「量産車というのは、限られたレーシングドライバーだけが乗るレーシングカーと違って、たくさんの人に乗ってもらって『いいクルマだね』と言っていただけるものでなければいけません。量産車をつくるのは、レーシングカーをつくるよりも難しいんですよ。そこが面白いところだとも言えますけどね」
量産車開発の難しさは、「あらゆる要素をできるだけ高い次元でバランスさせるというところ」にあると、瀧は話す。エンジン、シャシー、サスペンションなど、「どこか一箇所の性能を突出させる」のではなく、「一緒に伸ばす」ことができなければ、多くの人に愛されるクルマとはならないので、もちろん開発に携わるエンジニアはそのことを常に意識する必要がある。それは「妥協」とは異なる。「自分の担当するパートでベストを尽くす」だけでは、いいクルマにならないということだ。
瀧は、その哲学を量産車の「NSX」──1990年にデビューするや、「世界でも一級の運動性能を秘めながら、誰もが安心して楽しむことができる」として賞賛を浴びたスポーツカー──の開発に携わる中で見いだした。
「私の担当していた足まわりというのは、それが取り付けられるボディがしっかりできていないと、まったく性能を発揮できません。量産車のNSXの開発に携わったときには、私自身が足まわりだけでなくボディの仕様を提案することもありましたし、自分の担当にこだわることなく、それこそいろいろなことをやりました。かけがえのない経験でしたね。それが、NSXという高みに通じていたのです。それ以来、私はレーシングカーを開発する際にも、量産車と同じように『全体を見る』ことで扱いやすさ、そして速さを生み出すという、NSXを手がけたときと変わらぬポリシーを貫いてきました」
材料や、車体に働く力の大きさなどは異なれど、クルマはクルマ。「一人ひとりがクルマ全体を見て開発を行い、あらゆる要素を一緒に伸ばす」という量産車開発で培った考え方はレーシングカーの開発にも通じるのだ。瀧は、SUPER GTの参戦車両がNSX-GTからHSV-010 GTへとスイッチするこのタイミングこそが好機と見て、若いエンジニアたちに、自らの培ってきたものを伝えようと考えた。
「お金もかかるし時間もかかるんですけど、自分の担当する部分だけでなく、『全体を見なければいいクルマができない』ということに気づかせるためにつくらせた、というのが最初のクルマですね」
SUPER GTの前身となるJGTCの時代から数えて13年にわたり、HondaはNSX-GTを走らせてきた。しかし、新たなレギュレーションに適合するマシンとするためには、V8エンジンをフロントに積み、後輪を駆動させるという、まったく新しいクルマをゼロからつくらなければならない。
そこで、NSX-GTの外観のまま、フォーミュラ・ニッポンのエンジンを流用したプロトタイプモデルを製作させることにしたのだ。
これまではNSX-GTという完成されたクルマをチューニングしていくという立場だったが、今度は自分たちの手でゼロからクルマをつくることができる──。
最初は「できっこない」と渋っていたスタッフたちも、時間が経つにつれて新たなチャレンジに胸を踊らせるようになっていた。
だが、彼らを束ねる瀧には考えがあった。
「経験させたかった。失敗させたかった。みんな、失敗がヘタなんですよ。でも、それではエンジニアとして育たないので、まずはもっと広い目で見て失敗をさせようと。それが目的でした」