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 トライアルは、イギリスでは100年ほどの歴史を持つモータースポーツ。日本での歴史は、ざっと30年ほどである。世界選手権初開催が1975年。こちらも、今年はちょうど30年目。トライアルは、モータースポーツの中でももっとも新しいもののひとつだ。
 
 過去には、Honda RTL360を駆ったベルギーのエディ・ルジャーンが82年〜84年の3年連続チャンピオンにもなったが、日本人が世界チャンピオンとなった例はない。日本人ライダーが、日本のマシンで、世界チャンピオンとなる。多くのトライアル関係者にとって、果たせぬ夢物語だった。
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※1 2000年まで、世界選手権といえば1クラスのみで、世界チャンピオンは1年にたった一人ずつしか輩出されていなかった。2000年より世界選手権と併催の形で、20歳以下の選手のためのジュニアカップが誕生し、このクラスでは、2002年に野崎史高(スコルパ)がチャンピオンとなっている。野崎は、2002年より世界選手権に全戦参戦し、2004年ランキングは13位。

 
3歳の頃の藤波選手。父・由隆さんの休日にHonda QR50にまたがりピースサイン。
 30年前、トライアルは遅乗り競争の異名をとっていた。スピードを競う他のモータースポーツと違って、繊細なライディング技術を競うトライアルは、ややもすると地味なイメージで見られがちだった。しかし決められたコースを走りセクションをめぐり、足をつかないよう、転倒などの失敗がないよう、細心の注意を払って走破するこのモータースポーツは、とても奥が深く、楽しい。今から25年ほど前、そんなふうにトライアルを楽しんでいたのが、藤波貴久の父親、由隆さんだった。
 
 しかし、由隆さんからトライアルの楽しみを奪う者が現れた。まだおむつもはずれないくりくり坊主の貴久が、補助輪を外して自転車に乗り始め、オートバイにも乗り始めたからだ。お父さんの仕事中は、くりくり坊主は自転車で走り回る。そしてお父さんが休みになれば、子ども用QR50で山を走り回った。由隆さんは目を離すとどこまでも走っていってしまう息子を追いかけ、自分の練習どころではない。
 
自転車トライアル世界選手権プッシンクラス(10歳以下)に初参戦。当時9歳。
 親と子の楽しいオートバイ遊びに、目標が現れたのは、藤波貴久7歳のとき。黒山健一と、その父親一郎さんの登場である。1976年と1981年の全日本チャンピオン黒山一郎さんが、武者修行の世界選手権から帰国して、自転車のトライアルを始めるという。この呼びかけに、健一と同じくらいの年齢の子どもを持つ親は、嬉々として駆けつけた。
 

 黒山健一はひょんなことから自転車の世界選手権に参戦していて、すでに世界チャンピオンになっていた。黒山健一の英才教育のため、そして次期トライアル界を席巻するため、黒山一郎さんは同年代の子どもたちを集めて特訓を始めた。集まった中には、貴久のほか、先の日本GPでRTL250Fをデビューさせて9位入賞した小川友幸もいたし、その小川と全日本で激しい闘いを繰り広げる田中太一もいた。2002年ジュニアチャンピオンの野崎史高も、少し後に仲間に加わった一人だ。彼らは一緒に練習し、技を磨き、そして世界選手権に出かけた。自転車トライアルは年齢別に競われる。少しずつ年齢の違う彼らは、それぞれのクラスで世界チャンピオンを目指した。
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