vol.16 | 2010年シーズン総集編 前編 |
数々の困難を乗り越え、念願のダブルタイトルを獲得 若手エンジニアの成長を促したHSV-010 GTでの参戦 |
HSV-010 GTをSUPER GTにデビューさせ、ドライバーとチームのダブルタイトルを勝ち取った2010年シーズンの総集編を2回に分けてお届けすることになりました。今回はその前半部分、その名のとおり総集編として2010年シーズンを振り返ってみることにしましょう。
まず、この1年間を思い起こしてみると、本当に長かったという印象が強いですね。そもそも、FRマシンを新たに作ってSUPER GTを戦おうという話が持ち上がったのが2007年の春先。それから長い時間をかけて若い人を中心にFR車について勉強して、設計して、作り上げ、ようやく今年の開幕戦でデビューにこぎ着けました。さらに、その最初のレースでポールポジションを獲得できた。これは本当に嬉しい瞬間でしたね。
ところが、その開幕戦の決勝レースでは、3台のHSV-010 GTがクラッシュ。しかも、うち2台はかなりの勢いでタイヤバリアに激突したので、まずはドライバーの安否が気になりました。このとき、#18 ウイダー HSV-010を走らせる中村卓哉監督が無線で「小暮! 小暮!」と呼びかけたのに、しばらく応答がなかったのでとても心配でした。ところが、しばらくすると小暮卓史選手も、#8 ARTA HSV-010に乗るラルフ・ファーマン選手も無事であることがわかって、ホッと胸をなで下ろしたのを今でもよく覚えています。
ドライバーにケガがなかったのは何よりの朗報でしたが、次に頭を悩ませることになったのがマシンの修復でした。通常、SUPER GTを戦う際には1台分プラスαのスペアパーツを用意しておきますが、なにしろあれは開幕戦のことで、5台をグリッドに並べるのが精一杯。とてもスペアパーツまで手が回っていなかったのです。しかも、第2戦までは2週間しかないうえ、クラッシュした3台の中には全損と思われるマシンもありました。そのため、5台のHSV-010 GTが揃って第2戦に出走できるかどうか、とても微妙な情勢でした。
けれども、スタッフ一丸となってパーツの製作と修復に取り組んだ結果、1台も欠場することなく第2戦岡山ラウンドに挑むことになります。しかも、このレースでは小暮選手とデュバル選手がポール・トゥ・ウィンでHSV-010 GTに初優勝をもたらしてくれました。開幕戦の事故については、小暮選手なりに責任を感じていたようなので、この再びのポールと勝利は小暮選手の心の負担を取り除くうえでも大きな効果があったと思います。
ところが、次の第3戦富士で、我々は思いがけない試練に直面します。長さ1.5kmという、他にあまり例のない長いストレートを有する富士スピードウェイでの戦いに挑む際には、"富士エアロ"と呼ばれる専用の空力パーツを用意するのが通例となっています。もちろん、我々も事前の予想に基づいて富士エアロを用意し、HSV-010 GTに装着しましたが、これを期待通りの性能までに熟成することが出来なかったのです。このつまずきが、思わぬ苦戦を強いられる原因となります。
これにはもう少し複雑な事情が絡んでいました。まず、2010年のSUPER GTではレースウィーク以外のテスト走行が厳しく制限されています。おまけに、マシンはまったく新しいHSV-010 GTで、NSXと違って過去のデータがない。さらには、2009年からレギュレーションが改正され、フロントにカナードと呼ばれる空力パーツを取り付けられなくなりました。カナードがあれば、フロントのダウンフォースの量を調整できますが、これがないと、フロントのダウンフォースを微妙に変化させることが難しく、前後の空力バランスはリアのダウンフォース主体で調整しなければなりません。しかも、事前にテストができないから、完全にぶっつけ本番の一発勝負。こうした状況の中で、満足に前後バランスをとれないまま予選と決勝を戦うことになったのが、第3戦で苦戦した本当の理由でした。
この影響で、思うようにストレートスピードが伸びなかっただけでなく、ハンドリングが重要となるコース後半のテクニカル・セクションでもタイムが伸び悩み、これが一層、傷口を広げることになりました。ですから、あのときの苦戦はいくつもの不運が重なった結果だったといえます。
続く第4戦セパンでも、我々は悪い流れを断ち切ることができませんでした。灼熱のマレーシアでドライバーに襲いかかったのは、クールスーツのトラブルというもの。コクピット内の温度が60℃近くにもなるセパンで、ドライバーの身体を冷やす唯一の装置がトラブルを起こしたのですから、思うように走れなくなるのは当然のことでした。
このクールスーツのトラブルを解消するには、予想外に長い時間がかかりました。そして、最終的に我々が掴んだ原因とは、クールスーツの水の循環経路がドライバーとシートの間に挟まれて閉ざされ、内部の水圧が上昇。このため水を循環させるポンプの安全装置が働き、機能が止まってしまうというものでした。この結論に至る過程で、我々はクールスーツの各部にかかる圧力を測定し、ようやく原因を突き止めたのですが、従来のNSXと違ってHSV-010 GTのドライビングポジションはやや立ち気味で、これがクールスーツにかかる圧力の偏りを招いていることが判明しました。ドライビングポジションが変わったのは車両レイアウトをミッドシップからFRに変えた影響でもあるので、これもFRマシン投入に伴う試練のひとつだったといえます。
流れが大きく変わったのは、続く第5戦菅生でのことでした。ここで新しい空力パーツを投入し、第3戦富士以降、問題となっていた前後バランスを大きく改良することに成功したのです。おかげで、HSV-010 GTの持ち味であるコーナリングには一層の磨きがかかって速さが際立ち、ストレートスピードもシーズン序盤に比べると大幅に改善されました。この結果、#17 金石年弘/塚越広大組(KEIHIN HSV-010)が、チーム設立以来初となる勝利を手に入れたほか、#18 ウイダー HSV-010も2位に入り、HSV-010 GTで初の1-2フィニッシュを達成しました。菅生のテクニカルなコースレイアウトが、この成績にプラスの意味で影響したのは間違いないでしょう。
第6戦の舞台は、HSV-010 GTがもっとも得意とする鈴鹿サーキット。しかも、レース距離は700kmとシリーズ中唯一の長さを誇る1戦です。HSV-010 GTの信頼性の高さはこれまでの5戦で証明済みだったので、我々は自信をもって鈴鹿に向かいました。結果は我々が期待したとおりのもので、#8 ラルフ・ファーマン/井出有治組(ARTA HSV-010)が今季初優勝を果たすとともに、#100 伊沢拓也/山本尚貴組(RAYBRIG HSV-010)も3位表彰台を手に入れます。しかも、ウェイトハンディ上限の100kgを積んで出走した#18 ウイダー HSV-010はクラス最後尾の13番グリッドからスタートしながら9位に食い込み、これで得た2ポイントのおかげでポイントリーダーに浮上したのです。
彼らが最後尾スタートを強いられたのはスタート前にエンジン交換を行ったからですが、これは不意に起きたトラブルのためではなく、事前に立てた計画に従ったものでした。SUPER GTでは、1台あたりシーズン中に3基のエンジンが使えるレギュレーションになっています。これを超える台数のエンジンを使用すると、上述したとおりペナルティが科せられ、予選で得た順位よりも10ポジション下のグリッドからスタートしなければなりません。HSV-010 GTは、このレギュレーションに従い、3基で十分にシーズンを戦えるエンジンの信頼性を確保していましたが、#18 ウイダー HSV-010は開幕戦でのクラッシュなどで2度もエンジンを壊していたため、合計4基のエンジンを使わなければシーズンを乗り切れない事態に陥ったのです。当然、10グリッド・ダウンのペナルティが科せられますが、では、どのレースでエンジン交換を行うべきでしょうか? 通常の300kmレースに最後尾グリッドから臨めば、ポイント圏内まで返り咲く前にフィニッシュとなるのは明らかです。そこでレース距離が700kmと長い鈴鹿でエンジンを交換したのですが、小暮選手とデュバル選手のふたりは、この期待に応えて見事9位までばん回、チェッカードフラッグをかいくぐってくれました。いま思い起こしてみると、このとき手に入れた2ポイントの意味はとても大きかったと思います。
これに続く第7戦は、5月の第3戦で屈辱を味わった富士スピードウェイでの開催です。我々は"第2弾富士エアロ"を開発してリベンジに意欲を燃やしていましたが、イベント直前に台風9号が接近してサーキット周辺に大雨をもたらし、周辺の道路が寸断されたためレースはキャンセルとなりました。被災地周辺の皆さまには、ここで改めてお見舞い申し上げます。11月半ばに富士スプリントカップで同地を訪れた際にも、合計で7本あるアクセス路のうち1本は不通となったままで、ほかにも寸断された部分を応急対策のバイパス路で迂回する区間が何ヶ所かあり、爪痕の深さをまざまざと思い知らされました。
結果として新開発のパーツはその性能を実証できず、一部には「富士のレースが中止になったのはHondaにとって幸運だった」との声もありましたが、以前この現場リポートで書いたとおり、第7戦の中止は我々にとっても残念なことでした。なぜなら、新規開発パーツの効果でストレートスピードがかなり伸びていたほか、いくら第7戦はハンディウェイトが半減されるとはいえ、同じ50kg前後のバラストを積んだ状態であればライバルであるレクサス勢よりもHSV-010 GTのほうが有利なはずなので、したがって富士で勝ってポイント差を広げ、余裕をもって最終戦もてぎに臨むつもりでいました。そのチャンスが失われたのですから、我々もレースの中止を残念に思ったことはお分かりいただけると思います。
ところで、11月に開催された富士スプリントカップでは、1.5kmのストレートで#18 ウイダー HSV-010に乗る小暮選手がレクサスと張り合ったうえ、1コーナーでこれを下すシーンが見られました。実は、富士スプリントカップでは気温の関係で"第2弾富士エアロ"の全ては使えませんでしたが、それでも、第3戦富士で圧勝したレクサスと同等のストレートスピードを手に入れていたことが、これで証明されました。この瞬間、第3戦で悔しい思いをしたHondaスタッフの全員が溜飲を下げたことはいうまでもないでしょう。
そして第8戦もてぎでは、白熱した大接戦の末に#18 ウイダー HSV-010が2位に滑り込み、今シーズンの目標だったダブルタイトル獲得を果たしたわけです。いまここで振り返ってみても、本当に長い道のりでした。一方で、数々の困難に直面しながら、そのたびに技術でそれらを克服し、結果として成功を収めたことで、我々は技術者として大きな喜びを味わいました。HSV-010 GTの開発で主役を演じてくれた若手エンジニアたちも、これまでの経験で大きく成長し、いまでは新たなプロジェクトを不安なく任せられるようになっています。したがって、Hondaにとって初のFRマシンによるSUPER GT参戦は、我々にかけがえのない成果をもたらしてくれたといえます。また、ここまで熱い声援を贈ってくださったHondaファンの皆さまにも改めてお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
さて、これで総集編の前半は終了。次回は、HSV-010 GTとともに戦った2010年シーズンを通じて見えた、今後の夢と期待についてお話ししたいと思います。どうぞお楽しみに。