MENU

HONDA

検索

心に深く刻まれたS2000のキレ味の鋭さが、今でも蘇ってくる。

モータージャーナリスト 河口まなぶ

1999年4月15日の発表の少し前、事前取材で訪れたHondaの栃木研究所でS2000を取材して、その場で「買う!」と決心した。
いや、実はまだ触れてもいない時点からそう心に決めていた。今だからいえるが、僕は意外にもそのスタイリングに完全にひと目ボレだったわけだ。

その後中身が明らかになり、期待に胸が膨らんだ。9,000回転と250PS、12.4km/Lと夢のような数字が並んだF20C型ユニットと、組み合わせられる専用の6速MT、ダブルウイッシュボーン・サスペンション、高剛性ボディ、すべてが理想的だったからだ。そして何より、このクルマがHondaとして久々のFRであり、最新の電動式オープン構造を備えていたことなどに感じ入った。納車が待ち遠しくて堪らなかった。

そして納車。僕自身、初めての新車でもあったS2000を手に入れ、触れてみると「本当にこのクルマを買って良かった!」と心から思えたのだった。
なぜならS2000の走りは、当時世界レベルで見ても、トップに入るピュア・スポーツのそれで、オープン構造を持つとは思えぬほどソリッドな感触を備えていて、他のスポーツが軟弱に思えたほどだったからだ。
また、ドライバーの一挙一動が敏感に反映される独特の性質を備えており、それを御して乗りこなしたい、という想いからスポーツ・ドライビングへの興味がかきたてられ、実際にドライビングの多くを教えられたのだった。

僕はS2000を所有する以前にもオープンカーを乗り継いできたが、その頃僕が求めていたのは硬派さ、純粋さ、潔さであり、S2000にはそれが存分にあったこともまた堪らないものだった。それでいてオープン・エア・モータリングが楽しめるのだから、これ以上のクルマはない。そんな風に感じていた。
S2000と納車からともにした2年・2万キロは、まさにこのクルマへの、そしてHondaというつくり手への、心酔の時間と距離だったと思えて懐かしい。最初の1,000kmを奈良の吉野までのツーリングで慣らし、その後は仕事、趣味に関わらず、常に行動をともにした。もちろんそのほとんどをオープンの状態で、だ。

サーキットでのテストも何度も行ったほか、雑誌に登場したことも多く、ことあるごとに僕はS2000との関係を深め続けた。
S2000の、すべてにおけるあのキレ味の鋭さは僕の心に深く刻まれており、今でもあの感触が蘇ってくることがある。そしてスポーツカーこそ、我が人生と今思えるのは、S2000との出会いがあったからに他ならない。

河口まなぶ (かわぐち まなぶ)

日本大学芸術学部文芸学科卒業後、自動車専門誌でアルバイト。その後フリーランスの自動車ジャーナリストとなり、自動車専門誌へ寄稿。1997年に日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。専門誌への寄稿の他、プレイステーションソフト「グランツーリスモ」シリーズの解説を担当。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。S2000ドライビング・フォーラムの特別講師を務めたこともある。

関連サイト

スポーツカーWeb