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![]() ニッキー・ヘイデンにとって、MotoGPを戦った2シーズンは決してなまやさしいものではなかった。Hondaのワークスチームに加わるためヘイデンは、2002年にAMAスーパーバイクチャンピオンとなり、自分がアメリカで最も速いライダーであることを実証した。そしてその数ヵ月後には、生まれ育ったアメリカに別れを告げ、心の拠り所であった家族から数千キロ離れたヨーロッパで、新しいチームとクルー、そして新しいマシンを駆って、ロードレースの世界最高峰クラスを闘っていたのだ。 この劇的な環境の変化を克服することは、我々が想像するよりもはるかに困難だったに違いない。しかしヘイデンは、参戦初年度に目覚しい活躍を見せ、見事ルーキー・オブ・ザ・イヤーの栄冠を手にする。当然、次シーズン(2004年)に向けて、ファンと周囲の夢や期待は膨らんだ。 ![]() 期待されていた大きな飛躍は、結果を伴って表れなかった。そのことに、周囲もヘイデン自身ももどかしい思いをしていた。加えて、8月の後半に、モトクロスでの練習中の転倒で鎖骨を折り、膝を痛めるという、若い彼の短いレーシングキャリアの中でも最も不運なアクシデントに見舞われたのだ。そのケガにより、彼は直後のポルトガルGP出場を断念しなければならなくなり、その後も彼本来の調子とは言えない状況下での闘いを強いられた。 今シーズンを振り返ってみれば、勝利という名の成功は何度も手の届くところにあったが、フラストレーションと失意とともにレースを終えることが多かった。プラクティスではファステストタイムを記録し、予選で好ポジションを獲得し、レースをリードし、表彰台にも2度のぼった。これらすべてを考慮に入れて判断すれば、評価に値する戦績であり、活躍であったと言える。 しかし、甘えの許されない厳しいレースの世界では、レーサーには2つのゴールしか存在しない。レースの勝利と、シリーズチャンピオンだ。前者を実現してこそ後者が可能となるということは言うまでもない。この2つの目標に向かって、Hondaは闘い抜く勇気と技術革新への飽くなき挑戦心を持ってMotoGPを闘っているのだ。レースをリードしたり、プラクティスでファステストタイムを記録することは、野球で言えばヒットで出塁したことだけに過ぎない。ヒットは、ゲームを構成する重要な要素ではあっても、勝敗の決め手となることと混同することがあってはならないのだ。 |
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