新型4ストローク・サウンド轟く

「フジガス優勝&3位、2日目はカベスタニーが日本GP初優勝」
第6回大会・世界選手権第3戦(2005年5月21日、22日開催)

第6回大会で、見上げるような崖のセクションを上がるフジガス。胸には日本人初の“ゼッケン1番”が輝いていた

2ストロークから4ストロークへとマシンを変えなければならない時代の要請に応えるべく、Hondaはいち早く新型4ストローク・マシン、Montesa COTA 4RTを世界選手権に投入した。ライダーはフジガスとランプキン、そしてマーク・フレイシャー。ランプキンは開幕戦から見事優勝したが、その後の成績には大きな波があった。

日本人として初めて胸に掲げた“ゼッケン1番”。ディフェンディング・チャンピオンのフジガスは、第1戦と第2戦はそれぞれ5位、4位と苦戦していたが、第3戦日本GP1日目に待望の4ストローク初優勝を獲得。それも1ラップ目の4位から2ラップ目に大逆転して1位となり、このシーズン初勝利を挙げるとともに、母国グランプリ3連勝を成し遂げた。最終セクションを減点0でまとめたフジガスは笑顔で観客の声援に応え、ガッツポーズで高々と両手の人差し指を突き上げる貫録を見せた。「ホームだったのでものすごくプレッシャーはあった。でも、毎年のことですがファンの皆さんの声援に支えられた」と感謝するフジガス。そして、この年初めての表彰台に、フジガスは生後7カ月の長女夢奈ちゃんを抱きかかえて上った。前年、世界タイトルを獲得した直後に産声を上げたチャンピオン・ベビーだけに、「最初に勝った時には(表彰台に)一緒に連れていこうと考えていた」のだった。

2日目のフジガスは、わずかなミスも大きくひびく神経戦において、1ラップ目の第5セクションで痛恨の減点5となり、このたった1度の大きな失敗で勝機を逸してしまった。2ラップ目は唯一人オール・クリーン(減点0)でまとめるパーフェクトな走りを見せたものの、スペインのアルベルト・カベスタニーとランプキンに負け3位となった。「これだけの応援をもらったのに勝てなくて残念。勝つ気満々だったけれど、前日と同じセクションで失敗したのが痛かった」とぼうぜん自失のフジガスだった。

日本GP終了時点ではランキング4位だったフジガスだが、その後は第4戦アメリカGP2日目と第7戦イタリアGP2日目に優勝するなど調子を上げていき、シーズン終盤はランキング2位を堅持。残念ながら王座はスペインのアダム・ラガにゆずる結果となったが、新型4ストローク・マシン1年目からその戦闘力の高さを実証してみせたフジガスだった。

スペイン勢が表彰台独占

「フジガス2日間ともまさかの4位、ボウが1日目に日本GP初優勝、2日目はカベスタニーが優勝」
第7回大会・世界選手権第4戦(2006年6月3日、4日開催)

第7回大会でのフジガスは2日間とも表彰台を逃す結果となってしまった

この年、新たに大きな見どころとなるセクションが誕生した。前年までは平らだった「ハローウッズの庭」に、高さ5〜6mの人工の岩山が造られ、水が流れる高さ3mの滝を上がるポイントが勝負どころになった。1日目はトニー・ボウが優勝して、2位アダム・ラガ、3位アルベルト・カベスタニーと、スペイン勢が表彰台を独占した。スペイン人選手だけの表彰台は日本GP史上初めてのことだったが、これはスペイン勢が台頭する新たな時代の到来を象徴する出来事でもあった。

フジガスはこの年、開幕戦の前に行われたインドアトライアルで、クラッチレバーを操作するために重要な左手の人差し指を骨折してしまった。その指が折れたまま出場した第1戦は激痛に苦しめられながらも6位入賞。それから1週間後の第2戦はまだ折れた骨がついていない状態だったが、フジガスは痛みに耐えて走る強じんな精神力で、どん底からなんと勝利をもぎ取った。ところが、第3戦アメリカGPは体調を崩して1日目6位、2日目5位とふるわず。結果から言えば、第4戦日本GPも2日間ともまさかの4位となってしまった。フジガスが日本GPで表彰台を逃したのは、これが初めてのことだった。実は、指の骨折の治療に使った大量のヨード(消毒液)への過敏症で甲状腺機能が低下したため、それが原因で体調不良に陥っていたのだった。

日本GP1日目を終えたフジガスは、「体調はこれでも皆さんが思っているより悪くはないんですよ。初めて表彰台に上がれなかったのでチョー悔しい。やっぱり4位は情けない。取りこぼしがあったし、きょうの反省点をふまえて2日目に備えたい。できればもっと応援がほしいですね。お客さんの声援はとてもよく効くのですよ」と語っていた。

2日目は、1ラップ目の第13セクションでまさかのパンクに見舞われて落車するなど、不運もあって再び4位に終わったフジガス。2日連続で母国表彰台を逃した競技終了後、スタッフからねぎらいの言葉をかけられたフジガスの目からどっと涙があふれ出た。「ファンの皆さんからの応援はすごく励みになった。その声援に応えられなかったことが本当に情けないし、悔しい」。

日本GPを終えて、フジガスはシリーズ・ランキング5位に後退。「この後は全勝するつもりでやりたい」と負けじ魂を燃やした。その言葉どおり、次の第5戦はランプキンと優勝争いを展開、同点ながら惜しくもクリーン差で2位となったフジガスだったが、第6戦、第7戦、第8戦はなんと3連勝を獲得。最終的に17ポイント差でチャンピオン奪還は逃したフジガスだが、07年の活躍を期待させる、見事な復活劇を見せたのである。

ボウの快進撃とラガの反撃

「フジガス2日間とも3位表彰台、1日目はボウが優勝、2日目はラガが日本GP初優勝」
第8回大会・世界選手権第4戦(2007年6月2日、3日開催)

第8回大会、2日目の最終セクション。フジガスはここでの失敗が響いて優勝を逃す結果となったが、ボウやラガとし烈な優勝争いをした健闘に観客から温かい声援が贈られた

1日目、フジガスは一時4位に下がりながらも盛り返し、最終セクションでカベスタニーを逆転して3位表彰台をゲットした。それでも1位ボウと2位ラガに大差をつけられて悔しさいっぱい。「とにかく悔しい。今日のセクションコンディションは、いけるかいけないか、クリーン(減点0)か失敗(減点5)かという状態で、競技序盤から波に乗れずにミスを重ねたため点差が大きく開いてしまった。でもリズムに乗れば、ボウやラガのような点数で回ることも十分に可能だと思う。同じ失敗は絶対にしないようにして、2日目こそ勝ちたい」と巻き返しに燃えていた。

実際、2日目のフジガスはボウやラガと優勝争いを展開し、勝負は最終セクションまでもつれこんだ。ところが、土壇場で転落しクラッシュしたフジガスは、指を痛めるとともに1日目と同じ3位に終わってしまう。「最後は絶対にクリーンを決めてやると力が入りすぎた」と反省するフジガスだったが、2日目は堂々とした優勝争いで観客をわかせた。特に最終セクションでの、大観衆の声援はフジガスにとって忘れられないものになった。

「藤波がんばったぞ!」「また来年も見に来るぞ!」「待っているぞ!」。それは母国グランプリならではの、温かい励ましだった。

「本当にありがたいですね。皆さんの応援がそのまま僕のパワーになるので、いつも感謝しています。3位という成績は応援していただいたファンの皆さんに本当に申し訳ないですが、もっともっと上をめざしてがんばります。そしてまた来年、日本GPに帰ってきます。僕にとって母国グランプリは、皆さんと1つになれる、かけがえのない場所ですから」。

実は、フジガスは大会前日の練習走行で腰を痛めてしまい、歩けないような状態だった。それが1日目の不振に影響していたが、ウイダーのトレーナーの先生に痛いところを治療してもらいだいぶよくなったことから、2日目は自分の走りができたのだった。

2日目はラガが勝って、開幕戦からのボウの連勝を5でストップさせている。しかし、この年はボウが圧倒的な好成績でチャンピオンとなり、Montesa COTA 4RTに初の栄冠をもたらした。

ボウ独走、“200戦錬磨”藤波

「フジガス2日間とも3位表彰台、ボウが初の2日間連勝」
第9回大会・世界選手権第4戦(2008年5月31日、6月1日開催)

第9回大会で世界選手権トライアル“200回”出場の快挙を達成したフジガス

この年は、新たに「ハローウッズの沢」が誕生、自然の沢をセクションとして使えるようになった。そしてまた、新しくオープンした森の空中回廊「クラーネ」の空中を移動する散策コースからセクションを見られるようにもなった。

1日目、終日雨が降り続く悪天候の中で、フジガスは前日から「みんなが上がれないようなドロドロの急斜面は得意。路面が悪化するほど4ストロークの強みが出せる」と意気込んでいたとおり、競技序盤からトップにおどりでた。だが、その後は失敗が重なり、第8セクションの岩盤上りに失敗して岩に打ち付けたクラッチが不調となるアクシデントもあって、無念の3位に終わった。「序盤は気合も入っていたし、空回りしないようにセーブしながら走ったが、途中でいくつか失敗をした。それでもばん回できるのが今日のセクションで、4ストロークのグリップのよさを発揮することができたと思うが、結果的に3位となってしまった」と、目を赤くはらしながら敗因を語るフジガスだった。

ともあれ、前戦アメリカGP1日目で2年ぶりに優勝を獲得したように調子自体は悪くないだけに、2日目も十分期待できるフジガスは、「明日は万全の態勢で挑めると思うので、明日こそ勝ちたい」とリベンジを誓った。

その2日目は競技中盤までトップに立ち優勝を期待させたフジガスだったが、終盤に崩れてしまい、2日連続3位となった。ボウが2日間連勝し、V2に向かってまた一歩前進した。

2日間とも3位となったフジガスだが、内容的には大きく違い、特に2日目の前半はボウやラガとの大接戦が観客をわかせた。1ラップ目を終えてトップのボウと同点でフジガスがトップに並ぶ、白熱戦となった。さらに2ラップ目、第5セクションまではフジガスが単独トップに立っていた。ところが、第6セクションの丸太で失敗したフジガスは、ここでボウに同点に追いつかれてしまう。そして第7セクションの滝上りでも失敗したフジガスは、ボウだけでなくラガにも逆転されてしまい、2日目も3位となったのだった。

1996年のデビュー以来、これがフジガスにとって記念すべき“200戦目”の世界選手権だった。「勝てなくて残念。後半で致命的なミスが出て2人に離されてしまった。本当に悔しいが、地元のファンの方々の声援があったからこそ表彰台に上がれた。200戦目は区切りではなく、これからも戦っていけるようにがんばります」。優勝は逃したものの、2日間ともトップ争いを見せ、日本のファンに復活を大きくアピールしたフジガスだった。