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60年代のHonda Sportsに心酔したファンとして。

モータージャーナリスト 吉田 匠

1962年、たしか中学3年生の秋、晴海の東京モーターショーでHonda Sportsのプロトタイプ、S360とS500を初めて目にして一目惚れ。
一目惚れした理由は、エクステリアだけでなくインテリアやエンジンルームを含むデザインのカッコよさと、いかにもHondaらしいDOHCエンジンによる高性能ぶりですね。

1971年、自動車専門誌『CAR GRAPHIC』編集部に入社し、なんとか自前でクルマを持てる境遇になったとき、最初に買ったのが1968年式Honda S800Mの中古車でした。

その後1972年に、さらに程度のいい1969年式Honda S800Mに乗り換えました。このオープンのHonda S800Mは、偶然ながらどちらも黄色。しばらくして1967年式Honda S800 Coupeでレーシング仕様をつくり、ボディをライトブルーに塗って、80年代前半の筑波サーキットのヒストリックカーレースに参戦。そこでは優勝も経験していますが、たった800ccのHonda Sportsで1.6リッターのロータス・エランや2.0リッターの日産フェアレディSRといった大排気量のライバルと互角以上の戦いができたのには、大満足でした。黄色い1969年式Honda S800Mは結局、80年代後半まで所有していました。

90年代末にHonda S2000がデビュー。正直なところ、そのスタイリングには60年代にS600やS800に惚れ込んだときほどのめり込めませんでしたが、2.0リッターから250PSを絞り出し、9,000rpmのリミットまで軽く回る世界屈指の高性能4気筒エンジンは、まさしくS800の末裔だという印象を持ちました。

Honda S2000は開発責任者の上原 繁さんが僕と同世代で、昔、話を伺ったときには僕と同じく60年代のHonda Sportsに心酔していたということだったので、当然、その現代版を生み出そうとしたに違いないと推測して、大いに共感したのを覚えています。

今から3年前、2.2リッターのHonda S2000を久しぶりにドライビングしましたが、Honda Sports本来の熱さと高性能を維持しながら、ぐっと大人のスポーツカーに成長しているところに魅力を感じました。

つい最近、およそ10年間に11万台強が世界中で販売されたHonda S2000が今年中に生産を終了すると知り、大変寂しく思っています。
いかにエコが優先される時代とはいえ、S2000のようなホットなスポーツカーがHondaのラインナップから消えてしまうのは、昔の熱かった時代のHondaを知る僕のような世代には、余計に寂しいわけです。

そんな矢先のつい先日、仕事で富士スピードウェイにいった際、ゲートからコースに向かう取り付け道路を1台がハードトップ、1台がオープンの白いHonda S2000が2台、パドック方面に向けて気持ちよさそうに走っていくのに遭遇しました。それを目にして、たとえ生産は終わっても、S2000はこれからも熱烈なユーザーに愛され続けていくに違いないと、実感したのでありました。

吉田 匠 (よしだ たくみ)

1971年「CAR GRAPHIC誌」(ニ玄社)に編集記者として入社。主にスポーツカーのロードテストなどを担当。はじめて購入したクルマはS800M。それで「S」に惚れ込み、趣味でヒストリックカーレースにも出場。また、当時のナショナルフォーミュラのFJ1600レースなどにも参戦して優勝経験もあり。1985年フリーランス・モータージャーナリストとして独立。1989年以来、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員を務める。