翌土曜日も、暑い一日になった。午前のフリープラクティスで気温はすでに31℃。この日、午前の走行を終えた中野のピットをサプライズゲストが訪問した。F1ドライバーの佐藤琢磨だ。F1モナコGPが開催された5月末、中野は佐藤の応援に現地を訪れていた。今回は、佐藤側からのその返礼、というわけだ。一瞬、驚いた表情の中野に笑顔の佐藤が右手を差し出す。「ご無沙汰しています!」「どうですか、調子は!?」と、ふたりはピットの中で談笑を続けた。思いがけないゲストの登場に気づいた取材陣がそこへ押し寄せ、コニカミノルタカラーのRC212Vにまたがる佐藤や、気さくに言葉をかわす2人に続々とストロボの光を浴びせかける。この日の中野は、午前と午後の走行に加え、数々のイベントへの出席が予定されていた。その一端を紹介しておこう。コニカミノルタのトークショー、ツインリンクもてぎ主催のサイン会、Hondaブースのトークショー、アライヘルメット握手会。個人スポンサー企業・ドライバーズスタンド主催の握手会、そしてツインリンクもてぎが主催する夕刻のパーティ等々、まさに超過密スケジュールの多忙な一日だ。

  多くのファンから声援をもらうと、かえって自分たちの方が勇気づけられる。みんなの応援に応えるためにも、もっといい結果を出したい。さらにがんばらなければならない。大勢の人たちが喜んでくれる姿を見るにつけ、ますますそんな思いが新たになる、と中野は自らの気持ちを引き締め、鼓舞する。午後の予選を終え、決勝レースのグリッドは4列目12番手。
「もうちょっといきたかった、というのが正直なところですね。T(セクション)1とT2はいいけど、T3・T4がうまくまとまらなかった。ブレーキングの安定性はよくなっているけれど、前後のバランスがまだとれていないので、そこさえよくなれば、決勝では(トップグループに)ついていけると思います。タイヤ選択は、天候を見ながらミディアムハードでいくか、ハードでいくかを決めます」

 当初の気象情報では、日曜日の天候は曇り、気温もこの2日間よりはやや落ち着いて26〜27℃前後、というものだったが、予想外に下り坂傾向が早まった。決勝日は午前8時から雨がぱらつきはじめ、やがて本格的な秋雨へと移り変わってゆく。グランドスタンドには色とりどりの傘の花が咲き、午前のウオームアップセッションはフルウエットの状態で行われた。

  午後2時。MotoGPクラスの決勝がスタートする時刻には、すでに雨が上がり、コース上もラインが微妙に乾きかけているような微妙なコンディションになっていた。スタート前にウエットレースが宣言され、フラッグ・トゥ・フラッグルールの適用が決定した。これにより、路面コンディションが改善されてきたときにライダーたちはピットへ戻ってドライ用タイヤを装着したマシンへ交換することが可能となる。

 スターティンググリッドについたマシンは、全員がレインタイヤを履いている。路面状況の変化やそれを見極めるピットインのタイミングが勝負全体を左右する、難しいレースになりそうだった。予想通り、決勝レースは混乱を極めた。スタート後、序盤で早めにマシンを交換してカットスリックタイヤでピットアウトする選手、できるだけレインタイヤで周回を引っ張りながら終盤にピットインを狙う選手、そして、その準備に追われるチームスタッフたちが慌ただしくピットロードを行き来する。また、転倒者やリタイアする選手も現れて、全24周回のレースが終わってみれば、土曜までとは様相を一変したリザルトとなった。12周目にマシンを交換し、スリックタイヤで走行を再開した中野は、結局、16位でチェッカーを受けた。予想していたよりも、はるかに厳しい結果だ。走行後の中野の表情からは、隠しようのない無念さがにじみ出ていた。
「序盤はレインタイヤで普通に走れていたんですが、しばらくすると路面が乾いてきて、厳しい状況になってしまった。他の選手たちがピットインしていくのは見えていたんですが、路面が乾いてきてもタイヤが極端に摩耗してくる感触はなかったので、2周ほど多めに引っ張りました。結局、それでピットインが遅くなり、スリックに替えて走り出してからも感触を掴みきれないまま終わってしまった。こういう状況のレースになるとは予測していなかったので、本当に残念です……」

 もてぎはベストレースにしたかっただけに、この結果は本当に受け入れがたい。落胆を隠しきれない様子ながら、それでも気丈に取材陣へのインタビューに答える中野。父・満氏は、苦しい状況で戦い続ける息子の姿を遠巻きに眺め、ときに厳しい表情を浮かべながらも穏やかな口調で話す。
「今、真矢が味わっている苦労は、絶対に無駄にならない。これから何年も何十年も経って、誰かが彼の人生を振り返ってみたときに、あのときの中野真矢の選択は決して間違いではなかった、と理解をしてもらえれば、それでいいんです。彼は今後もきっとこの世界で生きていくと思うし、たとえば将来、彼の夢であるMotoGPの監督になったときに、いろんな体験をしていれば、指導の際にそれを生かすこともできる。それに、何の苦労もなく生きて来ても、つまらないじゃないですか(笑)。いろんなことがあるから、人生って面白いと思うんですよ。『今のうちに苦労しておくのも、悪くないんじゃないか?』なんて私が言っても、本人はきれい事のように思うかもしれないし、今は現役でシーズンを戦っている最中だから目先の結果がほしいのも当然、わかるんですけれども、頭の隅にでもそんな考え方をおいておけば、少しは気持ちに余裕ができるんじゃないかな。私はそう思うんですよ」


 2007年シーズンは、残すところあと3戦。納得のいく成績を残せず非常に残念だが、残りのレースでベストの結果を出せるよう全力を尽くす、と中野は悔しさを噛みしめながら語る。

 思い通りのリザルトを残せなかった今年のホームグランプリは、おそらく、どうしようもなく悔しかったレースの1つとして中野の胸中に刻み込まれるのだろう。来年、あるいは再来年にホームグランプリが間近に迫ったころ、過去の日本GPを振り返る際には、「あのときのもてぎのレースは、ほんとに悔しかったよなあ」
と、苦笑混じりにつぶやく中野の表情が、今から思い浮かぶような気がする。
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