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 ニッキーはいつも家族と一緒だ。今も両親と同居しているし(同居といっても、彼は家のガレージの上に住んでいるのだが)、アメリカ全土に渡って行われるレースに参戦するための移動には、必ず家族が一緒に付いてまわった。そして、2003年。ニッキーは生まれて初めて家族と離れ、世界を転戦することになる。

「自分の住むところをどこにするかもまだ決まっていないんだ。アパートを借りるか、モーターホームを買ってヨーロッパ中を旅しながら暮らすのもいいかなと思ってる。今からすごく楽しみなんだ。ヨーロッパは一度しか旅行したことがなくてあまりよく知らないんだけど、とても気に入っているよ」
と言い、ニッキーは続けて、家族のもとを離れる心情について次のように語った。

「僕は大丈夫。これは成長のひとつのステップだと思ってるよ。誰だっていつかは自立しなきゃならないんだし、みんなやってる。そういう意味では、僕は心身ともにちゃんと準備できてるつもりだよ」

 10代前半にスペインでレースに出場したこと、そして今年、Hondaのテストで日本のサーキットを走った以外にアメリカ国外でのレース経験がないニッキーにとって、2003年はほとんどのサーキットが初めて走るコースとなる。

 フレディ・スペンサー同様、21才という若さでWGPに挑戦することになったニッキーだが、彼はもうすでに数百、数千のレースをこなしたベテランライダーだ。東のデイトナから西のラグナ・セカまで、アメリカ全土のサーキットを走り尽くしてきた。

「もし数年前だったら、好きなサーキットは?ってきかれたら、迷わずインディ・マイル(インディアナ州にあるダートトラックのサーキット)と答えたと思う。でも今は好きなサーキットがたくさんありすぎて分からない!! ラグナ・セカも、ロード・アトランタも、デイトナも好きだし、今年になってテストで走ったヨーロッパのサーキットも好きになったよ」
ニッキーがデイトナを“好きなサーキット”リストにあげた理由は明白だ、彼は去年のデイトナ200で優勝したのだから。

 ニッキーは、10代を公立と宗教系の両方の学校に通い、地元のオーウェンズボロ・カトリック校を卒業した。しかし、ニッキーは熱心なカトリック教徒というわけではない。父親がニッキーをカトリック系の学校に通わせた理由は、レースの参戦によって学業に多少の影響がでるようなことがあった場合に、カトリック系の学校の方が寛大であろうと判断したからである。

「そうするしかなかったんだよね」
ニッキーは笑って言う。
「シーズン中は、レースウィーク明けの月曜日にすぐ学校の生活に戻るのは本当にきつかったからね」

 しかし、ニッキーは高校もちゃんと卒業し、そして学校ではきわめてまじめな生徒だった。
「僕はきちんとしてた方だと思うよ。授業に出られない時もたくさんあったけど、テストも成績もそこそこ良かったし。ホント、学校には真面目に通ったよ。少なくとも他の生徒に負けないくらいはがんばった」

 ニッキーの親しい友人は、彼をレースの天才というのと同時に、おもしろい人、礼儀正しい人、とみんなが彼を褒める。ジョークを言って周りの人を笑わせ、人物のものまねが得意な明るいニッキー。そんなニッキーに、君にとってのヒーローは誰かときくと、60年代70年代にダートでもロードでも無敵を誇った伝説のレーサー、ゲーリー・ニクソンを筆頭に、
「ケニー・ロバーツ、ウェイン・レイニー、フレディ・スペンサー・・・」
と続けた。(後編に続く)

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