HondaモータースポーツMotoGPHonda 若手ライダーの肖像
Honda 若手ライダーの肖像
vol.1「夢はチャンピオン。とてもシンプルなんだ」

 2006年、ニッキー・ヘイデンは今年もHondaワークスチームであるレプソル・ホンダ・チームでMotoGPシーズンを迎える。
 2002年AMAスーパーバイクシリーズ史上最年少チャンピオンという輝かしいキャリアを持つニッキーが、2003年にレプソル・ホンダ・チームに大抜擢されMotoGPデビューを飾ってから、はや三年が経過した。
「たくさんのことを学んで、今ではいろんなことがわかるようになったよ」
 ニッキーはこの三年間をそう振り返る。
「(MotoGPの)この世界の仕組みや、転戦するいろんな国のこと。もちろんバイクのこともね。でも、これで十分ということはないし、もっと経験を積んでいかなきゃならないといつも思っているんだ。精神的には、かなり鍛えられたと思うな。特に最初の一年は、今から思い返せば、かなり辛かった。ケンタッキーからひとりでこの世界に飛び込んできて、少しずつ馴染んで、そして去年、やっといい結果を出せるレベルになった。でも、今後もときには成績のアップダウンもあるかもしれない。そういう意味ではフラストレーションがたまることだってあるかもしれないけど、今ではそれも楽しみながら対処していけるようになったかな」
 上記の言葉にもある通り、MotoGPデビューから現在に至るまでのニッキーのキャリアは、けっして順風満帆ではなかった。
 
 
 デビューイヤーの2003年は、第13戦もてぎと第15戦フィリップアイランドで初表彰台に上がり、ルーキー・オブ・ザ・イヤーも獲得するなど早くも非凡な才能を見せて、年間総合ランキングで5位につけた。
 翌2004年はさらなる好成績が期待されたものの、表彰台に上がったのは第7戦リオと第8戦ザクセンリンクで共に3位表彰台を獲得した二回のみ。年間ランキングも8位に終わった。Hondaにとってもこの年は、コンストラクター・タイトルこそ死守したものの、ライダー・タイトルでのチャンピオンシップを逃すという辛く悔しい一年だった。
 彼本来の才能がようやく開花したのは、2005年に入ってからと言える。
 シーズン序盤から予選でも安定して上位につけていたニッキーだが、12年ぶりに地元アメリカで開催された第8戦ラグナセカで、ついにその才能が爆発した。
 金曜のフリープラクティスから誰も追いつけないほどの圧倒的な速さを披露し、予選でも当然のようにポール・ポジションを獲得。日曜の決勝レースは一周目から後続をあっという間に引き離して一度も前を譲ることなく、完璧なポール・トゥ・フィニッシュで記念すべきMotoGP初優勝を飾った。
 ウィニング・ランで父アールをタンデムしてコースを一周する微笑ましくも感動的な姿は、昨シーズンの全グランプリ中でも、ハイライトシーンのひとつといっていいだろう。
「まるでおとぎ話のようだよ。家族には本当に感謝してるんだ。両親は僕たちのために本当にいろんなものを犠牲にしたんだ。僕たちのレースに金を注ぎ込むあまり、天井から雨漏りしていたこともあったな。誰にでも一生に一度は至福の瞬間が巡ってくるものだけど、本当に最高だったよ」
 優勝後に上気した表情でそう語ったニッキーは、このレース以後、着実に自信を深めてコンスタントに上位チェッカーを受けるようになった。そして、シーズン終盤戦になると、四戦連続表彰台を達成、年間ランキングも三位という好成績で一年を締めくくった。
 
 
 このニッキーの成長を最も近くで見てきた人物のひとりが岡田忠之だ。岡田はWGP500ccクラスで活躍した1996年から2000年の間に、日本人ライダーとしては史上最多勝利である通算4勝を上げ、2001年にシリーズ戦からは引退した。ニッキーにとってはHondaワークスチームの先輩にあたる人物である。
 ニッキーがMotoGPにデビューした2003年、岡田はすでに現役を退き、レプソル・ホンダ・チームの助監督として、まだ二十歳そこそこのアメリカ人青年の成長を見守った。その後、イギリススーパーバイク選手権の監督を務めた岡田は、今年はHRCのテストライダーという役割に就いている。役割は、自分たちの手で開発したマシンをニッキーに手渡すことだ。今年のプレシーズンテストでも、チームに合流した岡田が陰に日向にニッキーを手助けする姿は何度も見受けられた。
「ニッキーは精神的に大きくなったな、と感じます。マシンをセッティングする上での発言や、方向性を決める判断力。そういうところを見ていると、成長したな、と思いましたね」
 技術的にも進歩した、と岡田は言う。MotoGPの世界へやってきた当初、アメリカンダートトラック出身のニッキーは、派手にリアをスライドさせるライディングスタイルで人気を集めていた。しかし、岡田はむしろしっかりとグリップさせて走るスタイルに変更するようにと指導を続けた。

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