![]() |
![]() |
│1│2│ |
![]() |
|
―――AMAスーパーバイク・チャンピオンから2003年シーズンをHondaのMotoGPライダーとして闘ったニッキー・ヘイデン。何もかもが初めての中で、世界の強豪を相手に序盤は思うようにレースをさせてもらえず苦戦を強いられたが、一戦一戦での経験を着実に自分のものにし、ラウンドが進むにつれ目覚しい成長を遂げた。第15戦でついに3位表彰台を獲得、そして2003年をルーキー・オブ・ザ・イヤーという最高の成績で終え、これまでの10年間想い続けて来たMotoGPという夢のステージで、ニッキーは2年目につながる素晴らしい走りを見せてくれた。2004年シーズンが楽しみである。 「もしシーズンが始まる前に今年の目標は何か?ときかれていたら、恐らくRC211Vに乗る時間をできるだけたくさん見つけて、MotoGPのサーキットを走りこみ、可能な限りMotoGPのレースに慣れることです、と答えたと思う。実際、僕は今シーズンを2004年のレースのために必要な知識を得るための年として臨み、そして多くのことを学んだ。今振り返ると、概ね目標のとおりにできたと思ってる。 MotoGPで僕は、レプソル・ホンダというベストチームで、RC211Vというベストバイクに乗ってレースができた。このことは、これ以上のものはない最高のシチュエーションだ。けれども、世界最強のマシンに乗るということは、同時に、周りの人たちからレースで勝つことを期待されるということでもあった。最終的にはいい形でシーズンを終えることができたと確信しているよ。211Vのテストや実際のレースではアメリカで学んだことのすべてを発揮して、シーズン後半にはトップグループの中で走ることができた。記録の上では2回表彰台に上がったことになっているけど、僕自身は実際に表彰台に上ったのは一度だけだと思っている。パシフィックGPの3位は、玉田選手の失格によって繰り上がったラッキーなものだったから。 一番分かりやすいと思う言い方をすると、僕はアメリカのスーパーバイクという高校で優秀な成績を残し、2002年に全米チャンピオンで卒業し、見知らぬ土地の見知らぬ人たちのいるWGPという大学に入って、今シーズンの僕は入りたての新入生みたいなものだったんだ。本当にたくさんのことを夢中で勉強した。本当のアメリカの大学1年生よりはるかに多くのことを学んだと思うよ。 シーズン当初、みんなは僕がアメリカでチャンピオンを獲ったマシン、Honda RC51とRC211Vとを比較したがった。どちらもレーシングマシンだけど、多くの点で2台は劇的に違うんだ。RC51はいいところがたくさんあるけど、RC211Vはすべての面で素晴らしく、RC51の2倍も速く感じる。余談だけど、アメリカン・ホンダのRC51市販車モデルは、2004年はすべてニッキー・ヘイデン レプリカになるんだ。すごいよね! 家に帰ると、いつもみんなに「アメリカでのレースが恋しくないか?」とか、「家族が恋しくないか?」ってきかれるんだ。もちろん友達や家族に会えないのはさみしいに決まっているし、アメリカでのレースも同じさ。でも、MotoGPやヨーロッパへ移ったことは、僕がそれを目指して10年以上やってきた自然の成り行きだ。いつもいつも、この場所にくることを望んでいたんだ。その上、Hondaがついたことで最高のシチュエーションとなった。両親が観に来てくれたレースもあって、みんなが思うほどさみしさは感じなかったよ。ヨーロッパでの暮らしにもずいぶん慣れて、今はもう全然OK。ヨーロッパが好きだよ。アメリカはすごく恋しいし、僕が育ったスーパーバイクやダートトラックでレースをしたいと思うことがないわけではないけど、自分の中ではきっぱりと割り切れているんだ。 ![]() |
|
![]() |
![]() |
< BACK│1│2│NEXT > |