中嶋 悟氏が率いるナカジマレーシングは、NSX-GTの参戦2年目である1998年からSUPER GTの前身、JGTCに参戦。
かつて、市販車のNSXのセッティングに関わり、自身の愛車としても所有した経験のある中嶋監督の、NSX-GTへの想いとは。

「NSX-GTで戦う最後のシーズンは、過去12年間戦ってきた中で、もっとも厳しいシーズンになってしまいましたね。この12年間には、いろいろといい思い出もたくさんありましたが、今年ばかりは巡り合わせが悪かったのかもしれませんね」

「中山くんは、『追いつけロイック(・デュバル)』みたいな感じでですね、かなりがんばってきましたし、いい線行っていると思います。レース中のオーバーテイクのタイミングであるとか、課題も残っていますが、これはどうしても経験が必要な部分ですから。僕らもアドバイスはしますが、その場の思い切り、仕掛けたり、一度引いたり、といった判断はドライバーがするしかありませんからね。
経験を積んでいけば、もっと速いドライバーになっていくと思います」

「あれはまだ、80年代の後半でしたね。NSXというクルマをつくるにあたって、いろいろなスポーツカーを乗り比べたりしながら、クルマの『味付け』の部分で開発に携わりました。その後になってこのクルマでレースに参戦することになったわけですが、レーシングカーにとって、ベース車両のポテンシャルは非常に大きな要素です。そういう意味では、NSX-GTの成績を見る限り、僕が市販車のセッティングでアドバイスしたような方向も間違っていなかったのかな、と思いますね」

「つまり、僕自身も20年間歳をとらずにすんだのかな、と(笑)。市販車の開発も含めれば、現役でレースをやっているころからのつきあいですから。NSXでレースをするということは、なんだか僕自身が20年若返るような気分がしますよ」

「やはり松田選手、ファーマン選手という布陣で臨んだ2002年でしょうか。当時、年間で3勝するのはなかなか難しいことだったんですが、それを成し遂げることができて、なおかつ最終戦の最後の最後まで1ポイント差でチャンピオン争いをしました。他にも、非常に厳しかった2004年シーズンに、NSX-GTにとって唯一の優勝を飾ることができたことや、07年のGT通算100戦目で勝つことができたのも、いい思い出です。他にもいろいろあると思いますが、絞りきれませんね。毎日が忘れられないエピソードです。レースってそういうものだと思います」

「ひとつのモデルで、ここまで長い期間、レースを戦い続けるっていうのは大変なことだったと思います。これからも、街中でNSXを見るたびに、思い出すことになるでしょうね。日本の、Hondaがつくった、世界に誇るスポーツカーにして、レーシングカー。非常にいい時間をたくさん過ごさせてもらったな、ありがとう、と声をかけたいです」