Talk about RC211V
2004年
一カ所だけを尖らせても速くはならない。
エンジンを起点として、数多くの改良が加えられた。

RC211Vは、2003年も16戦中15勝を挙げ、ライダー・コンストラクター両タイトルを獲得。しかし、吉井は「ものごとが進むスピードの早いレースの世界では、一度実現したことは一瞬にして過去になってしまう」と語った。マシンにしても、エンジンにしても、タイヤにしても、すさまじい勢いで進化を続けるその世界において、最速マシンの座を守るためにHondaが挑んだものとは。

宮城: 2002年、2003年と続けてダブルタイトルに輝いたわけなんですが、次にどんなことに挑まれたんでしょうか。

吉井: レギュレーションが変わってから2年も経っていますから、2004年は最初に出したモデルから大きく進化させないと勝てないだろう、と感じていました。最初はエンジンの出力に対して追いついていなかったタイヤの性能も向上してきて、「レースをきっちり走りきる」ということに加えて、もう一歩上のタイムを出せるマシンへと進化させる必要がありました。

宮城: きっちり走ることは大前提としてあって、その上タイムアップをめざすということですね。

吉井: そうです。だから、エンジンはパワーも回転数もどんどん伸ばす方向で。宮城さんはレーシングライダーですからおわかりだと思いますが、当然、エンジン性能だけを尖らせても速くはならない。だからエンジンのパワーアップを起点として、様々な方法を試みました。

宮城: 具体的に言うとどんなことでしょう。

吉井: まず、デビュー当時から採用されているユニットプロリンクを、ボトムリンク式からアッパーリンク式に変更することで、加速時にタイヤを路面に押し付けるようなセットアップができるようにしたんです。出力が上がって、加速度も同時に上がっていますから、加速するときに車体がフラれないようにして、トラクションがきちんと掛かるようにするためです。それから、スロットルコントロールにも手を加えました。

宮城: HITCS(ホンダ・インテリジェント・スロットル・コントロール・システム)ですね。僕もそのマシンに乗りましたが、コーナーの立ち上がりであり余るパワーをうまく抑えてくれて、「乗りやすい」という印象を受けました。

吉井: あれは、加速だけでなく、減速側にも使えるシステムなんですね。減速時にスロットルを全閉にしても実際は戻りきらないようにしてエンジンブレーキを軽減する制御です。減速のときにエンジンから発生する負のトルク変動をうまくコントロールして、エンジンをスムーズに回すようにしているんです。やっぱりバイクって人間がまたがってコントロールする乗りものですから、クルマよりもアナログな存在だと思うんです。マシンの違和感がダイレクトに人間に返ってくる。加減速はシンプルな操作ですが、バイクでは加速しているときに車体がフラれるようでは安心できないですし、上手に止まれないようでは最高速は出せません。どこか一カ所をよくすることはできなくて、全部が相乗的によくならないことには、速いマシンにすることはできないんです。そのためのユニットプロリンクの構造変更であり、HITCSであるわけです。

 
2005年
鍵は、エンジン。
思い切ったマシン開発を。

惜しくもライダーズタイトルは逃してしまったものの、RC211Vによる3年連続のコンストラクターズタイトルを獲得したHonda。
そんな中、CBR1000RRという市販車の開発を終えた吉井は、突然RC211Vの開発責任者に命ぜられる。「まったく予想もしていなかったし、とにかく驚いた」と言うが、次なるエンジンレギュレーションの変更も予想される中で、これからも勝てるマシンをつくり上げるため、思い切った開発が必要であると吉井は考えていた。

宮城: さて、この2004年10月に吉井さんがRC211Vの開発責任者に就任されて、2005年モデルの開発が進んでいくわけですけども。

吉井: 2005年モデルの方向性は、もっとコーナーの進入で頑張れる、さらにコーナリングスピードを上げられるマシンにしようということでした。ライバルたちと一緒にコーナーに向かったときに、アドバンテージを確信できるマシンであれば勝負ができるじゃないですか。そこで引いてしまわないだけの自信をつけてもらうにはどうすればいいか、というところからスタートしたわけですね。

宮城: なるほど。非常にピンポイントな、レベルの高い開発になっていったわけですね。

吉井: ただ、正直に言わせてもらうと、2005年はあまりいいシーズンではありませんでしたね。いろいろなことにチャレンジするのだけれど、最終的に勝負に挑むライダーの自信を高めることができなかった。ハンドリングを向上させるためには、やはりフレームを改良する必要があったんですが、このRC211Vというバイクそのものの完成度がもともと高かったこともあって、細ごまとしたアジャストでは、なかなか思ったような成果が得られませんでした。その結果、これまでエンジンには大幅に手を加えて来なかったけれど、きっと根幹はここにあると考えました。そして、そこにメスを入れることを決断しました。

宮城: いわゆる心臓部ですよね。エンジンの周辺機器はいろいろと触った。車体も触った。でも、心臓部であるエンジン、これは確かに変わっていなかったと。

吉井: 実はエンジンについては、僕が開発責任者になった2004年の10月ごろから、すでにレイアウトも含めて変更することを考えていました。社長の福井からも「いつまであのエンジンでやるんだ。あれじゃ俺は勝てないと思う」って言われたこともありますし。まあ、これは叱咤激励の意味もあったと思いますけれど。

宮城: でも、最終的に2005年、2006年ともV型5気筒のエンジンで走りきりましたよね。

吉井: それは、僕がこの「V型5気筒」というエンジンがMotoGPにおける“Hondaの顔”だと思っていたからなんです。もちろんいろいろな可能性は探りましたけれど、その上で「もう一度5気筒でやらせてください」と。“Hondaの顔”だと言ったように、それほどコンセプトの優れたエンジンだったので、それをコンパクトなものに作り直すことにしました。

宮城: V型5気筒のエンジンを小さくしろ、なんて言ったらエンジン設計の方は驚いたんじゃないでしょうか。当初からマスの集中化をコンセプトに、詰めに詰めてコンパクトにつくったエンジンだったわけですから。

吉井: そうですね。でも、とにかくみんなでやろうと。

宮城: そして、2005年の最終戦でそのマシンが登場しましたよね。その前から「出るぞ、出るぞ」っていう噂はあったのになかなかそれが出てこなくて、Hondaにしては珍しいなと思っていました。

吉井: 本当は早く出したかった。テストで出したニューマシンを一度引っ込めたのは初めてのことでしたね。言ってみれば「敗北宣言」ですよね。でも、よくないものを意気込みだけで出してしまったら、ライダーの信頼がなくなります。そうすると戦えなくなるんです。

 
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