『マシンがこういう状態になったときはこういうライディングをしなければいけない』、あるいは『ライダーがこういうコメントをしているときはこういうセットアップをしなければいけない』というライダーやチームのスキルは、少しずつ向上していると思います。
ただ、彼も来年は勝ちに行くことを想定しているので、ここから先の5戦は、2011年がすでに始まっているつもりで、『学習はもう終わった。ここから先は勝利を目指すんだ』と考えながらレースウィークを進めていってほしい、と話をしています。次のもてぎは我々も豊富なデータを持っているので、その情報を随時参考にしながらレースに備えてほしいですね」
−脚を骨折したランディ・デ・ピュニエ選手はブルノで復活しましたが、その影響は未だにあるのでしょうか。
「本人曰く、ごくわずかながら痛みはまだ残っていて、『ここ一番で荷重をかけたいときにかけられないときがある』と話しています。日数が経過するにつれ確実に回復しているのですが、その後も転倒した際に、骨折箇所を痛めなくても多少は影響してしまうので、若干精彩を欠いているのかなという感は否めません。チームの話を聞いても、ケガをする前と現在を比べると、やはりある程度は身体をいたわる走りになってしまうところがあるようです。アラゴンからもてぎまでのインターバルでさらに身体のケアをしながら、シーズン中盤まで好成績を残せていたときの走りを早く取り戻してほしいと思います。『もてぎはHondaのホームGPなので好成績を残したい。トップ6を目指し、可能ならば表彰台も狙いたい』とランディも言っていたので、期待しています」
−負傷といえば、脊椎を骨折して欠場していた青山博一選手が、インディアナポリスGPからようやく復活してきました。
「青山君は負傷部位が部位なので、無理をしないでほしいと思っています。極端なことをいえば、本腰を入れるのは来年からでもいいんです。もちろんルーキーとはいえレースで勝ちを狙う気持ちは同じなのですが、次にケガをしたときの代償は大きい。チームもライダーもそこを考慮したうえで各セッションに向き合っていて、一番最後尾にいるような場合でも落ちついて取り組んでくれています。マシンの不安定さを解消することついては、必要なアイテムやセッティングについて、スタッフ経由で私からも提案をしています。ある意味では、今はケガをしている状態だからこそ、これらの提案を落ちついて受け入れながら、マシンとベストマッチする乗り方を探求しているところです。もてぎはMotoGPでは走ったことはないものの、母国GPなのでいつも以上に気合いが入るだろうし、インディアナポリスとミザノで受けたアドバイスをベースとしてもてぎへ乗り込んでくるので、今まで以上の成績が期待できると思っています」
−いよいよ今週末は日本GP。Honda陣営にとっては絶対に勝ちたい正念場のレースです。
「排気量が800ccになってからホームGPで勝ってないのは、本当に恥ずかしいかぎりです。今年は勝てる状況にあるので、余計なことは何も考えないで、とにかく勝つことだけを目標にレースに臨みます」
−勝算は?
「充分あります。インディアナポリス以降のダニを見てもらえばわかるとおり、大きな乱れは一切ありません。今までの我々の弱点はシーズン序盤になかなか仕様が決まらず、それをシーズン中盤まで引きずってしまう、という点にありました。実際に今年もそのような傾向だったのですが、当初4月に予定していた日本GPの開催がアイスランドの火山噴火の影響で秋になり、マシンの仕様が100%固まって、ライダーもそれに合わせた乗り方に習熟した状態でレースを迎えます。したがって、勝算はこの数年以上に大きい、と考えています。皆様の熱いご声援が、選手や我々にとって何よりの力になります。応援をよろしくお願いします」
−ところで、9月5日のサンマリノGPでは、富沢祥也氏がMoto2クラス決勝レース中のアクシデントにより逝去するという悲しく不幸な出来事がありました。山野総監督の富沢氏との思い出をお聞かせください。
「非常に残念な事故、としかいいようがありません。富沢選手はHRCのスタッフとも交流が深く、私自身も全日本選手権で手島雄介選手とともに戦っていたとき、隣同士のピットボックスになることがよくありました。富沢選手と手島選手は、偶然にもゼッケンが同じ48番だったことが印象的でした。彼が所属していたチームの方々とも親しくさせていただき、『今度からGPに行くことになったのでよろしくお願いします』と挨拶をしてくださったこともよく憶えています。
富沢選手は、年齢的に自分の子供といってもおかしくないくらいの年齢ですが、従来の日本人にはない天性のコミュニケーション能力を持っていて、誰からも好かれていました。我々のRepsol Honda Team内でも、スペインやオーストラリアやイタリア等々、国籍を問わずメカニックやスタッフたちは皆が富沢選手のファンでした。ライディングに関しても、年齢に似合わず攻めるときと引くときの強弱を心得ていて、『富沢選手はよく研究しながら走っているなあ』と誇らしい気持ちになりました。
富沢選手が亡くなったあと、お父さんと電話で話をした際には、『あのような形で亡くなったのはとても残念だけれども、世界中の人たちが見てくれる檜舞台でレースができたのは非常に幸せだった。祥也はHRCに入るのが夢だった。是非とも強いHondaにしてください』と言葉をかけていただきました。私も『我々は富沢選手と一緒に走っているつもりで、今後もレースを戦ってゆきます。近いうちに必ず彼から、HRCは強くなりましたね、と言ってもらえるような成績を残せるようにがんばります』と返答いたしました。
本当に辛く悲しい出来事でしたが、あまりくよくよしていると反対に怒られてしまいそうなので、『絶対に強いHondaを復活させてみせるから、見ておいて欲しい』という気持ちで前向きに戦っていこうと思います。
心から、富沢祥也選手のご冥福をお祈りいたします」