SUPER GT 2013 GTプロジェクトリーダー 松本雅彦 現場レポート
vol.79 2013年シーズン総集編(後編) サイドエキゾーストに隠された開発ストーリー 40psの馬力低下に立ち向かう

 前回は、2013年シーズンを前にして、サイドエキゾーストとフロントラジエーターの採用を決断するまでの葛藤についてお話ししました。シーズン総集編の後編となる今回は、そのあとの開発をどのように進めていったかについてご説明しましょう。

 風洞実験やシミュレーションなどを重ねるうち、2012年末にはサイドエキゾーストとフロントラジエーターを採用しても、ダウンフォースとドラッグをそれまでと同レベルに維持できることが確認できました。通常、新型車の開発では前作を上回る性能を引き出すことが目標となりますが、フロントラジエーターを採用すれば重心が下がるほか、車体後部への一本出しだったエキゾースト系を、サイドエキゾーストに改めるだけでも10kg単位の軽量化が図れます。このほか、2013年にはエアリストリクターが2サイズアップとなり、これだけでおよそ40psのパワーアップを果たせることが分かっていました。このため、2013年シーズン開幕の段階でエアロダイナミクスが前年の同時期でも、そのあとの開発によって十分な性能改善が図れると見込んでいました。

 ところが、風洞実験を進めるうち、テールパイプの位置をどこにするか、さらには排ガスを車体に対してどのような角度で排出するかによって、空力特性が大きく変化することが明らかになります。ご存じのように、テールパイプからは排ガスが勢いよく吐き出されます。この勢いをうまく活用すれば、その周囲にある空気の流れも一緒に加速させることができます。この原理を用いて、車体前部の低い位置を流れるエアフローをボディの外側に向けて排出させると、フロントのダウンフォースを向上できることが明らかになりました。そこで私たちは、テールパイプをどこに置き、どの向きに排出させれば最も効率よくダウンフォースを増やせるかを、風洞実験によって解明していきました。

 やがて正解が導き出されました。HSV-010 GTのボディーサイドには、前輪の直後にスリット上のエアアウトレットが設けられていますが、テールパイプをこの付近に、ボディーの外側に向けてやや強い角度をつけて排ガスを吐き出すと、フロントダウンフォースを大きく増強できることが分かったのです。このレイアウトを、仮に“空力優先”と名付けましょう。それまで私たちはエンジン出力を優先してエキゾーストパイプのレイアウトを検討していました。この場合、テールパイプの位置は“空力優先”よりもやや後方の、ドア下にあたる低い位置となります。これを仮に“出力優先”と呼ぶことにします。

 エキゾーストパイプのレイアウトを“空力優先”とすべきか、“出力優先”とすべきか、私たちは迷いました。“空力優先”にすればエアロダイナミクスが改善され、より好ましいハンドリングを実現できると予想されましたが、それがどの程度なのか、もしくはドライバーの感覚にマッチしたものなのかどうかを確認するには、実車でテストしなければならず、そのためにはエキゾーストパイプを実際に試作しなければいけません。一方で、2013年シーズンに向けてはこれ以外にも大規模なレイアウト変更を実施していたので、開幕戦まで残された時間はごくわずかとなっていました。そこで私たちは、エアロダイナミクスの効果を見極めるため、“空力優先”としたエキゾーストパイプの暫定版を作り、開幕戦直前に岡山国際サーキットで行われた合同テストに持ち込むことにしました。

 この“空力優先”の暫定版は、まだエンジン出力を向上させるためのチューニングが施されておらず、文字どおりの“暫定版”で、同時期に開発されていた“出力優先”のエキゾーストパイプを用いた場合に比べると、最高出力は40psほども低くなっていました。40psといえば、前述した通りエアリストリクターの2サイズダウンに匹敵する出力差です。別のいい方をすると、私たちは1年間の開発でエンジン出力を20psほど高めているので、2年分の開発が丸々消え去るのと同じことになります。「いくらエアロダイナミクスが多少よくなっても、こんなに馬力が低下してしまっては使い物にならないはず」。 正直にいえば、私たちはそんな見方をしていました。そこでチームやドライバーには「エアロダイナミクスの実験としてこのエキゾーストパイプを使ってみますが、もしもまともに走らないようであればすぐに取り外します」と説明した上で、テストに臨むことにしました。

 ところが、どうしたことでしょう。ドライバーは“空力優先”のエキゾーストパイプをすっかり気に入ってしまい、結局この日は“出力優先”を使うことなく、ずっと“空力優先”のまま走り続けたのです。普段はエンジンパワーに対して敏感なドライバーたちが、実に40ps低下してもこちらの方がいいと訴えた。これで私たちの開発方針は決まりました。テールパイプの位置と角度は“空力優先”でいく。ただし、エンジン出力に関してはエキゾーストパイプのレイアウトを改良することにより、“出力優先”との差を最小限に抑える。これはエンジン開発部隊にとって極めて難しい要求でしたが、彼らならやり遂げてくれるだろうと私は確信していました。あるいは、私自身がもともと“エンジン屋”で、40psを取り戻す作業の難しさをおおよそ把握していたからこそ、この指示をできたともいえます。いずれにせよ、これで開発方針は決まりました。あとはそれぞれの領域から最大限のパフォーマンスを引き出すべく、開幕戦まで懸命に開発を続けていくのみです。

 それでも“空力優先”のエンジンチューニングは困難を極めました。開幕戦で用いるエキゾーストパイプが完成したのは、レースウイークの後半に入ってから。この状態でもまだ40psを取り戻すには至っていませんでしたが、私たちはできあがったエキゾーストパイプを手持ちで岡山まで運び込み、ギリギリのタイミングでマシンに装着しました。結果は#100 RAYBRIG HSV-010(伊沢拓也/小暮卓史組)が優勝し、#17 KEIHIN HSV-010(塚越広大/金石年弘組)が2位というもの。サイドエキゾーストとフロントラジエーターの採用という大胆な改良、そして“空力優先”のエキゾーストパイプが威力を発揮してくれた成果です。しかも、従来に比べるとマシンセッティングは短時間で確実に仕上がるようになっていました。つまり、私たちが狙った通りのHSV-010 GTが完成したのです。このとき、私たちは「今シーズンはタイトルを奪還できる」という力強い手応えをつかむことになりました。

 しかし、私たちはそのあとも開発の手を休めませんでした。特に空力開発は念入りに行い、2013年シーズン中にダウンフォースを15%以上も増やしながら、ドラッグを7%以上も下げることに成功します。これを実現するため、さまざまな空力パーツが試作されました。ただし、いくら風洞実験を経て実車に装着されるといっても、実際に期待通りの効果を発揮するのは10のうち3つあればいい方。残る7つは、開発者の努力もむなしく、実戦に登場することなく消えていってしまうのです。

 これとあわせてエンジンのパワーアップにも取り組み、シーズン中盤に投入した仕様では、当初の“出力優先”と同等の最高出力が得られるようになりました。そうです、ついにあの“40ps差”を、エンジン技術者たちは取り戻してくれたのです。こうした積み重ねが効を奏し、シーズン後半にはこれまで苦手とされてきた富士スピードウェイでもライバル勢と全く互角のストレートスピードを手に入れるまでになりました。

 しかし、その一方でチャンピオン争いでは思うような戦いができませんでした。マシンの仕上がりがよく、開幕戦を白星で終えた#100 RAYBRIG HSV-010は、シーズン半ばを迎えると次第に歯車がかみ合わなくなり、優勝のチャンスを何度も取りこぼしてしまいます。一方、彼らに続くと期待されていた#17 KEIHIN HSV-010は、予選一発のスピードが思わしくなく、毎戦中段グリッドからのスタートを余儀なくされました。これでは、いくら決勝中のペースが速くても勝利には手が届きません。研究所と協力して彼らがこの問題を克服したのは、シーズン後半に入ってからのことでした。

 Honda勢として初めてミシュランタイヤを装着することになった#18 ウイダー モデューロ HSV-010(山本尚貴/フレデリック・マコヴィッキィ組)の活躍にも、大いに期待を寄せていました。ただし、ミシュランタイヤが本当の意味でそのパフォーマンスを発揮するのは気温が上がる夏の時期です。実際、彼らは真夏の鈴鹿1000kmで優勝してくれたのですが、それ以外のレースでは、やはり歯車がかみ合わなかったように思います。これまでマシンの仕上がりに不安を抱えていた#8 ARTA HSV-010(ラルフ・ファーマン/松浦孝亮組)も今シーズンは大幅に進化し、大荒れとなった第4戦菅生では久々の優勝も果たしてくれましたが、シーズンを通じて上位争いをするまでには至りませんでした。苦戦したのは#32 Epson HSV-010(道上龍/中嶋大祐組)も同じで、タイヤと路面コンディションのマッチングを図れず、毎戦不本意な戦いを強いられました。このチームは、決勝中に一雨くれば優勝争いに絡む実力を有しているのですが、昨シーズンと異なり、2013年は一度もウエットレースがなかったことが彼らの足を引っ張ったようです。

 このように、各チームはさまざまな事情を抱え、一年を通して安定した成績を残すことができませんでした。Hondaとしてはシーズン3勝を挙げ、毎戦のように表彰台に上がることで、HSV-010 GTのパフォーマンスを遺憾なく発揮することができました。しかし、勝ち星が各チームに散らばってしまった結果、チャンピオンには手が届きませんでした。このことは、私たちの反省材料として残っています。また、ファンの皆さまにはご期待に添うことができず、申し訳ありませんでした。ここで改めてお詫び申し上げます。

 さて、シーズン終了後の11月30日、ツインリンクもてぎで恒例の「Honda Racing THANKS DAY 2013」が開催されました。このときはHSV-010 GTに助手席を取り付け、一般のお客さまにもGTマシンのパフォーマンスを味わっていただく機会を設けたのですが、ファンの皆さまに乗っていただく前にまずは自分がと思い、伊沢選手のドライブする#100 RAYBRIG HSV-010、それに塚越選手がステアリングを握る#17 KEIHIN HSV-010の2台に同乗しました。

 それぞれ1周ずつ、それもショートコースで折り返してくるというごく短い距離を乗っただけですが、自分で申し上げるのも変な話ながら「私たちはとてつもないマシンを開発しているんだな」と心底思いました。もはや、あの運動性能、コーナリングスピードは“ハコ”のレーシングカーではなく、フォーミュラカーのレベルです。加減速時の前後G、それにコーナリング時の横Gはいずれもすさまじいもので、助手席に腰掛けた私は身体を支えるだけで精一杯。中でも強烈だったのが1コーナーに向けてのフルブレーキングで、私は姿勢を維持するのが精一杯で、ブレーキングが終わるまで元の姿勢に戻れなかったほど激烈な減速Gを味わいました。自分自身が想像していたGよりも、はるかに高い印象を受けました。それにも増して驚いたのが、このときドライバーが発したコメントです。塚越選手は「ハンドリングがアンダーステア」と指摘していましたが、私には全くアンダーとは思えませんでした。そこで改めて彼に確認したところ、「1コーナーと2コーナーの間で瞬間的に加速する区間がありますが、アンダーステアのせいで、このときスロットルを踏み込むタイミングがコンマ1〜2秒ほど遅れてしまいます」との答えが返ってきました。私は、塚越選手のコメントを聞いてしばらく反すうし、ようやくその意味を理解しました。けれども、それは本当に瞬間的としか思えない動作の一つでしかありません。ところが、GTドライバーたちは激しい前後Gと戦いながら、そうした一瞬一瞬の状況に的確に対処しつつ、さらにそれらを記憶して、あとで私たちに報告できる能力を有しているのです。しかも、1分や2分の短時間ではありません。通常のシリーズ戦でも300km、一番長い鈴鹿大会では1000kmを走るのです。その俊敏な対応力、集中力、そして持久力は本当に驚くばかりだと、このときの同乗走行を通じて再認識しました。

 いずれにせよ、HSV-010 GTと戦った4シーズンはこれで幕を閉じました。2014年からは「NSX CONCEPT-GT」とともに新しい戦いが始まります。私たちはチームやドライバーと一丸となり、NSXの名に恥じないレースを皆さまにご披露すべく、全力で開発に取り組んでおりますので、引き続きのご声援をどうぞよろしくお願い申し上げます。