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 今だから言える。藤波は、実は2001年に3回目のランキング2位となったとき、このままではまずいと思った。このまま続けていては、ランプキンには勝てないままで、ランプキンがポジションを落とすときには、藤波もいっしょにポジションを落としていきそうな気がした。「なにかを変えなければ、チャンピオンにはなれない」
 その思いが、全日本選手権からの撤退を決め、親子3人での参戦から、貴久とジョセップを軸にしたチームの変革を決断させた。
 2002年から2003年、藤波の実力はぐんぐんとあがった。チャンピオン候補と言われながら、2001年にはわずか2勝。しかし2002年には4勝をあげ、2003年にはシーズン最多の6勝をあげるに至った。ここへ来て藤波は、ようやく名実共にチャンピオン候補になった。それでも、藤波は勝てなかったのだ。1年前の最終戦。藤波ははじめて、チャンピオン争いに敗れたくやしさを噛み締めた。

 あの日から1年。藤波のコメントは1年前のあの日と、同じ。「タイトル目前の緊張感はない。いつもとぜんぜん変わらない」。
 去年も同じことを言っていた点について藤波は、1年前と同じだと思ってもらっては困る、と言いたげながらにこっと笑って「去年と同じ走りをしてもチャンピオンにはなれるし」と返してきた。去年は10点を追いかける立場、今年は24点を守る立場。同じチャンピオン候補でも、その内容はまったくちがう。しかしそれ以上に、藤波の中の気持ちが、大きく変わっていた。
 土曜日の藤波は、いまだかつてないくらいに、からだが最初から動いていた。1996年からパートナーシップをとり、今シーズンは藤波の戦いにほとんど同行してサポートを行ったトレーナーの鎌田貴も、この日の藤波のからだの動きには目を見張った。鎌田は藤波のからだを知り尽くしている。からだの動きを見れば、その日の好不調はすぐにわかる。この日の藤波は、絶好調だった。

 第1セクションをクリーン、第2セクションの出口で安全策をとって1点。ここまではなんの問題もなく、チャンピオンの王道的戦いぶりだった。しかし第3セクションで5点。サポートとの連携にミスが出て、1分半のセクション持ち時間を把握しないままの、タイムオーバーだった。ケアレスミスのような5点だが、ケアレスミスはいつでもある。そのミスを、いかに致命傷とせずに試合をまとめるかは、これまでさんざん学習したところでもある。
 しかしこの日の藤波は、この5点で狂った歯車を、そのまましばらくまわし続けることになった。1ラップ中盤で5点を連発した藤波は、後半の難セクションの連続クリーンでやや巻き返し。ランプキンに5点差、ラガに2点差、カベスタニーに1点差の4位で試合を折り返した。この1年の戦いぶりからして、トップに5点差なら、充分勝利のチャンスがある。ところが。
 鬼門の第3セクションで、藤波は再び5点を喫してしまった。鬼門といっても、藤波以外で5点を取っているトップライダーはほとんどいない。さらにその次の第4セクションでも、5点だ。藤波の出鼻は、ここで再びくじかれた。
 その後は5点も取らず、こつこつと挽回に努めていくが、ランプキンとラガを追いつめることはできず、ランプキンに11点、ラガに9点の差で、3位。ランプキンの獲得ポイント、20点。ラガ17点、藤波15点。ランプキンに対して24点あったリードは、これで19点差に縮まった。いまだ圧倒的リードには変わりない。しかし、土曜日にチャンピオンシップに決着を付けるには、この時点で20点のリードがなければいけなかった。藤波のチャンピオン決定劇は、日曜日に持ち越された。

 波に乗れそうで乗れず、モチベーションを保つのがすごく苦しい戦いだったと、その夕方、藤波は語った。チャンピオン獲得がかかった、むずかしい試合である。3位表彰台に登ったその事実が、去年の藤波に対して、大きな成長を物語っていた。しかし、勝てる試合を落としたのも、また事実だった。
 
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