「もともと彼は、滑らせる技術は人とかけ離れて高いものを持っている。だから、マシンが滑りはじめても、何てことなくかわしてしまうのだけど、タイミングを作るために滑らせている場合は、それがタイムロスになってしまうんです。トップ集団に食らいついていても、コーナー進入での無駄なスライドが立ち上がりの挙動でミスを生むきっかけになって、やがて徐々に離されてしまう。でも、そこをアドバイスして以来、もう今はそんな走りはほとんどしていないですよね」
岡田は、今のニッキーに技術的な課題は何もない、としながらも「ただ、メンタル面では…」と若干の注文をつける。
「とにかく彼は、人のせいにしない。でも、テストをしていく上では、タイムが出なかったり、ハードウェアがダメだったり、そういうこともあるじゃないですか。そういうときに、ニッキーはつい、自分に責任があるんじゃないか、と考えてしまうんです」
この指摘は、他人に優しく責任感が強いニッキーの性格を、ある意味で非常によく言い当てている。実際に、ワークスライダーであることにプレッシャーを感じないか、とニッキーに尋ねると、意志の強そうな笑みとともにこんな答えが返ってきた。
「確かにみんなそう言ってくるよ。でも、自分ではプレッシャーを感じないようにしてる。ワークスライダーというのはいつだって最高の地位なんだから、むしろ、この状況を楽しんでいるんだ。みんなと共同で仕事を進めていくのはとても好きだし、完成度の高いバイクに仕上げていくことを、今はとても楽しんでるんだ」
他人には寛大で自分に厳しい。いつでもどこでも全力を尽くす。若さゆえ、つい力が入ってしまいがちなニッキーに、頼りになる兄貴分の岡田が助言を与えるという関係は、理想的といっていいだろう。
「何かうまくいかないときに、自分のせいにして悩んでしまうのがニッキーだけど、そういうときには僕に聞いてきますからね。そんなときに、『お前が悪いんじゃないから、気にしなくてもいいんだよ』と言うと、また笑顔が戻ってくる」
そう語る岡田の言葉の中に、ニッキーの天真爛漫で優しい性格が見え隠れしている。周囲を惹きつける才能と魅力的な性格、そして若さという武器を持ったニッキー・ヘイデンは、今までになかった全く新しいタイプのライダーなのかもしれない。
今、ニッキーは、HondaワークスチームのライダーとしてMotoGPを戦い続けていることに強烈な自負を感じている。
「少年時代のヒーローだったババ・ショバート(1985〜1987年のAMAグランドナショナルチャンピオンで、1988年にAMAスーパーバイクチャンピオンを獲得したのち、WGP500ccクラスにスイッチ) はHondaのライダーだったから、Hondaのマシンで走ることがずっと昔からの夢だったんだ。だから今、こうやってワークスチームにいることをとても名誉に思っている。仕事にもプライドをもって取り組み、いつもベストを尽くしているんだ。Hondaのライダーであることは、僕にとって本当に素晴らしいことなんだ」
ヒーロー、といえば、もうひとり、ニッキーが賞賛してやまないライダーがいる。ライダーといっても、こちらは自転車の選手、ランス・アームストロングだ。ニッキーと同じアメリカ人のアームストロングは、将来を嘱望されていた20代で癌に冒され、生存率20%と告知されるものの(後に本当の生存率は3%であったことが判明)、そこから不死鳥のように復活を遂げ、1999年から2005年まで、ツール・ド・フランス7連覇という前人未踏の偉業を達成した。
「そうなんだ!」
その話題に触れると、ニッキーはとたんに目を輝かせる。
「死の淵から生還してツールを7連覇するなんて、なんて言ったらいいのかわからない。あらゆる意味で、彼はヒーローなんだ。アスリートとしても、ひとりの人間としても、そう。彼の勝利に賭ける執念は本当に素晴らしいよ」
いつの日かニッキーにも、アームストロングのような偉業を達成する日が訪れるだろうか。今シーズンへ賭ける思いを尋ねると、熱い口調のままこう語った。
「夢はチャンピオン。とてもシンプルさ。絶対に可能だと信じているし、自分にはそれだけの能力があるとも思っている。必ず成し遂げてみせるさ」 |