TEXT&PHOTO:藤田秀二
PROFILE:長年にわたり世界で取材活動を続けるトライアルジャーナリスト
「栄光の10年」と言っていいだろう。記念すべき第10回大会を迎えた「トライアル世界選手権シリーズ ウイダー日本グランプリ」と、10年にわたり世界トップクラスのライダーとして日本GPで活躍している“フジガス”ことレプソル・モンテッサ・ホンダの藤波貴久。この10年の間には、日本人初の世界チャンピオンが誕生し、2ストロークから4ストロークへのマシンの歴史的な変革もあった。山あり谷ありの10年をふり返れば、第10回記念大会が“10倍”とまでは言わないものの、より楽しめるのではないだろうか。
「10年目の集大成」ともいえる第10回ウイダー日本グランプリが最高にすばらしい大会となることを期待しつつ、フジガスにスポットを当てながら、まずはこの10年のハイライトをたどってみよう。
第1〜5回大会(2000〜2004年)
第6〜9回大会(2005〜2008年)
第10回の見どころ&藤波&ボウインタビュー
それは、とても長いあいだ、多くの人々の夢だった。1973年にMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)の「第1回トライアル全日本選手権」がスタートしてから、28年目にして、ついに日本でも世界選手権大会が開催されることになった。そして、2日間の観客数はなんと2万3500人を数えた。これほど多くの皆さんがトライアルを見に来てくれたのは、もちろん日本では初めてのこと。その喜びはいまだに信じられないほどの感激となってよみがえる、私にとっても今でも最高の思い出のひとつとなっている。
そして誰よりも世界選手権の日本開催を喜んだのは、フジガス(当時20歳)だった。16歳で世界にデビューした藤波貴久は、スペインで「アクセル全開男・藤波」を意味する“フジガス”の愛称をさずかるなど、多くの国で人気者となったが、そもそもは「Hondaで世界の頂点に日の丸をかかげたい」という強い思いがあった。それは子どものころからの夢であり、目標だった。フジガスにとっては、日本グランプリこそが最高の晴れ舞台。日本の人々に自分の活躍を見てもらえる、待ちに待った「母国GP」の誕生だった。
だが、大会2日目、フジガスは2ラップ目の第7セクションで急斜面の下りで転落した際に、落ちてきたバイクが後頭部に激突。意識はもうろうとし、レース後に救急車で運ばれ、バイクのステップが当たって切れた右ヒザを4針ぬわなければならなかった程の負傷を負うという絶望的なアクシデントに見舞われてしまった。しかし、応急処置をして競技に復帰したフジガスは、激痛をものがたる右ヒザの血染めのテーピングは痛々しかったが、執念の走りで2日間とも2位を獲得。またしてもイギリスのドギー・ランプキンに敗れたフジガスだったが、「思いっきりクラッシュしても完走して2位になることができた、この自信は今後のプラスになると思う」と、唇を噛みしめながら初の日本GPをふり返った。
フジガスの活躍にわいた観客にとっても、初めて見る世界GPはまさに“神業”としか言いようがない異次元の走りに、驚きの連続となった。しかも、どこか親しみのわく競技だった。それは、選手に手が届くほど間近で見られる観客席にも象徴された。そこからの声援は確実にフジガスたちに届き、彼らもそれに応えてくれる。ライダーの闘志も喜びも悔しさもすべてがダイレクトに伝わってくる。トライアルならではのライブ感覚に、2万人を超す大観衆が魅了されたのである。
セクションコーディネーター成田匠氏による日本庭園風の美しい人工セクションは第1回大会から大きな見どころとなっていたが、第2回大会では、なんと戦国時代のお城をイメージさせる石垣をメインにした楼閣が出現。難易度も高く、大事な勝負どころのひとつにもなった。2日間の観客数も1年目を上回る2万4000人を記録した。
日本GPの前に行われたベルギーGPの1日目で、フジガスは4年ぶりに優勝&通算2勝目を上げた。それゆえに一層注目された、フジガスと王者ランプキンの対決。はたして、日本GP1日目はフジガスとランプキンが息詰まるクリーン合戦を展開。1ラップ目終了時点では減点1のランプキンが減点4のフジガスをリードしたが、まだまだ逆転の可能性は十分にある点差だった。しかし、2ラップ目のフジガスはライバルたちがクリーンしている第4セクションの大きな段差上りで失敗、このミスが大きな痛手となり1日目はランプキンに後れをとった。
2日目は、ランプキンが1ラップ目から独走し、フジガスは1ラップ目4位と出遅れてしまう。だが、2ラップ目にいよいよ独走態勢に入ったランプキンに対して、フジガスは激しい追い上げを見せて2位に浮上した。「僕が絶好調でも今日のランプキンの完ぺきな走りにはかなわなかったかもしれない」とランプキンの好調ぶりに脱帽したフジガス。結果として2日間とも優勝を逃して2位となったが、「フジガスはこれからさらに強くなる」と実感させた。2年目の日本GPは、3年目以降のフジガスの活躍を十分に期待させるものだった。
この年はコースが改修されて、セクションの難易度が大幅にアップした。高さ5〜6mもある岩山がパドックにそびえ立ち、ライダーたちも「今年はすごいことになっている」と驚きを隠せなかった。特に1日目は雨に見舞われてさらにハードな競技となった。そして暗くなり始めた雨の夕暮れどき、泥まみれになりながらもついにフジガスが会心の笑顔を輝かせ、大観衆から割れんばかりの拍手大喝采がわき起こった。
ゴール直後はランプキンがトップと発表され表彰式も行われたが、フジガスの2ラップ目第1セクションの減点数が訂正された結果、2点差を死守したフジガスが“逆転勝ち”。シーズン4勝目を待望の日本GP初優勝で決めたフジガスは、大観衆に向かって「僕が一番です!」と絶叫した。「もてぎで勝つことは日本のファンの前で勝てたということ。うれしいなぁ」と感慨深げなフジガスだった。
2日目は曇り一時雨の中、今度はランプキンがフジガスに2点差をつけて優勝。2日目は2位となったフジガスだが、クリーン数ではランプキンを上回り、減点5の数は同数となる大接戦を演じただけに、2位も納得の表情だった。「ランプキンに王者の走りを見せつけられた、我慢の一日でした。でも内容は悪くなかったので、この2位は来年につながる。来年はランプキンとの順位を逆転します」と誓うフジガスだった。
タイトル争いでは、フジガスにも逆転チャンピオンへの可能性はわずかに残されていたが、1日目に執念の日本GP初優勝を獲得したフジガスに対して、2位を確保したランプキンが逃げきって6年連続王者を達成。フジガスは4年連続世界2位となった。とはいえ、この最終戦日本GPは一勝一敗、いよいよランプキンと互角の勝負を展開するようになったフジガスだ。
このときの感激も忘れられない。第4回日本GP1日目、どしゃ降りの雨の中、母国ファンの声援を受けて圧勝したフジガスは、シーズン3勝目を挙げて王者ランプキンにランキングで2ポイント差と肉薄した。そして2日目はイギリスのグラハム・ジャービスに敗れて2位となったものの、フジガスがついにランプキンを逆転してポイントランキングトップにおどり出たのだ。
このシーズンのフジガスは、オフの間にぬかるんだ滑りやすい路面に対処できるように徹底的にトレーニングを積んだ。そして、2002年12月にサポート体制を見直したことも功を奏した。それまでは父・由隆さんとともに戦ってきたフジガスだったが、03年は独り立ちして勝負への意識を高め、それをさらなる進化に結びつけた。精神的にも大きく進歩した、フジガス23歳の親離れだった。「父は僕を2位にしてくれた。これからは本当のプロとして、すべてを自分で考えてやっていかないと、これ以上は伸びない」。そう気が付いたフジガスは、長年ともに戦ってきた父親からの自立を決断したのだった。
1日目に優勝したフジガスは、「海外で戦っている時とはやはり違う。地元の人たちの応援が僕のパワーになりました。ランプキンを倒すには、まず彼の得意な滑るコンディションを、僕自身が克服することだった。晴れてしまうとコースがちょっと簡単かなと思っていましたが、雨が降ってくれてドンピシャでした」と会心の笑みをこぼした。
2日目は、惜しくも1点差で優勝を逃したフジガス。「プレッシャーもあったし、少しナーバスになってしまったところもあり、調子を崩した。1日目はぶっちぎりで勝てただけに悔しいが、最後まであきらめずにばん回することもできた。(ランキングトップで)追われる立場になり、つらい面もあるが、これからランプキンを引き離していきたい」と語った。その後ランプキンに逆転され、03年は5年連続2位となったフジガスだが、シーズンを通しての優勝回数ではフジガスが6勝を挙げ、初めて王者ランプキンの4勝を大きく上回ったのである。
大会前日の21日、Hondaはもてぎのパドックでニューマシン「RTL250F」を報道陣に公開した。エンジンは水冷4ストローク250ccで、06年からの4ストローク化に向けて市販を前提に開発。トライアル車で初採用のPGM-FI(電子制御燃料噴射装置)も、世界各国のプレスから熱い注目を集めた。翌日からの競技においても、小川友幸がこのRTL250Fに乗って2日間とも9位に食い込む大健闘で再び大きな注目の的となった。
あいにくの雨に見舞われた1日目、1ラップ目をわずか足つき2回のみの減点2で走破したフジガスは、2ラップ目は減点を増やしたものの、ランプキンの追い上げから1点差で逃げきって優勝。「1ラップ目を減点2で回れるとは思っていなかったので、自分でも驚いた。2ラップ目は路面状態が悪くなってきたし、少し(勝ちを)意識して崩れてしまったが、勝ててよかった。2日目はこういうことがないようにがんばります」と、いよいよ2日間連続優勝を狙うフジガスだった。
そして2日目、再び1ラップ目から単独トップに立ったフジガスは、やはり2ラップ目に減点を増やしてしまった。この2ラップ目はランプキンがなんとオールクリーン(すべてのセクションで減点0)の猛追。ランプキンに同点に追いつかれたフジガスだったが、クリーンの数が2つ多いフジガスが勝利。ついに母国GPで初の2日間完全優勝という快挙を成し遂げた。この瞬間、一気にわき上がるグランドスタンド。父親の由隆さんは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、両手を高く突き上げていた。
ポイントランキングにおいても、フジガスはランプキンと同ポイントに並び、優勝回数が多いフジガスが念願のトップに躍進。チャンピオンの夢を、もてぎで大きく膨らませた。「これで(2日連続では勝てないという)ジンクスがなくなったので、これからどんどん勝っていきたい。精神的に弱いのか、2ラップ目に失敗しましたが、お客さんの応援が励みになりました。もっと勉強して2日間とも崩れないようにがんばります」と語った通り、フジガスは次の第4戦アメリカGPでも2連勝するなど快進撃を続けた。
実はこの年、フジガスは日本GPの前に現夫人の直子さんと入籍。「紙一枚(婚姻届)の重さを、すごく感じた。僕の家族ができた。責任を実感して、精神的に余裕ができた」。彼女のお腹には、初めての子ども・夢奈ちゃんが宿っていた。「この子をチャンピオン・ベビーにしたい」と母国GPに挑んで初めての2連勝を獲得し、第4戦でも連勝したフジガスは、その後も二度と表彰台を逃すことはなかった。ついに迎えた最終戦スイスGPで、日本人として初めてHondaとともに世界の頂点に日の丸を掲げ、トライアル世界チャンピオンを獲得する金字塔を打ち立てたのだ。