GTプロジェクトリーダー 瀧敬之介 現場レポート
vol.38 2011年シーズン総集編 後編

JAFグランプリで花開いた戦術力の強化
より速く、より逞しくなって2012年シーズンに挑む

 タイトル防衛を目指して挑んだ2011年のSUPER GTで、我々は目標を達成できませんでした。その理由のひとつは、十分な走り込みができないまま開幕を迎えてしまったことでした。昨年、HondaはGTマシンをミッドシップ(MR)のNSX-GTからフロントエンジンリアドライブ(FR)のHSV-010 GTに切り替えました。そして今年、HSV-010 GT での走行実績やデータが少ないまま、さらなる性能進化を求めて我々はマシンをサイドラジエター化する大手術を敢行。当然、シーズン前には十分な走り込みを行う計画でしたが、残念ながら春の公式テストがキャンセルされ、データの蓄積が十分にできませんでした。さらに緒戦となった第2戦富士大会、そこで我々を待ち構えていたのは、雨の中でフロントウインドーが曇るという実に初歩的なトラブルでした。その後のレースでも、データ不足がたたって気温や天候にクルマを合わせ込むことができず、HSV-010 GT本来の速さを十分発揮できないままタイトルを逃してしまいました。

 今申し上げたことはいずれも事実なのですが言い訳でもあり、理由がどうあっても我々が敗れたことは紛れもない事実だと捉えています。ですから、こういったことが起きても勝ちを狙える様になるために、我々が今季取り組んできたHondaを一層強くするためのテーマでもある、いわば改革ともいえる努力の一部を、Hondaファンのみなさんだけには伝えなくてはならないと思います。その前に、今季のいくつかのトラブルについて、もう少し説明を加えておきましょう。

 始めに、第2戦富士大会でフロントウインドーが曇ってしまった件ですが、富士スピードウェイはストレートが長いために最高速度の伸びが重要となり、どの陣営も“富士エアロ”と呼ばれる特別なエアロパッケージを用意します。当然、我々も2011年バージョンの“富士エアロ”を開発し、風洞実験では非常に優秀なデータを得ていました。それは「これであれば勝ちを狙える」と思えるほどの仕上がりだったのです。ところが、決勝は雨……しかも、セーフティカーに先導されてのスタートとなったため、低い車速が長く続いたことで、フロントウインドーが曇るきっかけができてしまいました。この経験をふまえ、いまではフロントウインドーの曇りを防ぐ確実な対策が施されていますが、富士の時点ではまったく無防備なままで、現場は大混乱に陥りました。たとえシーズン前にテストができていたとしても、そこで雨が降ったかどうかはわからないので何とも言えませんが、「もしもテストさえできていれば……」という思いは拭いきれません。しかし、「そこまで考えが至らなかった……」のも事実だとも考えています。

 さらに夏ごろにはブリヂストン・タイヤのスペックが未経験のものとなりました。我々にとっては不確定要素がもうひとつ増えた格好でしたが、タイヤテストの中で予想以上の好結果を得られるタイヤスペックが見つかりました。そこで、9月に行われた第6戦富士大会に投入したところすばらしい性能であることが確認できたので、続いて開催された第7戦オートポリス大会にも自信を持ってこのタイヤを投入しました。ところが、タイヤかすがタイヤ表面に付着したままとなってグリップが低下するトラブルが発生し、我々は惨敗を喫します。このタイヤかすや自分のトレッドゴムがトレッド表面に付着してはがれない症状はオートポリスで初めて発生したもので、それ以前はテストでもレースでも経験したことがありませんでした。つまり、我々にとっては青天の霹靂だったのです。しかも、事前のテストと第6戦富士では確かな手応えをつかんでいたため、いざというときのために別スペックのタイヤを用意することさえしていませんでした。

 この第7戦オートポリス大会に限らず、我々は奇をてらうことなく正攻法でシーズンを戦っていったので、サーキットに持ち込むタイヤも予想されるコンディションにあったものに的を絞り、あえてギャンブルを期待するようなタイヤチョイスは行いませんでした。ところが、2011年シーズンのレースはどれも季節外れの天候ばかり。しかも、公式練習、公式予選、決勝でドライコンディションとウエットコンディションが混在するケースが大半を占め、しっかりとデータをまとめてから次の一手を検討するという戦い方ができませんでした。FRでの走行実績が少ない上、大幅な仕様変更を行ったHSV-010 GTでの「走らせ方」をまとめ上げることができなかったということです。

 このようになかなか思い通りに走らせることができないままにシーズンを戦いながら、我々も手をこまねいていたばかりではありません。シーズンを通して、Hondaを一層強くするために続けてきた努力のひとつに「いかにタイヤを使うか」というのがあります。それは、どんな事態になっても柔軟に対応できるよう、どのタイヤをどのように使い、セッティングはどうすればいいかなどの判断を、確実にできる解析体制を構築していました。私はマシンの速さを追究するだけでなく、チームの総合力や戦術的な力を鍛え上げる必要があると常々考えていましたが、こうした体制の構築はその一環だといえます。
 ただし、どんなにすばらしい体制を作り上げても、コンディションがウエットからドライに、もしくはドライからウエットへと変わってしまってはうまく機能しませんでした。セッションごとに天候の変化が多かった2011年シーズンのレースでは、この体制を生かすことができないまま、シーズンを終えてしまったのです。

 しかし、シーズン終了後のJAFグランプリでは、この解析体制が存分に活躍しました。金曜日は雨、続く土曜日の午前中も雨こそ上がったものの路面はウエットコンディションという状況の中、公式練習と公式予選が行われました。一方、決勝レース1が始まる土曜日の午後になるとコースはドライとなり、決勝レース2が行われる日曜日も引き続きドライコンディションに恵まれました。したがって、ウエットコンディションの公式練習と公式予選で得たデータを決勝レース1に反映させることはできませんでしたが、決勝レース2では決勝レース1のデータを活用した判断ができたのです。
 この結果、決勝レース2で伊沢拓也選手が乗る#100 RAYBRIG HSV-010が優勝、金石年弘選手が駆った#17 KEIHIN HSV-010も3位に食い込んでくれました。前日の決勝レース1では#100 RAYBRIG HSV-010が8位、#17 KEIHIN HSV-010は11位でしたから、大躍進といっても過言ではありません。
 そしてこの躍進は、前述した解析体制で判断したセッティング変更とタイヤチョイスの結果だったのです。その意味からいえば、決勝レース1で#100 RAYBRIG HSV-010と#17 KEIHIN HSV-010を走らせた山本尚貴選手、塚越広大選手がしっかりとデータを収集してくれたからこそ、伊沢選手と金石選手は好成績を挙げることができたともいえます。

 先ほども少し書きましたが、これまでのHondaは速いマシンを作ることに多くの勢力を割いてきました。もちろん、それはモノづくりの精神を大切にするHondaにとって正しい道筋なのですが、常にレースでは勝ちを目指すのもHondaの精神です。
 速いマシンさえあれば、条件がそろったときには勝てるでしょう。しかし、これでは自分たちにとって不利な条件となったとき、もしくは状況が刻々と変化していくようなときに思うような結果を残すことができず、安定した結果は得られません。2011年シーズン、#1 ウイダー HSV-010(小暮卓史/ロイック・デュバル組)は2勝を挙げました。チャンピオンチームは1勝しただけでしたが、彼らは全戦でポイントを手に入れていました。一方、#1 ウイダー HSV-010はノーポイントに終わったレースも3戦ありました。つまり、ただ勝つだけではダメなのです。勝ったうえで、どんなときにも安定してポイントを獲得する。それは速さだけではなく、そうした盤石の体制もなければ実現が難しく、つまりチャンピオンにはなれないということなのです。

 これも前述したとおり、私はマシンの進化と並行して、チーム力ならびに戦術面の強化に取り組んできました。残念ながら、今季はそれを成績によって証明することはできませんでしたが、JAFグランプリの結果は、我々がこの面でも着実にステップアップしてきたことを示していると思います。2012年には一層の飛躍が期待できるでしょう。
 最近のSUPER GTには妙なジンクスがあって、GT500ではニッサン、トヨタ、Hondaが順番にタイトルを獲得するとされています。振り返ってみれば、2006年からトヨタ−Honda−ニッサンの順番で回って来て、そして2011年はニッサンがチャンピオンを生み出しています。
  我々は、このジンクスを覆すべく、2011年はタイトル連覇を目標に掲げました。残念ながらこれは達成できませんでしたが、2012年にタイトルを奪回してもジンクスを破ることになります。来季は、この目標にチャレンジするつもりです。そのために、今後はマシンの大幅な進化とチーム力、戦術力のさらなる強化に取り組んでいくことになります。
 2012年、Honda GTプロジェクトの新たなるチャレンジにどうかご期待ください。1年間のご声援、本当にありがとうございました。