Honda Racing to TOP
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 アメリカ人モーターサイクルレーサー、ニッキー・ヘイデンは、1981年7月30日にアメリカ合衆国ケンタッキー州で生まれた。ニッキーの父、アールは20年以上ものダートトラックレース経験があり、ニッキーはモーターサイクルレーサー2世となる。ニッキーだけではない。ニッキーの兄トミーと弟のロジャー・リーは、ともに現役のモーターサイクルレーサーとして活躍しているし、妹のジェニーも少女時代に二輪のレースに出場していて、ダートトラックでアマチュア・チャンピオンになったこともあるのだ。

  さらに母親のローズまでも、その昔バイクでレースに出ていたというのだから、文字通りの“レース一家”と言える。
「母親はパウダー・パフ(アメリカのレディースの二輪レース)で連戦連勝してたんだ」
とニッキーは言う。そして、
「僕はモーターサイクルレーサーの遺伝子を持って生まれてきたんだよ。うちの家族は、控えめに言ったとしても“レースフリーク”だね」
と人懐っこく笑った。

  現在のニッキーの夢はもちろんMotoGPチャンピオン。だが、レースを始めた当初の夢は、AMAグランドナショナルダートトラックのチャンピオンになることだった。ニッキーの育った地方ではそれが自然のなりゆきで、少年たちにとってダートトラックレースはとても大切なイベント、レースといえばダートトラックのことであった。

「小さい頃は、スコット・パーカーみたいなダートトラックのグランドナショナルチャンピオンになることしか考えてなかったね。ダートトラックは大好きだし、ダートトラックレースを離れるのはさみしい。でも今は、ロードレースとHondaのMotoGPチームとの仕事に気持ちを集中させているよ」
ダートトラックレースを離れるのはさみしい・・・実は、ニッキーは昨年、ダートトラックレースに出場し数々の勝利をあげている。

 ニッキーの初期のレーシングスタイルは、彼が幼い頃に憧れたフレディ・スペンサーを意識したものだった。WGPチャンピオンに三度輝いたフレディ・スペンサーも、ロードレースに移る前の10代の頃は、アメリカ南部でダートトラックレースに没頭していたのだ。ニッキーは、16才ですでに年間20勝をあげるライダーになっていた。父親のアールによれば、ニッキーは小さい頃から50、60という数のレースを走っていたという。そして、7才でAMAのアマチュアダートトラックで初めてのタイトルを手中にし、ここから彼の快進撃が始まった。

 ニッキーのゼッケンナンバー、「69」。これは、父アールがレースをしていたときのものと同じナンバーである。アールは、
「自分はしょっちゅうクラッシュして、だからバイクがひっくりかえって上下逆さまになっても数字が変わらない“69”を選んだんだよ」
とジョークを言った。

 ライダーとして成長していく過程で、ニッキーは125cc、250cc、そして600ccのスーパースポーツの3カテゴリーでレースに参戦し、プロ・アマ両方のロードレースで数多くの勝利をおさめる。そして2002年、憧れのフレディ・スペンサーの記録よりも1勝多い新記録でAMAスーパーバイクのチャンピオンに輝いた。また、2002年のペオリアTTダートトラックでは、ダートトラック界伝説のレーサー、クリス・カーをおさえて優勝をおさめた。
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