期待された未来と才能 by Dean Adams
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 アメリカ人が好んで使う格言に、『冒険は忘れ得ない苦しみである』というものがある。MotoGPライダー、ニッキー・ヘイデンは、いつの日かこの言葉を感慨深く味わうことであろう。あわただしく過ぎたMotoGPでの2年の間に、ヘイデンは、常に表彰台を狙うライダー、そして、優勝を争うライダーへと成長した。Hondaはつい先日ヘイデンとの契約更改を発表し、ヘイデンは2006年までの2年間HondaのワークスライダーとしてMotoGPでレースを続けることになった。このHondaのヘイデンに対する信頼と期待は、彼のファンのみならず、彼自身にとっても非常にうれしい出来事であったに違いない。
 
 ニッキー・ヘイデンにとって、MotoGPを戦った2シーズンは決してなまやさしいものではなかった。Hondaのワークスチームに加わるためヘイデンは、2002年にAMAスーパーバイクチャンピオンとなり、自分がアメリカで最も速いライダーであることを実証した。そしてその数ヵ月後には、生まれ育ったアメリカに別れを告げ、心の拠り所であった家族から数千キロ離れたヨーロッパで、新しいチームとクルー、そして新しいマシンを駆って、ロードレースの世界最高峰クラスを闘っていたのだ。
 この劇的な環境の変化を克服することは、我々が想像するよりもはるかに困難だったに違いない。しかしヘイデンは、参戦初年度に目覚しい活躍を見せ、見事ルーキー・オブ・ザ・イヤーの栄冠を手にする。当然、次シーズン(2004年)に向けて、ファンと周囲の夢や期待は膨らんだ。
 
 しかし残念なことに、その夢はほぼそのままの形で、2005年シーズンへと持ち越すこととなった。なぜなら、ヘイデンにとって2004年は、様々な理由で満足には程遠いシーズンとなったからだ。
 
 期待されていた大きな飛躍は、結果を伴って表れなかった。そのことに、周囲もヘイデン自身ももどかしい思いをしていた。加えて、8月の後半に、モトクロスでの練習中の転倒で鎖骨を折り、膝を痛めるという、若い彼の短いレーシングキャリアの中でも最も不運なアクシデントに見舞われたのだ。そのケガにより、彼は直後のポルトガルGP出場を断念しなければならなくなり、その後も彼本来の調子とは言えない状況下での闘いを強いられた。

 今シーズンを振り返ってみれば、勝利という名の成功は何度も手の届くところにあったが、フラストレーションと失意とともにレースを終えることが多かった。プラクティスではファステストタイムを記録し、予選で好ポジションを獲得し、レースをリードし、表彰台にも2度のぼった。これらすべてを考慮に入れて判断すれば、評価に値する戦績であり、活躍であったと言える。

 しかし、甘えの許されない厳しいレースの世界では、レーサーには2つのゴールしか存在しない。レースの勝利と、シリーズチャンピオンだ。前者を実現してこそ後者が可能となるということは言うまでもない。この2つの目標に向かって、Hondaは闘い抜く勇気と技術革新への飽くなき挑戦心を持ってMotoGPを闘っているのだ。レースをリードしたり、プラクティスでファステストタイムを記録することは、野球で言えばヒットで出塁したことだけに過ぎない。ヒットは、ゲームを構成する重要な要素ではあっても、勝敗の決め手となることと混同することがあってはならないのだ。

 チャンピオンとなるための素質をすべて備え持っていることを、私は知っているが、MotoGPという世界で最も厳しい場で、レースに勝ち、チャンピオンになるための次なる一歩を着実に踏み出すために何をなすべきか、何が必要かを指摘するのはおこがましいかも知れない。しかし、強いて挙げるとすれば、彼は次の3つの項目について、改良の必要があると言えよう。
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