![]() 2日目も勝負どころになったのは、「ハローウッズの庭」にある第6セクションの滑りやすい丸太でしたが。 「あそこは2回とも減点5になってしまった。1ラップ目はバイクのアンダーガードを丸太に引っかけていくようにして、落ちそうになっても諦めずに行ったのですが、最後にリアが滑ってしまい落ちたという感じでした。2ラップ目は一気にいったのですけれど、最後まで上りきれずにフロントが落ちてしまって。それを耐えながら後ろに加重もかけていたのですけれども、ダメでしたね」 あの第6セクションでは特に、“フジガス!”“ファイトォーッ!”“がんばれ!”“行け! 行け!”と有らん限りの声で連呼する、観客のみなさんの声援がすごかったですね。 「それは本当に僕にもすごく聞こえてきて、走っている最中にも聞こえてくるぐらいでした。そういうすごい応援があったので、そこでいい結果が出なかったのは残念でした」 同じ「ハローウッズの庭」にある第7セクションの滝上りは、1ラップ目はクリーン。2ラップ目は減点5と、明暗が分かれました。なにしろ1ラップ目は、この滝上りのクリーンを皮切りに好調を重ねた藤波選手が、1ラップ目終了時点でボウと同点でトップに並びました。しかし、2ラップ目はこの滝上りで藤波選手が失敗した時点で、ボウとラガに逆転されてしまう結果となりました。 「滝上りでは1日目も減点5を取っていたので、少しナーバスになっていましたが、1ラップ目はうまくクリーンすることができましたね。2ラップ目はキッカケとなる部分が掘れていたので気にはしていたのですけど、1ラップ目と同じようなリアを当てながら最後まで引っ張るような方法ではいけなかったので、スピードで上がろうとしたのですが、それが失敗の原因になりました。前に進むというよりも、真上に上がる感じになってしまいましたね」 続く第8セクションの崖上りは、2日目も広場を埋め尽くす大観衆が見守る中で、見事に2回ともクリーンでした。 「そうですね。2ラップ目は特に第7セクションで減点5を取ったあとだったので、あそこでクリーンを取らないと波に乗れないと自分でも感じていたので、あそこはもう“身体で持っていく”という感じでした」 そして、「ハローウッズの岩盤」ですが、第13セクションは1ラップ目に誰も上れていなかったところを藤波選手が最初に上って見せたので、観客も拍手大喝采でした。が、2ラップ目は失敗して、女性の観客の方が悲鳴を上げておられたのが印象的でした。ケガはなくてよかったです。 「1ラップ目は崖下のターンで1回足をついていたのですが、岩盤は最後まで綺麗に上がることができたので、上がるときにはやはり余裕で上がるものですよね。崖の下で振られない、滑らない、ということがあったからこそ上がれました。2ラップ目はちょっと時間に焦っていた部分がライディングに出たのかなぁ、と思います。下でリアが振られてしまって、最後まで耐えて上まで上がりきったのですけれど、自分の身体が遅れてしまって、なんとかバイクは崖下に落ちないように放り上げたという感じでした」 最後の第15セクションは、1日目は2ラップ目に減点5を取っていたところだけに、気合いが入ったのではないかと思いますが……。 「1ラップ目はクリーンで、2ラップ目は岩を上がったときに1回足をついて1点でした。あそこはクリーンで終えたかったですね」 こうして2日目を振り返ってみると、競技中盤まで藤波選手がトップに立ち、激しい優勝争いを展開されたわけですが、藤波選手自身は今、どう思っていますか。 「1日目はバイクのトラブルもあって自分のライディングが100%発揮できない状態のまま終わってしまった、という感じでした。2日目は本当にバイクをすごくいい状態にしてもらいましたが、僕の失敗でこういう成績になってしまった。2日目は1日目よりもトップ争いも十分にできたと思うけれど、2ラップ目に崩れて1日目と同じ3位というポジションになってしまい、応援してくれた皆さんに申し訳ない気持ちと悔しさでいっぱいなので、この悔しさをヨーロッパラウンドにぶつけたいと思います」 レース内容はすばらしい優勝争いを見せてくれました。藤波選手は十分に“復活した”といえるのではないかと思いますが。 「そうですね、成績に表れていないのでみなさんに納得はしてもらえないかと思いますが、僕は十分にチャンピオンを取れると今でも思っています。昨年、悩んでいた部分は解消しているので、僕が失敗しなければ勝てるということを証明するためにも、次回からもっともっと勝っていきたいなと思います」 ともあれ200戦出場達成、おめでとうございます。歴史に残る記録を成し遂げた感想はいかがですか。 「16歳(1996年)から世界選手権に参戦して、今年で13年目になります。Honda、HRC、モンテッサ・ホンダ、スポンサーのみなさん、そしてファンのみなさんのおかげでここまで戦うことができました。その200回目を日本で迎えることができるとは思っていませんでした。“200戦目”は区切りではなく、これからもずっと戦っていけるようにがんばります」 |