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第一話 不沈艦RCB1000。8耐の歴史、火蓋を切る。
 鈴鹿8時間耐久ロードレースが行われる前年、鈴鹿サーキットでは6時間耐久レースが行われ大盛況を博した。久々に大観衆に埋め尽くされた鈴鹿サーキットの空気は、モータースポーツがオイルショックから完全に復活を果たしたことを物語っていた。
 モータースポーツ復活の気運に満ちた翌1978年。鈴鹿8時間耐久ロードレースがスタートする。午前11時30分にスタートし、夕暮れとともにエンディングを迎えるドラマティックな8時間の耐久レース。国際格式のレースのため、第1回大会から数多くの海外チームが参戦し激戦が繰り広げられた。世界の名コースと謳われる鈴鹿を舞台とする通称“8耐”。この耐久レースには、四半世紀の歴史の幕開けとなる第1回大会から熱い空気が流れていたのだ。
 
RCB1000の動態確認風景
 Hondaは、第1回大会に欧州の耐久レースで無敵を誇っていたRCB1000を投入。優勝を期待する声が多くを占めていたが、無念のリタイヤを喫した。まさかの結果に、Honda陣営は燃えた。翌1979年、CB900を擁して雪辱。その後、激しい攻防が繰り返されながら8耐は歴史を重ねていく。そしてその歴史のなかでHondaは数々の名車を生み出していく。
 その名車を語る第一話として、やはり第1回大会に参戦したRCB1000に触れずにはいられないだろう。このマシンについては、すでに「宮城 光のHonda歴代ロードレーサーの鼓動」でインプレッションをご紹介した。RCB1000は、彼がオートバイにのめりこんでいくきっかけとなったマシン。雑誌を賑わしていたRCB1000の圧倒的な強さに、普通のバイク好きの少年だった宮城は心を奪われたのだ。
 
 「ちょうど国内はオイルショックが終わった頃で、二輪も四輪もレース活動が縮小されていた時代でした。その中で、再びヨーロッパに乗り込んでいったHondaの活動が大きく取り上げられることが多かった。ですから、僕はオートバイに乗る前に、すでにHondaのRCB1000の活動を雑誌で見ていて、心を踊らせていました」
 「僕がちょうど16歳になった頃、CB750やCB400フォアに乗っていた先輩の間でRCBカラーが流行ってました。自分で赤いタンクに青と白のラインを入れるだけなんですが、それほどRCB1000の活躍はバイク乗りの間でインパクトあるニュースでした」
 「とは言っても、当時は今より情報量も少なくタイムラグもありました。1978年の8耐、つまりRCB1000が国内レースに参戦した事を知ったのは、その年10月号の専門誌でした。自動二輪輪免許をとるために教習所に通っていた僕には見に行く事も出来なかった。国内参戦といっても遠い憧れのマシンでした」
 
 彼の青春の記憶のなかで輝き続けていたRCB1000を、コレクションホールの動態確認(レストアの仕上がりを確認する走行テスト)で走らせることになったとき、宮城の心はときめいた。
 「すごいバイクに違いない」
 少年の頃のときめきを胸に、宮城はRCB1000に跨がった。
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