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グッドウッドハウス前に展示されたモニュメント
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2005年グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード参加にあたり
2005年6月24日
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 Hondaは、イギリスのサセックス州グッドウッドにおいて、2005年6月24日(金)〜26日(日)に開催される世界最大級のヒストリック・モータースポーツイベント「2005年グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」にメインスポンサーとして参加する。

 毎年交代で任命されるメインスポンサーが制作する巨大なモニュメントは、グッドウッドハウス前の会場中央に飾られ、大きな注目を集める。
 今年Hondaは、歴代のF1マシンの中から、RA272、RA300、ウィリアムズホンダFW11、ロータスホンダ99T、マクラーレンホンダMP4/4、B・A・R Honda 006の6台をディスプレイする高さ50mに及ぶフェスティバル史上最大規模のモニュメントを制作し、展示する。6台のマシンが鉄製のアームにそれぞれ固定され、上下に動くという斬新なデザインであり、総重量で80トンを超えるモニュメントである。

ジェリー・ジューダ氏(Gerry Judah):モニュメントデザイナーのコメント
「これは私が作った中で最も迫力があり、ドラマティックな大作品だ。芸術的な観点はもちろんのこと、モータースポーツの歴史との融合という意味合いも念頭に置き、モニュメントを制作した。フェスティバルのために、パワフルでドラマティックなベンチマークを作り上げるには、このディスプレイは偶像的であると同時に力強くなければならなかった。動く鉄製のアームを活用して効果的に演出するには、Hondaの3期にわたるF1チャレンジはまさにふさわしいと思う」

 また、このイベントで最も盛り上がるのは、広大な敷地を貫く全長1.16マイル(1.856km)のヒルクライムコースで行われるタイムトライアルである。今年Hondaからは、過去最高数の新旧のマシン(二輪10台、四輪8台)及び、往年の名選手と名選手の二世を含む現役の選手総勢20名が出場する。往年の選手では、唯一二輪・四輪両方でワールドチャンピオンに輝いたジョン・サーティース、ロードレース世界選手権500ccクラスで通算54勝をあげたミック・ドゥーハンをはじめ、フレディー・スペンサー、ジム・レッドマン、ルイジ・タベリ、ラルフ・ブライアンズなど錚々たるメンバーが参加する。また、名選手の二世では、ネルソン・ピケの息子ネルソン・アンジェロ・ピケ、ロニー・バックナムの息子ジェフ・バックナム、マイク・ヘイルウッドの息子デイビッド・ヘイルウッド、現役の選手では、ジェンソン・バトン、佐藤琢磨、ニッキー・ヘイデンらが参加する。


タイムトライアルへのHondaの参加ライダー・ドライバーのコメント


Motorcycles

<1960年代>
 Hondaの二輪レースへの参戦の歴史は、1954年のマン島TTレースへの参戦意思表明からはじまる。1961年には、参戦3年目にしてマン島TTレースで125cc、250ccとも1位から5位までを独占、完全優勝を果たすと共に、ロードレース世界選手権(WGP)でも両クラスでコンストラクター及びライダータイトルを獲得した。1966年にはWGP50cc、125cc、250cc、350cc、500cc全クラスのコンストラクターズタイトルを世界で初めて獲得した。

ラルフ・ブライアンズ(Ralph Bryans)のコメント
走行マシン:RC116(1966)
「私は1964年に22歳でHondaのチームからWGPに参戦し、1970年に引退するまでずっとHondaのマシンで走っていました。とても幸せな時代でした。当時のHondaは、非常にダイナミックで革新的な会社でしたね。今でもそうだと思いますが、そのような企業の成功に私がわずかながらでも貢献できたことをとても誇りに思っています」

ルイジ・タベリ(Luigi Taveri)のコメント
走行マシン:RC149(1966)
「グッドウッドのようなすばらしいイベントに、RC149と一緒にHondaから参加できることを、とても光栄に思います。RC149は、1966年にコンストラクターとライダーのダブルタイトルを獲得したマシンであり、WGP史上初の5気筒マシンのすばらしいサウンドを、当日は皆さんに是非お聞かせしたいと思います。グッドウッドで皆さんにお会いできるのを楽しみにしていますし、この3日間のモータースポーツの祭典を皆で祝いましょう」

トミー・ロブ(Tommy Robb)のコメント
走行マシン:RC181(1967)
「Hondaワークスのマシンとエンジニアたちと一緒にグッドウッドに参加することを、あらためて嬉しく思います。私たちは皆、Hondaのライダーであることを誇りに思います。かつてのワークスライダーたちが普段なかなか目にすることのできない名車を駆って、ヒルクライムを走る時のあの独特のHondaサウンドを聞いて、観客の皆さんも心躍ることと思います」

<1980年代〜現在>
 1967年のシーズンを最後にWGPを離れた後、1979年にHondaは参戦を再開。1982年より2ストローク500ccマシンNS500を投入し、復帰後初優勝を達成。1985年には250ccと500cc両クラスのコンストラクター及びライダータイトルを獲得した。そして2001年第1戦日本GPにおいて、単一メーカーとして初めての500勝を達成している。

フレディー・スペンサー(Freddie Spencer)のコメント
走行マシン:NSR500(1985)
「グッドウッドで、私がかつて乗っていたNSR500に再び乗ることを楽しみにしています。すばらしい思い出がいくつもよみがえってくることでしょう。1985年は、250ccと500ccの2クラスで世界タイトルを狙っていました。ですからその年は特別であり、また非常に厳しい年でした。Honda、HRC、チーム、スポンサーの皆のすばらしい働きがなければ、あの偉業を達成することはできなかったと思います。グッドウッドで、Hondaのグランプリ参戦の歴史を皆さんと一緒にお祝いできることをとても光栄に思います。このイベントの特別なところは、Hondaをはじめとするたくさんのモータースポーツファンの前でバイクに乗れることです。私が楽しむのと同様に、皆さんにも是非楽しんでもらいたいと思います」

ミック・ドゥーハン(Mick Doohan)のコメント
走行マシン:NSR500(1995)
「私は2年前にもグッドウッドに参加し、その時はNR(750cc)に乗りましたが、今回は2ストロークのGPマシン、NSR500に乗ります。ですから今回は全く違った走りをお見せできますね。今回は、私が1995年のWGPチャンピオンを獲得した時のマシンに乗ると聞いています。いわゆるビッグバン(近接同爆)エンジンを搭載したバイクです。1995年は全13戦の中で、私は優勝を7回、2位を3回獲得したので、このマシンには特別の思い出があります。あれからもう10年も経つなんて信じられません。時間の過ぎるのは本当に早いですね」

ニッキー・ヘイデン(Nicky Hayden)のコメント
走行マシン:RC211V(2002)
「参加したことのある人からいろいろなことを聞いたりDVDを見たりしましたが、グッドウッドはとても特別なイベントのようですね。今年もMotoGPの日程と重なってしまいましたが、オランダGPは土曜日決勝なので、1日だけ参加します。最新のGPマシンを皆さんにご覧いただくことを楽しみにしています。出場選手リストの中にドゥーハン、スペンサー、アゴスチーニなど、有名な往年のHondaライダーの名前を見つけて、彼らに会えるのもとても楽しみです。タイムトライアルも、本当に楽しみにしています。10万人もの観衆を前にして、RC211Vで道幅のとても狭いコースを走るということで、マシンの音に少し驚かれるかもしれません。でもきっと楽しんでもらえると思いますよ」

Automobiles

<1960年代>
 Hondaの四輪レースへの参戦の歴史は、1964年のF1世界選手権への出場宣言からはじまる。翌1965年にはメキシコGPでの初優勝、1967年にはコンストラクターズ4位という快挙を成し遂げるも、本格的な乗用車メーカーとしての地歩を固めるための活動へ注力するため、1968年のシーズンをもって第1期のF1活動は休止された。

ジェフ・バックナム(Jeff Bucknum)のコメント
走行マシン:RA272(1965)
「今回父のマシンに初めて乗りますが、父との多くの思い出が思い起こされる貴重な体験になることでしょう。多くのことが語り継がれているこの特別なイベントで走るのを、とても楽しみにしています」

<1980年代〜現在>
 Hondaは1983年にF1に再びチャレンジする。この第2期ではエンジンメーカーとして参戦し、1988年にはマクラーレンのシャーシに搭載したV6ターボエンジンで、16戦中15勝という圧勝ぶりを見せた。また、1987年からは鈴鹿サーキットでF1日本GPが開催され、日本でのF1ブームが起こった。6年連続コンストラクターズチャンピオンという輝かしい戦績を残し、第2期F1活動は1992年のシーズンをもって休止した。
2000年より挑戦を始めた第3期はB・A・Rとパートナーシップを組み現在に至る。2004年にはコンストラクターズ2位へ躍進し、エンジン供給とともに、車体の共同開発体制を築く。

ネルソン・アンジェロ・ピケ(Nelson Angelo Piquet)のコメント
走行マシン:Williams Honda FW11(1986)
「父のマシンに乗ることをとても楽しみにしています。今のマシンとどれだけ違うのか、見てみたいですね。でも、当時のマシンの方が、断然難しいでしょうね」

佐藤琢磨(Takuma Sato)のコメント
走行マシン:B・A・R Honda 007(2005)
「グッドウッドに行くのは今年で4度目ですが、毎年この週末をとても楽しんでいます。今年は土曜日にB・A・R Honda 007に乗りますが、とても楽しみです。グッドウッドは雰囲気がとてもよく、たくさんのマシン、選手、ファンが一堂に集うという、他のどの場所でも得られない体験ができますね。ファンの皆さんはすばらしいマシンを間近に見て、触れることができますし、僕にとっても、道幅の狭いコースを走るのはいつもとは趣が異なり、猛スピードで丘を駆け上がるのは大きなチャレンジです。また、今年はHonda F1初勝利40周年ということで、チームにとっても特別な週末になるでしょう」

ジェンソン・バトン(Jenson Button)のコメント
走行マシン:B・A・R Honda 007(2005)
「グッドウッドでは、最高速でマシンを走らせることはありませんが、ホイルスピンなどをして、ファンの皆さんに喜んでもらいたいと思っています。このイベントは、間近でタイムアタックを見たり、パドックの周りを歩いたり、チームの作業をすぐ近くで見ることができる、ファンにとっては特別なイベントだと思います。また、今年はHondaがメインスポンサーとしてサポートするので、より一層期待が膨らみますね。私は、昔のHondaのレーシングマシンを見るのを楽しみにしていて、できれば何台か乗ってみたいです。グッドウッドではモータースポーツに関するありとあらゆるものが登場します。僕たちの世代のF1ドライバーからスターリング・モスのような往年の名ドライバーまで、またマシンも、二輪やドラッグレーサーなどの他のカテゴリーのものまで、たくさん集まります。モータースポーツの歴史のすべてが見られるのは本当にすばらしいことです。ファンにとってもドライバーにとっても、リラックスした週末になるでしょうから、天気がよければ言うことはありません」

ジル・ド・フェラン(Gil de Ferran)のコメント
走行マシン:NSX-R GT(2004)
「グッドウッドに参加するのは2度目ですが、とても楽しみにしています。このイベントが始まった時からずっと行きたいと思っていたのですが、いつも自分のレースと重なってしまっていました。去年初めて参加しましたが、とてもすばらしいものでした。私の子供の頃の憧れの車に乗れただけでなく、ファンやマシンや仲間のドライバーたちと一緒にすばらしい時間を過ごしました。ですから、またHondaの仲間たちと一緒にグッドウッドに参加するのが待ちきれない思いです」


< コメントを寄せた参加ライダー/ドライバーのプロフィール>

ラルフ・ブライアンズ(Ralph Bryans)
1942年3月7日、北アイルランド生まれ。
1959年にデビュー、1963年にはアイルランド選手権の350cc、500ccクラスで優勝。1964年よりHondaと契約して世界選手権50ccと125ccクラスに参戦し、翌1965年にはRC115を駆って50ccクラスのワールドチャンピオンを獲得。125ccクラスの方でも、1964年5位、1965年8位、1966年3位と健闘し、小排気量クラスのスペシャリストとしての名声を得た。

ルイジ・タベリ(Luigi Taveri)
1929年9月19日、スイス生まれ。
13年に及ぶレースキャリアの中で世界選手権50ccクラスから500ccクラスまでの全クラスに出場を果たし、サイドカークラスにもパッセンジャーとして出場。1961年Hondaに移籍、1962年、1964年、1966年に125ccクラスのワールドチャンピオンとなった。

トミー・ロブ(Tommy Robb)
北アイルランド生まれ。
1958年からマン島TTレースに出場、1962年よりHondaに加入し、125ccで2位。1970年、71年に世界選手権500ccクラスで3度の3位入賞を果たした。

フレディー・スペンサー(Freddie Spencer)
1961年12月20日、アメリカ生まれ。
4歳の時からレースを始め、1981年からHondaと契約し、アメリカ国内でスーパーバイク選手権に出場。1982年に世界選手権500ccクラスにフル参戦を開始し2勝を挙げ、ランキング3位。翌1983年には21歳で500ccクラスのワールドチャンピオンを獲得。1985年には500ccと250ccの2クラスでダブルタイトルを獲得した。1988年に一度レースから引退を表明するが、その後復帰を果たした。鈴鹿8耐にも3回出場しており、1992年には4位に入っている。

ミック・ドゥーハン(Mick Doohan)
1965年6月4日、オーストラリア生まれ。
1989年からHondaと契約し、世界選手権500ccクラスに参戦した。1992年、シーズン開幕から7戦を経た段階で5勝を挙げ、チャンピオン争いに大手をかけていたが大怪我を負い、惜しくもランキング2位に終った。1994年からは圧倒的強さを誇り、5年連続で500ccクラスワールドチャンピオンを獲得した。世界選手権通算優勝回数54勝という記録は、ジャコモ・アゴスチーニに続く歴代2位で、GP史上に燦然と輝くものである。また、鈴鹿8耐には2度出場し、1991年にはワイン・ガードナーと組んで優勝している。

ニッキー・ヘイデン(Nicky Hayden)
1981年7月30日、アメリカ生まれ。
レース一家に生まれ、幼少の頃から数々のレースに参戦。2002年にAMAスーパーバイククラスチャンピオンを獲得した。2003年からロードレース世界選手権MotoGPクラスへの挑戦を開始し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。2004年は第7戦リオGP、第8戦ドイツGPで3位表彰台を獲得する活躍を見せ、ランキング8位を獲得した。

ジェフ・バックナム(Jeff Bucknum)
1966年12月7日、アメリカ生まれ。
1994年のスキップ・バーバー・チャンピオンシップのランキング2位の成績。2001年にはデイトナ24時間(SR−II)に出走、アメリカン・ルマン・シリーズに参戦しシリーズ3位。2003年にはル・マン24時間にもTeam Bucknum Racing(LM−P675)で参戦している。父親はHonda初のF1ドライバー、ロニー・バックナム。2005年は、ル・マン24時間、デイトナ24時間、インディアナポリス500マイル・レース、アメリカン・ルマン・シリーズ(ワールドクラスプロトタイプ)に参戦を予定している。

ネルソン・アンジェロ・ピケ(Nelson Angelo Piquet)
1985年7月25日、ブラジル生まれ。
1981年、1983年、1987年のF1ワールドチャンピオンで、23勝中7勝をHondaで挙げたネルソン・ピケの息子。1993年にキャリアを開始し、2001年より南アメリカF3に参戦。2003年には史上最年少の19歳2ヶ月で、イギリスF3でシリーズ・チャンピオンを獲得した。2004年にはウィリアムズBMW、2005年2月にはB・A・R Hondaのテストに参加した経験を持つ。

佐藤琢磨(Takuma Sato)
1977年1月28日、東京都生まれ。
鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラを経て2000年よりイギリスF3に参戦。2001年には日本人初のシリーズ・チャンピオンを獲得した。2002年にJordan HondaよりF1デビュー、2003年からB・A・R Hondaへ加入、サードドライバーを経て、2004からレギュラードライバーとしてシリーズにフル参戦した。第9戦アメリカGPでは日本人として14年ぶりとなる3位表彰台を獲得。シーズン9度の入賞を果たし、チームのコンストラクターズ選手権2位獲得に貢献した。2005年も引き続き参戦する。

ジェンソン・バトン(Jenson Button)
1980年1月19日、イギリス生まれ。
1998年にイギリス・フォーミュラ・フォードでチャンピオンを獲得し、翌年にはイギリスF3にキャリアアップ、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝くなど順調にレースキャリアを積み、翌2000年にウィリアムズよりF1デビューを飾る。2003年よりB・A・R Hondaに加入。2004年は4度の2位を含むシーズン10度の表彰台登壇を果たし、ドライバーズランキング3位。2005年も引き続き参戦する。

ジル・ド・フェラン(Gil de Ferran)
1967年11月11日、ブラジル生まれ。
1992年イギリスF3チャンピオンを獲得し、1995年からCARTに参戦、その年のうちに一勝をあげ、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。2000年よりマールボロ・チーム・ペンスキーに加わり、2000年と2001年にCART史上5人目となる2年連続ドライバーズチャンピオンを獲得した。2005年よりB・A・R Hondaのスポーティングディレクターを務めている。

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