GTプロジェクトリーダー 瀧敬之介 現場レポート
vol.37 2011年シーズン総集編 前編

サイドラジエター化が生み出したHSV-010 GTの進化
セッティング要素の拡大を速さに結びつける

 今回から2回に分けて2011年シーズンを振り返る総集編をお届けしましょう。その前半となる今回はどのようにHSV-010 GTを改良して2011年を迎えたかについてお話しし、次回は改良されたHSV-010 GTでいかにシーズンを戦ったかをご説明したいと思います。

 2011年型HSV-010 GTの最大の特徴は、ラジエターを車両前端から前輪の後ろ側に移設した“サイドラジエター化”にあります。内部を水で満たしたラジエターの重さは10kg近くになります。これを車体の中心部に近づけることにより、いわゆるヨーモーメントを小さくしてマシンの応答性を向上させることがサイドラジエター化の狙いでした。

 ただし、以前にもお話ししたとおり、ラジエターを前輪の後ろ側に移設してもヨーモーメントは数%程度しか改善されず、ラップタイムシミュレーターにかけてもその変化はほとんど数値に現われません。にもかかわらず、なぜ大規模な改造が必要なサイドラジエター化に踏みきったかといえば、ドライバーが気持ちよく乗れるクルマにしたかったからでした。

 もう少し詳しくご説明しましょう。
 昨年、HondaのGTマシンはミッドシップ(MR)のNSX-GTからフロントエンジンリアドライブ(FR)のHSV-010 GTに切り替わりました。FRはスタビリティを高くしやすいという長所がありますが、その半面、MRに比べるとヨーモーメントが大きいために操舵初期のレスポンスが鈍く、ドライバーの期待からやや遅れてマシンが反応する傾向があります。
 いま、私は“遅れ”と書きましたが、現実的なクルマの動きとしての“遅れ”はごくわずかなものでしかありません。けれども、このわずかな遅れの違いが、ドライバーに「思い通りに動くクルマ……」だったり「動かないクルマ……」という印象を与えます。すると、思い通りでないクルマの場合は走りに勢いがなくなり、ラップタイムは伸び悩むことになります。反対に、自分のフィーリングにあった動きをするクルマを与えられると、ドライバーは「意のままに動く……」感覚を覚え、自分のマージンを無意識のうちに削り取り、より速く走れるようになります。つまり、たとえ物理的な限界がまったく同じだったとしても、ドライバーのフィーリングにマッチして気持ちよく感じるクルマのほうがより速く走れる可能性が高くなります。

 実は、これはレーシングカーに限ったことではなく、量産車を含めて、私自身が考えているクルマづくりの原点です。だから、ドライバーが、気持ちよく運転できるクルマづくりを目指し、いままで実現できなかった結果を引き出すために、技術者としてできる限りの可能性を追求したい。これがHSV-010 GTをサイドラジエター化するきっかけでした。

 完成した2011年モデルのHSV-010 GTをテストしたところ、ほぼ半数のドライバーは乗ってすぐに「乗りやすくなった」と言ってくれました。彼らはコーナーの進入、別の言い方をすれば操舵時のレスポンスを重視するタイプだといえるでしょう。しかし、最終的にはすべてのドライバーがその特性を受け入れてくれたと思っています。

 新しいHSV-010 GTを走らせていくうち、当初は考えていなかった物理的な面でもメリットがあることが明らかになりました。
 まず、サイドラジエター化によって冷却効率が向上し、このため状況によっては従来仕様より数kg軽い小型のラジエターが使えるようになりました。もっとも、SUPER GTではマシンの最低重量が決められているので、ラジエターを小さくしてもそのままの軽い状態でレースを戦えるわけではなく、軽くなった分と同じ重さのバラスト(重り)をどこかに積まなければなりません。しかし、バラストを積む位置を工夫するとマシンの重量配分が変わり、操縦性の微調整が可能となります。つまり、セッティングの自由度が増えたことになりました。

 また、サイドラジエター化にともなって空気の流れ方に変化が起こり、結果としてリアウイングの効率が向上するという副産物も得られました。おかげで、従来よりもリアウイングの使い方に自由度が増して、いくつかのリアウイングを使い分けることで、セッティングの幅が広がりました。

 さらに今年は、よりFRの特性を生かせるようにデフの設定にも手を加えるようになりました。ミッドシップのNSXは、コーナーの進入では鋭い反応を示しますが、脱出はどうしても不安定になりがちです。ですからデフはコーナー脱出時の安定性を最優先することとなります。しかし、FRのHSV-010 GTはコーナー脱出時の挙動が安定しているため、デフは従来と違ってコーナー進入時の安定性側に使うこともできます。

 こうして、2011年はどのラジエターを使うか、どのリアウイングをどのようにして使うかのほか、デフの設定をどうするかといった要素が加わった結果、セッティングには今まで以上の高い技術力が求められるようになりましたが、よりきめ細かいセッティングが可能となったのです。結果的に、HSV-010 GTはセッティングのスイートスポットが非常に広くなり、コンディションの変化にもあわてることなく、どっしりと構えてレースを戦えるようになったといえます。

 たとえば、第5戦鈴鹿大会の決勝。そのレース終盤は雨が止み、路面がどんどん乾いていく状況となりました。このとき、首位を走る#1 ウイダー HSV-010(小暮卓史/ロイック・デュバル組)はウエットタイヤを装着していましたが、スリックタイヤに履き替えたライバルの1台が後方から急速に追い上げてきました。
 こんな展開になると、以前であればチームにあせりが生じ、あわててピットインを命じてスリックタイヤに交換、勝てたかもしれないレースを落とすこともありました。しかしこの時、我々は気象用レーダーの情報から間もなく雨が降り出すと判断。ウエットタイヤでも安定して走れていたこともあり、ライバルが迫ってきてもあわてることなく、じっとその時を待ちました。結局、2台の差が1.8秒となったところで雨が降り始め、#1 ウイダー HSV-010は間一髪のところで優勝。チームがマシンとドライバーを信じ、どっしりと構えて戦った成果でした。

 ピットストップといえば、各チームが猛練習に励んでくれたおかげで、タイヤ交換の所要時間は昨年より1秒ほど短くなりました。HSV-010 GTのボディ形状は、空力特性を徹底的に追求した関係でタイヤ交換に有利とはいえません。このため、タイヤ交換に要する時間はライバル勢に比べて長めで、昨年はピットストップのタイミングで順位が入れ替わることもありました。そこで、各チームはホイールを固定するアップライトと呼ばれる部品を壁に取り付け、毎日のように練習を行うことで、タイヤ交換の作業時間を1秒も短縮することに成功したのです。コース上で1秒差を取り戻すのは大変ですから、この効果も見逃すことができなかったといえるでしょう。

 昨年の夏場のレースではクールスーツのトラブルが多発し、結果的に勝利を逃すという悔しい思いをしました。そこで、これまでは各チームの経験に基づいて運用されてきたクールスーツ・システムをゼロから開発。量産車設計のノウハウを生かした信頼性の高いシステムを構築し、ホースコネクターなどの細かい部分も改良、完全にトラブルフリーで性能的にも飛躍的に向上させました。一部に既存の部品が使われているとはいえ、トータルとしてはまったく新しい発想で開発されているので、“Made by Honda”といって差し支えのないシステムとなっています。

 こうして、我々はドライバーの心理まで踏み込んでHSV-010 GTを改良し、セッティングの可能性を広げ、また戦術的な強さも身につけましたが、それでも念願だったタイトル防衛はなりませんでした。次回はその背景と今後の目標についてお話しすることにしましょう。