サーキットまでの道のりは、いかにも中欧の郊外らしい風景が続く。
■第10戦の舞台、ザクセンリンクサーキットは、ザクセン州ケムニッツの郊外にある。この一帯は旧東ドイツ領内で、ケムニッツも当時はカールマルクスシュタットという名称で呼ばれていた。本来の伝統ある市名に戻されたのは、東西統一後のことだ。この例にも明らかなように、ザクセンリンクはまさに現代史とともに歩んできたサーキット、ということができる。
そもそも最初に当地でレースが始まったのは、1927年。その10年後にザクセンリンクという名称が用いられるようになった。当初は公道でレースが行われており、1950年には日曜のレースに48万人もの観客が集まったという。東ドイツGPとして世界グランプリのカレンダーに組み込まれたのは1961年から。ちなみにこの年には、鈴鹿サーキットに名を残すエルンスト・デグナー選手が車のトランクに隠れて西ドイツへ亡命している。1973年、西側諸国選手に参戦許可がおりなくなったため、この年を限りに東ドイツGPとザクセンリンクサーキットはグランプリから姿を消すことになった。その後、1990年の東西ドイツ統合を経て、それまで別のサーキットで行われていたドイツGPの開催地として98年に復活を果たし、現在に至る。
■前段の地図にもあるように、このサーキットはメインストレートを挟んで、パドックが2つに分かれている。ピットビルディングのある側がパドック1。MotoGPクラスのトレーラーやタイヤサービステントなどは、こちらに設営されている。パドック2には各チームのホスピタリティ施設や、小排気量クラスのチームテント、選手たちのモーターホームなどなどを収容する。全体的にコンパクトなレイアウトに見えて、実は関係者一同がいつも両パドックを行ったり来たりするせわしないサーキットなのである。
■サーキット周辺は、のどかな田園地帯が広がる。ゲートから歩いて10分ほどのところには小さな村落もあるが、サーキット内の少し高い場所から周囲を眺めると、それらはむしろ全景の点描のような存在で、天気の良い日にはなだらかに起伏を続ける大地を遠望できる。そして、その風景のなかにぽつりぽつりと、濃い緑の葉をつけた樹々が思い出したように群生する。モミノキやクロマツの一種とおぼしき針葉樹類、カバノキなど、周囲に調和した中欧独特の植生が穏やかな風景によく溶け込んでいる。