2006年シーズン、全クラス中で最も注目されているライダーが、ダニ・ペドロサだろう。昨シーズン最終戦を終えた直後の11月、バレンシア・テストでレプソル・ホンダ・チームのワークスライダーとして初めてRC211Vを駆った瞬間から、ダニは世界中のファンや報道陣の期待を一身に集めてきた。開幕前のプレシーズンテストではトップタイムをマークするなど、非凡な才能の片鱗を見せることもたびたびで、早速「さすが、ダニはいい仕事をするな」と感心する声が聞こえてきた。
そして、3月26日の開幕戦。ダニのMotoGPデビュー戦をひと目見ようと地元スペインのヘレスサーキットに押し寄せた観客の数は、三日間の総計で24万1975人を数えた。
決勝レースは5番グリッドからのスタート。「サーキット中に溢れかえる観客全員が自分の名前を連呼する中で、20歳という若さでたどり着いた世界最高峰のレースのスタートを待つ胸中には特別な感慨が去来したのか?」と聞くと、「実はそんなものは何もなかった」とダニは振り返る。
「いつもと同じようにレースに精神を集中していたから、何も気にならなかった。プロフェッショナルだからね。でも、レースが終わって表彰台に上がったときはとても嬉しくて、チームスタッフやファンの喜んでいる姿をみると、感慨がこみ上げてきた。本当のことをいうと、実はちょっと残念だったんだ。途中からトップに追いついて勝ちが見えていたから。でも、あの状況であれ以上プッシュすることが不可能だったのもわかってはいるんだけど」
第二戦はさらに大きな期待が寄せられたが、結果は6位に終わった。
「スタートに失敗して、その後も先行車のオイルをかぶってしまったから、あれが精一杯の追い上げだった。でも、もっと上手く走れていたはずだと思うと、6位という結果には満足できないな」
そして、第四戦ではMotoGP4戦目にして初ポール・ポジションという快挙を達成した。
「でも、大事なのは決勝レースだから。ポールを取れるとは自分でも思っていなかったけど、明日はスタートを決めてトップグループにしっかりついていくよ」
これらの言葉の背後に見え隠れしているのは、老練で合理的な戦況分析と自分を客観視する冷静さだ。20歳の若者とは思えないこの内省と洞察力は、本人の本来的な資質に加え、その才能を見いだしたアルベルト・プーチの指導によるところも大きい。彼らが知り合ったきっかけは、プーチの主宰していた人材発掘プロジェクト、モビスター・アクティバ・カップだった。
経済的な事情からロードレースの道を諦めかけていた少年が、一縷の望みをかけてそこに応募したのは、偶然だったが、ペドロサ少年は数百人の子供たちの中から選出され、2000年のスペイン選手権を走るチャンスを手にした。そのシリーズをランキング4位で終えた彼は、早速翌年WGP125ccクラスを戦うことになる。プーチが監督を務めるチームから15歳で参戦した2001年にランキング8位、2002年は3位、そして2003年には125cc王座を獲得した。250ccクラスにステップアップした2004年は王座に就き、翌2005年も連覇。ふたりの歩んできたこの道のりを振り返ると、プーチとダニが、チーム監督と選手という間柄を越えた深く強い絆で結ばれていることは容易に想像がつく。しかし、ダニにその関係を尋ねてみても、「ちょっと言葉では言い表せないくらい特別なんだ」としか説明しない。
ならばと、質問の角度を変えて、プーチから学んだ最も大切なことを尋ねてみた。
「三つあるんだ。まず、"discipline(自制)"。そして、"loyalty(誠実であること)"、それから、もうひとつあるんだけど、英語でなんていえばいいんだろう。常に地に足をつけて生きること、どれほど成功したとしても決して自分を特別だと思わないこと、なんだけど…」
言わんとする意味に最も近いのは、おそらく"modesty(謙虚さ)"だろう。
ところで、現在のダニは生まれ育ったスペインを離れ、英国ロンドンに生活の拠点を置いている。転居して3年になるその都市を選んだ理由は「スペインじゃないから(笑)」と冗談めかして話す。実際、スペインでのダニ人気は過熱気味といってもいい状態に達している。ダニをフィーチャーしたポスターを街中で見かけるし、サーキットでは割れんばかりの歓声や絶叫が飛ぶ。ハリウッドの大スターも顔負けなのだ。バルセロナのあるレストランでダニと一緒に食事をしたあるライダーは、「見知らぬ一般客がいつの間にか自分たちの勘定を払ってくれていた」と笑いながら話す。"discipline(自制)""loyalty(誠実であること)""modesty(謙虚さ)"を信条とするダニにとって、今のスペインは生活環境としては適さないのだろう。
「スペインにいると常にファンの視線にさらされてしまうから、普通の生活ができないんだ。多くの人たちに追いかけ回されているうちに、本当の自分を見失ってしまって、まるで王様にでもなったように勘違いしてしまうかもしれない。でも、離れた場所で暮らすと誰もぼくのことなんて知らないから、ごく普通の生活ができる。それにロンドンは大都市だから、転戦するのにも便利だしね」
"マイ・ナンバー"26番に関する考え方にも、上記の三か条が大きく影響を与えている。
「今シーズン、26を選んだのは、最初にWGP125ccクラスに参戦したときに26をつけていたから。250ccクラスにステップアップしたときも、125ccクラスの初年度と同じようにそれを使った。それだけの理由さ。でも、この番号はラッキー・ナンバーでもないし、自分の一番好きな数字でもない。最近ではチャンピオンを獲っても1番をつけない選手は珍しくないし、前年度のランキングに関係なくずっと同じナンバーを選ぶ選手も多い。でも、そういうのは好きじゃないんだ。二年目からは、ランキング3位で終われば3番をつける。4位で終わったなら、次の年は4をつける。チャンピオンを獲ったときには、もちろん1番。それが僕のスタイルなんだ」
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