第一話 不沈艦RCB1000。8耐の歴史、火蓋を切る。
当時、かなうはずのない相手だった
 エンジンは、市販VF750Fベースの水冷4サイクルV型4気筒DOHC 4バルブ748.11cc。いわゆる“台形パワー”といわれるフラットなトルク特性を持つ。フィーリング的には、NR500の楕円ピストンの技術を継承したスーパーマシン、Honda NRの水冷4サイクルV型4気筒DOHC32バルブエンジンに似ているという。
「エンジン音が低く、スピード感を感じにくい。RCB1000やRS1000の直4のようにカン高い音のエンジンとは一線を画しています。でも実際は、驚くほどのスピードが出ている。7,000回転まで回ってしまえば、あとは12,000回転ぐらいまで同じくらいのトルク感で回っていく、そんなエンジンです。アイドリングも特に気にすることなく、エンジンを掛けて普通にクラッチをつないで走っていけます。低回転のフリクションもなくきわめてスムーズ。そして何より水冷エンジンは連続全開走行にも十分に耐えられる信頼性を持っていたと言えるでしょう。炎天下の8耐、負担が掛かっているのはライダーだけではありません。先にお話した、車体全体の性能が上ったために、エンジンにも負担が掛かる訳です。つまり、コーナーリングスピードが上れば、それだけコーナー出口も速い段階でライダーはスロットルを開けていく。それだけ、コース上でのスロットル全開時間が長くなる。エンジンにとっては厳しい状況です。しかしその分、ラップタイムを短縮出来たわけです」
 当時宮城はCBX750Fに乗り、8耐の予選でこのRS750Rを駆るワイン・ガードナーの真後ろについて鈴鹿の第1コーナーに進入したという。すると次の瞬間、宮城はあえなくコースアウトしてしまった。同じスピードで進入したら、曲がり切れなかったのだ。
 20年たったいま、当時のライバルであったRS750Rに乗って、あのときコースアウトした理由がすぐにわかった。「こんなオン・ザ・レール感覚で安定して曲がっていけるマシンにかなうはずがなかった」と。宮城は、RS750Rに試乗したあと、当時の8耐に出場した同僚にすぐに電話をかけたという。
「こんなマシンを相手にして闘っていたんだ。当時、俺たちは充分に健闘していたよ」
 当時の8耐では、日本人がいつポールポジションをとれるかが一つの注目の話題になっていた。1984年、8耐のポールを飾ったのはRS750Rに乗るワイン・ガードナー、空冷CBX750改に乗る宮城のチームは予選2位だった。
 
宮城光の「鈴鹿8耐歴代ロードレーサーの鼓動」次回は8耐で5勝を挙げた名車RVF750をご紹介します。
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