スーパーバイク世界選手権

スーパーバイク世界選手権

スーパーバイク世界選手権(WSBK)は、FIM(国際モーターサイクリズム連盟)が主催する市販車バイクの最高峰二輪レースで、各国を転戦しながらチャンピオンの座を争います。マシンの排気量は、2気筒であれば1200ccまで、4気筒であれば1000ccまでとレギュレーションで定められています。2019年シーズンは13大会でタイトルが争われ、シリーズ初の試みとして1大会3レース制で行われます。

スーパーバイク世界選手権におけるHondaの挑戦

スーパーバイク世界選手権は、4気筒750ccまたは2気筒1000ccのエンジンを搭載した市販車ベースの世界選手権として、1988年に誕生。Hondaは、RC30(V4)を米国人ライダー、フレッド・マーケルに託し最初の2年間を席巻、ライダーズとマニュファクチャラーズのタイトルを獲得。90年にもマニュファクチャラーズタイトルを獲得しました。

その後は、排気量の多い2気筒マシンを採用するライバルチームの台頭がHondaを苦しめましたが、97年にはRC45(750cc V4)を駆る米国人ライダー、ジョン・コシンスキーがライダーズタイトルとマニュファクチャラーズタイトルの2冠を獲得。そして2000年になると、Hondaはついに2気筒1000ccマシンのVTR1000(RVT1000/RC51)を投入。コーリン・エドワーズがライダーズタイトルを獲得し、2気筒マシンを投入後すぐに成功を収めました。エドワーズはその2年後にも劇的な勝利でチャンピオンに輝きます。イモラ・サーキットでの最終戦でダブルウインを飾り、ライバルのトロイ・ベイリスを11ポイント差で下したのです。

MotoGPで4ストロークエンジンが採用される一方で、スーパーバイクでは03年に2気筒と4気筒の排気量の差が撤廃されました。HondaはMotoGPに専念するためにスーパーバイクでのワークス活動から撤退。その後は、ジェームス・トスランド(Hannspree Ten Kate Honda)による07年のライダーズタイトル獲得など、サテライトチームがHondaの直列4気筒CBR1000RRを駆り活躍をみせます。

そして19年、Hondaはレオン・キャミアと清成龍一を擁するMoriwaki Althea Honda Teamをサポートし、盤石の態勢でスーパーバイク世界選手権に臨みます。

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