vol.32 | Rd.7 オートポリス レビュー |
重要な一戦でライバルの先行を許す |
第7戦オートポリス大会では#17 KEIHIN HSV-010(金石年弘/塚越広大組)の6位がHonda勢としては最上位。ランキング2位でチャンピオン争いを繰り広げていた#1 ウイダー HSV-010(小暮卓史/ロイック・デュバル組)はポイント圏外の11位に終わり、チャンピオンを狙う権利すら失ってしまいました。まったく考えてもみなかった成績であり、HondaのGTプロジェクトリーダーとしては非常に悔しく、残念な結果となってしまい、申し訳ありません。
今回、我々が苦戦した最大の理由は、最善と思って選んだタイヤでの未経験のトラブル発生にあります。この点について、少し詳しくご説明しなければならないと思います。
我々5台のHSV-010 GTのうち、4台がブリヂストン・タイヤを装着していることはみなさんご存じのとおりです。したがって、ブリヂストン・タイヤの動静がHonda勢全体の成績を大きく左右するといっても過言ではありません。
第6戦富士大会で、我々はブリヂストンが開発した新しいタイプのタイヤを投入。これは耐久性、安定性が非常に優れていて、ブリヂストンを履く3台のHSV-010 GTが3〜5位を勝ち取る大きな原動力となりました。性能的にはまさにいいこと尽くめ。第7戦オートポリス大会でも迷うことなくこの新しいタイヤを用いることにしました。
ところが、決勝前日の土曜日にオートポリスを走り始めると、あるところを境に急激にラップタイムが落ち込む現象が明らかになります。決してタイヤが摩耗して寿命が尽きてしまったわけではありません。その証拠に、走行後のタイヤを観察すると、路面と接触するトレッド(踏面)の部分にはまだたっぷりゴムが残っているのに、その上に古いゴムかすがたくさん着いてしまっているのです。どうやらこれが、グリップ力を大幅に低下させてしまう様でした。
技術的な内容であり、あまり詳細は申し上げられませんが、これと同じ症状が決勝レースでも現れ、ブリヂストン・タイヤを履く4台はいずれもコースに留まるのがやっとといった状況で、全くレースができないままフィニッシュを迎えてしまいました。
ブリヂストンの名誉のために申し上げると、今回の優勝車はブリヂストン・タイヤを装着していたことからも、決してブリヂストンがライバルのタイヤメーカーに比べて大きく劣っていたというわけではありません。たまたま我々の選んだタイヤがオートポリスでは実力を発揮しきれなかったと言ったほうが語弊は少ないでしょう。しかし我々にとっては、どこから見ても最善のタイヤ・チョイスと信じてレースに臨んだだけに、とても残念で悔しい結果でした。起こった事象は、ブリヂストンにとっても我々にとっても、事前に想像さえしなかったことだっただけに、悔しさだけが残りました。
こうした傾向にさらに拍車を掛けたのが、レース終盤の気温並びに路面温度の落ち込みです。決勝のスタート時(午後2時)の気温は17℃、路面温度は24℃でしたが、これがレース終盤を迎えた午後3時30分には気温:16℃、路面温度:20℃まで低下します。比較的柔らかめのタイヤでスタートした#1 ウイダー HSV-010は早いタイミングでグリップが失われたことで、後半は長距離を走らなくてはならないことから硬めのタイヤに履き替えて送り出しました。同じタイヤで走り出した#100 RAYBRIG HSV-010(伊沢拓也/山本尚貴組)も同様にやや硬めで出すことにしましたが、こちらは接触もありピットでの修復に時間がかかり下位からの再スタートとなってしまいました。一方、初めから硬めのタイヤでスタートした#17 KEIHIN HSV-010は、他車同様にグリップ低下で苦しみましたが、悩んだ末に同じタイヤでの走行を決断。#8 ARTA HSV-010(武藤英紀/小林崇志組)も早めにグリップを失ったものの規定の最低周回数までピットインを伸ばした結果、下位に沈んでしまったこともあり、後半はやや柔らかいタイヤをチョイスしました。こうして謎のグリップダウンに襲われたHSV勢は、それぞれが最善と思われる対応でピットアウトさせ、後半はまずまず安定したペースで走行していました。ところが、レース終盤にがくんと路面温度が下がったことで、クルマによっては選んだタイヤがワーキングレンジ(作動温度域)から外れてしまい、タイヤがグリップしない状況に陥ってしまいました。#1 ウイダー HSV-010がフィニッシュまで残りわずかとなったところで2回目のピットストップを行いタイヤ交換したのは、この現象が深刻なレベルまでになったためでした。#100 RAYBRIG HSV-010は、もはやレースになっていないことから、次へのデータが得られる様に、今回誰も履いていないソフトタイヤでの確認を行うためのタイヤ交換でした。2台とも、タイヤ交換後はトップグループを3〜4秒もしのぐラップタイムで周回できましたが、時すでに遅し。失地をばん回できないままレースは終わりました。
ただし、HSV-010 GTがオートポリスで遅かったのかといえば、決してそんなことはありません。たとえば、レース前半に#17 KEIHIN HSV-010をドライブした金石選手は1分43秒台のベストラップを記録しています。これは、同じ第1スティントを受け持ったウイニングクルーのベストラップ(1分44秒510)を大きくしのぐものです。ところが未経験のタイヤトラブルによって、この速いペースを持続できなかった。今回はこれが敗因の全てとなりました。
一方、Honda勢で唯一ダンロップ・タイヤを履く#32 EPSON HSV-010(道上龍/中山友貴組)は、チームの選択したタイヤが予選では外れたものの決勝のコンディションではぴったりマッチし、レース中盤に向けて着実に順位を上げていくことができそうでした。ところが、レース前半を担当した中山選手が盛んに前のクルマにアタックするのですが、やや今回のセッティングでは直線が遅く、集団となったクルマの群れから抜け出すのに時間がかかってしまいました。しかも、ピットストップでシートベルトの装着に手間取ったうえ、道上選手に代わってすぐの2コーナー付近からヘアピン先辺りまでで、エンジンが吹けなくなるトラブルが発生し大きく順位を落としてしまいました。その後トラブルは解消し、猛然と追い上げを開始しましたが、結果的に#32 EPSON HSV-010は8位でのフィニッシュとなりました。2つのトラブルさえなければさらに上位が狙えたはずで、これも残念な結果でした。
前述のとおり、#1 ウイダー HSV-010が無得点に終わったため、ポイントテーブル上ではランキング2位から3位へと後退、残念ながらチャンピオンの望みはこれで絶たれてしまいました。みなさんから熱い声援をいただいていながら、目標だったダブルタイトルの防衛ができず、本当に残念です。我々の手の出せないタイヤ構造といった原因での敗北でしたが、タイヤをテストしたのも選んだのも我々ですし、負けは負けと認めるしかありません。ここまで応援していただいたみなさんには、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。そして、期待にお応えすることができず、本当に申し訳ありませんでした。
振り返ってみると、#1 ウイダー HSV-010は第2戦富士大会と第4戦菅生大会でもポイントを獲得できませんでした。一方、昨年は毎戦コンスタントにポイントを積み重ねながら、要所要所で優勝することでタイトルを勝ち取りました。やはり、こういう展開というか、流れに持ち込まないと、チャンピオンには手が届かないということだと痛感しました。
そういう意味でいえば、第7戦オートポリス大会でも#1 ウイダー HSV-010の流れはよくありませんでした。タイヤ・チョイスの一件もそうですが、決勝日のフリー走行では小暮選手が黄旗追い越しをし、そのペナルティとして、予選で得た6位からスーパーラップでの最下位に相当する10番グリッドへの降格処分を受けました。よくよく調べてみると、GT300クラスのマシンがスピンして黄旗が提示されたのは、小暮選手がこの地点に到達する5秒前のこと。しかも、直前を走っていた別のGT300クラス車両のドライバーが善意から小暮選手に進路を譲ったところ、これが結果的に黄旗追い越しとなってしまったのです。おそらく、譲ったGT300のドライバーにしても、直前に提示された黄旗には気がついていなかったのでしょう。本当にわずかなタイミングでの出来事であり、これは誰のせいでもないと思います。しかし黄旗追い越しという、決してやってはいけないことをやってしまったのは事実ですし、これも流れの悪さだった様な気がします。
さて、泣いても笑っても2011年シーズンのSUPER GTはあと1戦を残すのみ。もはやチャンピオン争いはできませんが、最終戦こそは決して悔いの残らない戦い、またみなさんに喜んでいただけるレースをご披露したいと思っています。2011年のまとめでもあり、5台のHSVでひと暴れしたいと思っています。どうか引き続き5台のHSV-010 GTに熱いご声援をよろしくお願い申し上げます。