MENU
HONDA
検索
 中野真矢にとって、ツインリンクもてぎは特別なサーキットだ。ここで初めてレースをしたのは、サーキットが完成した翌年の1998年、全日本選手権のカレンダーに組み込まれた4月の開幕戦だった。当時、全日本250ccクラスに参戦していた中野は、
「ヘアピンとストレートで構成される“ストップ&ゴー”タイプのコースだけど、意外と攻略が難しいな」
という第一印象を抱いたという。予選ではPPを獲得し、決勝レースでも優勝。ポールトゥフィニッシュを飾ってシーズンの口火を切った。結局、この年は全9戦中7回のポールトゥフィニッシュを含む8勝を挙げ、当時18歳だった大学生ライダーは、翌年から世界の舞台へと羽ばたくことになる。

 WGP250ccクラスフル参戦を果たした99年、開幕戦セパンで3位表彰台を獲得した中野は、第2戦日本グランプリへ凱旋帰国した。4月25日、冷たい雨が降りしきるなか行われたツインリンクもてぎの決勝レースで見事に優勝を飾り、その資質を一躍、世界に知らしめた。このときの勝利が、数多いもてぎの勝負の中で最も印象に残っている、と中野は振り返る。
「開幕戦のマレーシアでは、トップを走りながら最後に抜かれて3位。すごく悔しかったけど、初レースでトップ争いができた手応えは感じていたんです。でも、その次のもてぎで勝てたのは、自分でも本当にびっくりしました。あのとき優勝した写真は、今でも大事に持っているんです。初参戦の年に最初の数戦でいい結果を出せたことが、そのあと、この世界でやっていく大きな自信につながりました」
この年、シーズンをランキング4位で終え、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した中野は、翌2000年、自身の中でも最も悔しいレースのひとつ、と振り返る勝負をもてぎで展開する。いまだに名勝負と語り継がれる加藤大治郎とのし烈なバトルだ。

 後続を突き放し、ファステストラップを互いに更新しあいながらラストラップまで続いた緊迫感に満ちた戦いは、23周回のレースを終え、加藤が僅差で制した。ピットに戻ってきた中野は、いつもの冷静な彼に珍しく、荒れた。
「どうしてそんなに悔しいんだ、とみんなに言われたんですが、あのレースだけじゃなくて、そこに至るまでの経緯があるんですよ。全日本時代もあのシーズンも、加藤大治郎選手とはずっとライバル関係で、彼に追いつき追い越したいという思いでやってきていたから、余計に悔しかったんです。コンマ数秒のわずかなギャップがとても大きくて、どうしようもなく悔しかったのを今でもハッキリと憶えています」
ちなみに、このレースで中野が記録した250ccクラスのラップレコードは、2007年現在でもいまだに誰にも更新されていない。
 翌年から最高峰500ccへ昇格した中野は、2004年のもてぎでも3位表彰台を獲得。クレバーな頭脳と開発能力、卓越した技術と剛胆さを兼ね備えたライダーとしての評価は、年を経るごとに大きくなっていった。その中野が、今季2007年は意外な苦戦を強いられている。サマーブレイク前の最高位は10位という状態でシーズンを折り返し、後半戦の第12戦チェコGPを迎えた。このレースから、中野たちのエンジンは改良型の仕様となり、車体もエボリューションパーツが供給されるようになった。
「今年の前半戦は、自分でもびっくりするくらい調子が悪かった。でも、夏休み明けのここからはもてぎにつながるレースだと思うので、少しずついい状態にしてゆき、ベストのコンディションでもてぎに臨みたい、というのが今の目標です。夏休みで気持ちをリフレッシュし、パーツも新しいものが入ったので、ここからは流れを変えたい。もてぎに向けて、是非とも万全を期したいところですね」
ブルノサーキットでそう語った中野は、わずかずつでも調子を取り戻そうと第13戦サンマリノGP、第14戦ポルトガルGPを戦い、いよいよホームグランプリを迎えることとなった。

 2007年のMotoGPカレンダーは、ポルトガルGPと日本GPが2週連続開催というタイトなスケジュールになっている。レースを終えた月曜に、選手や関係者全員がイベリア半島西端から極東の日本へ向けていっせいに大移動する。中野も、月曜午前にリスボンを出発した。フランクフルト経由で火曜に帰国、翌水曜日には新宿で開催されたプレイベントを消化し、その足でツインリンクもてぎまで移動。木曜からサーキットでチームや各スタッフとミーティング、そして金曜日から走行開始、という実に慌しいスケジュールだ。

 ホームグランプリでの目標について、中野は以前からこんなふうに語っていた。
「今年は自分の走りが全然できていない。だから、もてぎではそれができるようにしたいな、と思うんです。そうなれば、結果は自然とついてくるだろうから。具体的な数字よりも、今は本当にそれだけ。何より自分自身が気持ちよく走りたいんです」

 サーキットには、金曜日から大勢の観客が詰めかけた。コニカミノルタ・ホンダのピット裏も大勢の人々であふれかえり、スタッフの出入りも難しいほどの大賑わいだ。パドックのすぐ後ろにある選手控え室から中野が出てくると、色紙やプログラムを持ったファンが一瞬のうちに取り囲む。控え室では、中野の父、満氏が椅子に腰掛けてテレビモニターを眺めていた。それにしても、我が息子がここまで苦労する姿を目の当たりにするのは、全日本選手権時代も含めて、おそらく今年が初めてなのではないだろうか。満氏は温厚な笑みを浮かべながら、予想外に苦戦を強いられた前半戦をこんなふうに振り返った。
「ひょっとしたら、自分たちの気持ちの奥底で『これで勝てる環境になった』と、たやすく思いこんでしまったのかもしれません。私たちは、MotoGPになってから今まで、挑戦という視点で戦ってきました。特に昨年までの数年間は『大きな目標に向かって挑戦していくんだ』と本人も生き生きと戦っていた。ですから、大げさなことを言うようですが、人生の哲学のようなものをしっかりと持っていれば、目先の出来事で気持ちがブレるようなことはない。私はそう思うんですよ。もちろん、ライダーは一瞬一瞬が戦いで、その結果だけがすべて、という世界ですから、本人にしてみれば『オヤジ、何を呑気なことを言ってるんだよ』と感じると思うんですけどね(笑)」

 レース初日の金曜日は、9月下旬という季節に珍しく、朝から気温30℃を超える真夏日となった。午前のフリープラクティスで、中野は10番手。午後にフリープラクティス2回目が行われる時刻には、路面温度は46℃に達した。初日の走行は総合12番手。順位的には芳しいものではないが、まずまずの充実した内容だった、と振り返る。
「午前中の最後に、すごくよくなりました。エンジンはもてぎのコースに合わせた仕様で上まで回るようになってラクになったし、ギアボックスもいい。あとは車体とタイヤですね。午後は気温が上がり、タイヤ選びに迷っている間に跳ね(チャタリング:マシンの震動のこと)が出てしまったけれど、セッション最後には午前のタイムを更新できました。明日は、レースに向けて安定したタイムで走行できるようにしたいですね。いずれにせよ、暑さが厳しいから、明日はそれも考えながら、さらにタイヤを試そうと思います」
< BACK 12 NEXT >