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 日曜日、藤波がチャンピオンになるための条件は、あと1点。つまり15位入賞だ。走ってさえいれば、藤波がポイントを失うことは、まずない。ロードレースやモトクロスでは転倒リタイヤの心配もあるが、トライアルでは、その心配もまずない。転倒は日常茶飯事だが、それでリタイヤに追い込まれたことは、かつてない。マシントラブルが発生しても、チーム体制は万全。随行しているジョセップ、アレックス、サンティの3人のメカニックには、藤波は絶対の信頼を抱いている。
 もはや、タイトルは事実上獲得したも同然だった。口には出さなかったが、藤波自身も、土曜日の時点で、翌日のチャンピオン獲得を実感していた。あとは、最後の試合をどのように締めくくるかが、勝負だ。
 日曜日、しかし藤波は、三たび第3セクションで5点を取ってしまった。しかもこの日は、藤波にとってついていないことに、前日の難セクションぶりを鑑みて、セクションが全体にやさしくなっていた。セクションを進むに従って、藤波は第3セクションでの5点が、取り返しのつかないものであることを思い知らされていく。
 それでも、1ラップ目が終わったとき、藤波はランプキンに次いで2位の位置をキープした。ランプキンには3点差。もちろん、勝利のチャンス充分の点差だ。チャンピオンシップでやるべきことは、すべてやり尽くしている。残る最後の仕事は、有終の美を飾ることだ。3点差を追って、藤波の2004年、最後のラップが始まった。
 しかしそれは、ランプキンにとっては、チャンピオンとしての最後のラップでもあった。ランプキンは、ラガとの間に繰り広げられている、ランキング2位争いの渦中にいる。もはやランプキンの勝負は藤波とのチャンピオン争いではなく、よりよいポジションでこのシーズンを終わることだった。そこに、チャンピオンとしての最後の意地があり、ランプキンのすべてが、そこに集中していた。



 2ラップ目の藤波は、1ラップ目のランプキンと同点の8点で帰ってきた。しかしランプキンは、このラップをたったの1点でまとめてきた。トータルでは、10点差。この日に限って、藤波はランプキンに完敗だった。今年、ランプキンの勝ち星は4つ。そのうちのふたつを、最終戦スイスで勝ち取ったことになる。
「セクションを見たとき、今日はオールクリーンをするつもりじゃないと勝てないと思った。ぼくにはそれができず、ドギーはほとんどやりとげてきた。いつもと同じように戦えたかと言われれば、いつもとちがうような気も少しあって、これがチャンピオン決定のプレッシャーだったかもしれないけど、でも、ドギーの今日の戦い方を見れば、ぼくはまだまだ青い」
 チャンピオンとなって、藤波は最後の戦いを振り返った。最後のセクションを走り終えたときの藤波の深い深呼吸は、そんなこの日の戦いを象徴しているようでもあった。
 ゴールには、由隆さんがHondaの旗と日の丸を掲げて待っていた。ふたつの旗には、これまで藤波をずっと支え、見守り、叱咤激励してきたHRCはじめ、Hondaの面々の寄せ書きが記されていた。
 藤波は言う。「ぼくをランキング2位にしてくれたのは、お父さん。そこから先は、みんなの力があってこそ」。藤波は、そのみんなのもとへ、チャンピオンとなって、戻ってきた。
 由隆さんは、藤波のサポートから離れ、去年はもてぎの1戦と、最終戦のみに顔を出した。もてぎではサポートをし、最終戦の土曜日は全セクションを観戦し、日曜日は最後のサポートを担当もした。しかし今年は、もてぎでのサポートからも退いた。すでに藤波チームは、藤波とジョセップの間に、強力な体制が作られていた。

 息子が長年の夢だった世界チャンピオンになるその当日、由隆さん、母博美さんは、ついにセクションをひとつも見ることがなかった。彼らは、ゴール後におこなわれるパーティの準備に忙しかったのだ。大奮発した上等のハモン(豚の足まるごとの薫製)を1枚1枚ていねいにカットし、赤飯を炊き、先に帰って順にマシン、整備台、工具を片付け、テーブルを並べた。
 8年前、はじめて世界選手権にやってきた親子は、パドックの中で、いつも一番最後まで作業し、どろんこだった。由隆さんが、試合中にハモンをスライスするなんて、考えられなかった。今、試合中にせっせと上等の薫製をスライスしながら、由隆さんは8年間の世界選手権を振り返りつつ、チャンピオンになって帰ってくる息子を待つことになった。
 今年もてぎで、藤波がパーフェクト優勝を果たしたとき、由隆さんは男泣きに泣いた。でも今回、その目に涙は見られなかった。「もてぎのは雨。今日はいい天気だから」と由隆さんはうそぶいた。でもきっと、誰の目もない試合中のパドックで、ハモンをスライスしながら、たっぷり泣き尽くしていたんじゃないだろうか。ごちそうになったハモンは、たいへんにおいしくて、そしてちょっぴり塩っ辛かった。パーティには、フジガス・チャンピオンのTシャツを着て、やはりおいしそうにハモンをほおばるランプキンの姿もあった。
 この日、スイスでは、ひとり、またひとりと帰路につくパドックにあって、藤波貴久のモーターホームの周囲では、いつまでもにぎわいが絶えなかった。8年前のあの頃と同じように、寝につくのは藤波家が最後のようだ。

 藤波貴久。そのチャンピオンは、ライディング技術やメンタリティの強さはもちろん、彼の人をひきつけてやまない、その個性に与えられたものといっていい。貴族的で優等生のイギリス人、ランプキンとはちがう。
 世界トライアルは、藤波貴久のタイトル獲得で、新しいニッポン人を王者に迎えた。
 
■2004年ポイントスタンディング

ライダー 総合 アイルランド ポルトガル 日本(もてぎ) アメリカ フランス アンドラ イタリア スペイン スイス
D1 D2 D1 D2 D1 D2 D1 D2 D1 D2 D1 D1 D2 D1 D1 D2
藤波貴久 282 20 13 11 17 20 20 20 20 15 20 17 17 20 20 15 17
 ポイント小計 20 33 44 61 81 101 121 141 156 176 193 210 230 250 265 282
D.ランプキン 266 17 20 15 15 17 17 13 17 17 17 9 20 17 15 20 20
 ポイント小計 17 37 52 67 84 101 114 131 148 165 174 194 211 226 246 266
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