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日本GPでは、藤波は“絶対に”2日間とも勝たなければならなかった。想像を絶するプレッシャーがあったはずだ。ところが、なかなか思うようには勝てない。2日間とも優勝を逃がしてしまう過程においては、「心が折れそうになった」ともいう藤波だったが、それでも藤波の心は折れない。折れない心が、見る者に勇気を与えてくれる。ギリギリのところであきらめずに踏んばる強さは、まさに04年チャンピオンとなったときの強さを思い出させる。いや、ボウという最強の敵を脅かすほどの実力は、藤波自身が04年を上回る強さを身につけつつある証ともいえるだろう。結果はともかく、藤波は常に攻めている。彼の走りを見ていれば、その前向きな気持ちがビンビンと伝わってくる。あくまでもポジティブな姿勢は、見ているだけで底抜けに気持ちがいい。どこまでもどこまでも攻める、フジガスの攻めのライディングに、今回は2日間合計1万5000人の観客がくぎ付けとなった。 藤波の歩みは、決して順調とはいえないかもしれない。ドギー・ランプキンという史上最強の敵によって、長年苦しめられてきた。ランプキンから王座をもぎ取ったのもつかの間、4ストロークへの転換期という時代の波にも翻弄された。指の骨折さえなければ……、というアクシデントにも見舞われた。そして何よりも、自らが完成させた新型4ストロークでの王座獲得を、新鋭トニー・ボウにさらわれてしまった。どこかしら不運な一面を感じさせることもある藤波だが、しかし、どんな逆境にも負けてはいない。常に全開で挑戦し続ける藤波の魂に、人々は魅了される。それこそが、“フジガス”の真骨頂なのだ。 実は、08年日本GPにおいてドギー・ランプキンは230戦出場を記録していた。そのランプキンに次ぐ“鉄人”として、日本人初の世界チャンピオンを獲得しただけではなく、日本人ライダーとして初めて世界選手権200戦出場を記録した、藤波貴久の名前は再び歴史に刻まれた。日本人でこれほど世界で活躍したのは、もちろん史上初の快挙になる。そして今、数多くの戦いで鍛えられた“200戦錬磨のフジガス”は、今日もまたタイトル奪還をめざしてHondaの新世代4ストローク・マシンとともに世界に挑戦し続けている。 |
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