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パイオニア・中嶋悟のラストマシン

1991/Tyrrell Honda 020(ティレル・ホンダ020[4輪/レーサー])

先鋭ハイノーズ+最強ホンダしかし期待通りの活躍とはならず

Text/Toshiyuki Endo  Photos/Hidenobu Tanaka, SAN'S

1991/Tyrrell Honda 020(ティレル・ホンダ020[4輪/レーサー])

1991年F1世界選手権出場車 No.3 中嶋悟

前年、F1界に新鮮な空気を持ち込んだハイノーズの始祖・ティレル019とプロポーションはよく似る。019はモナコGPで2位に入るなど成功したマシンであり、モノコックより前の部分はほぼ不変にも見える。モノコック以後は搭載エンジンがV8からV10に変わったこともあり、やや厚みが増している。

前年、F1界に新鮮な空気を持ち込んだハイノーズの始祖・ティレル019とプロポーションはよく似る。019はモナコGPで2位に入るなど成功したマシンであり、モノコックより前の部分はほぼ不変にも見える。モノコック以後は搭載エンジンがV8からV10に変わったこともあり、やや厚みが増している。

1991年型ティレル020・Hondaのことを語るには、このマシンの誕生に至るまでの周辺の流れを確認する必要がある。
日本人初のF1レギュラードライバーとなった中嶋悟は、デビューの87年から3シーズンをロータスで過ごし、90年に向けてティレルへ移籍した。この年のティレルのエンジンはフォード・コスワースDFR。89年からの全車3.5リッター自然吸気エンジン時代におけるスタンダードなV型8気筒ユニットである。パワフルとは言い難いカスタマーエンジンで、90年のティレルは善戦した。ジャン・アレジが2度の2位を得るなど快走、中嶋もシーズン3回の6位入賞を果たす(当時の入賞は6位以内)。第3戦から実戦投入されたティレル019は、先代018の素直な特性を継承しつつ、ハイノーズ化されたことで戦闘力を増した。床下に大きな気流を導いて良質なダウンフォースを得ることを主眼とするハイノーズ思想は現在にも続くもので、019が始祖と言われている。
その019の後継機が、この91年型ティレル020だ。搭載エンジンはHonda製V10(RA101E)。Hondaは89、90年とマクラーレンにV10エンジンを供給し両年ともドライバー、コンストラクターの2度のタイトルを獲得していた。91年、マクラーレンへの供給エンジンは予定通りV12へと移行、そしてこれまた予定通り、中嶋のいるティレルにはチャンピオンエンジンのV10が供給されることとなったのである。

「俺より先に(表彰台に)行っちゃったな。でも、来年は俺の方がチャンスあると思うから」
90年の日本GP(鈴鹿)で、鈴木亜久里(ローラ・ランボルギーニ)が日本人初となるF1での3位表彰台を獲得した際、6位の中嶋はTVマイクに対してこう語っていた。後輩の快挙を祝福しつつも、自分が先にそれを達成できなかった悔しさと、ティレル・Hondaで戦える91年への彼自身の期待の大きさを感じさせるコメント内容。そして、多くの日本人ファンが中嶋と同じ思いを抱いていた。アレジと中嶋があれだけの活躍を演じた019の後継機とHonda製V10の組み合わせなら、中嶋初表彰台は絶対に実現する。そう信じていた。しかし──。

レブカウンターはデジタルバーグラフ化され、各種警告灯とセットでステアリング上部に配される。しかしまだまだマニュアルトランスミッションが主流の時代であり、スイッチひとつ付いていないステアリングと合わせ、やはり相当にシンプルなコクピットだ。ティレルは2年後の93年までこの020系を継続使用した。

レブカウンターはデジタルバーグラフ化され、各種警告灯とセットでステアリング上部に配される。しかしまだまだマニュアルトランスミッションが主流の時代であり、スイッチひとつ付いていないステアリングと合わせ、やはり相当にシンプルなコクピットだ。ティレルは2年後の93年までこの020系を継続使用した。

ティレル020は、決して大不振だったわけではない。コンストラクターズランキングで見ても、前年の5位(16点)に対し6位(12点)と、大きく落ち込んではいない。それ相応の活躍をしたといってもいいのだが、いかんせん期待が大きすぎた。それに見合うだけの成績は、得られなかったのだ。
素性がいいはずのマシンに、Honda製V10搭載。なぜ、期待されたほどの戦闘力が得られなかったのかといえば、その最大要因は重量バランスの変化だった。もちろんHonda製V10はコンパクトさと軽さも可能な限り追求して設計されてはいたが、それでもV8に比べれば大きくて重い。そのことが、019の設計思想を継いで生まれてきた020にはアキレス腱となったのである。前年に019が見せたような俊敏性、軽快な動きは影を潜めた。確実にパワーアップはしたが、引き換えに生来の良さが失われ気味になってしまったのだ。
ここで疑問となるのは、ティレルの技術陣がそれを察知していなかったのか、という点である。91年のティレルには、019でハイノーズを実現したテクニカルディレクターのハーベイ・ポスルスウエイトや空力専門家ジャン・クロード・ミジョーが離脱していくという背景もあり、誰がどこまで020の開発・熟成に携われたかは判然としない面もある。だが、少なくともジョージ・ライトンのような名のある人物は残っていたわけで、在籍時期の問題はともかく、彼らなら気付いていたはずだが……。
後年の中嶋の言葉を借りよう。
「残念ながら当時のティレルには、エンジンがV8からV10に変わるからといって、なにからなにまで作り直す資金的余裕はなかった」
これがすべてのように思える。90年のティレルはメインスポンサーなしで戦っており、翌年型020をパーフェクトなV10仕様として仕立て直すだけの財政力がなかったのである。日本系のスポンサーが良く支えてはいたが、メイン抜きでは厳しかった。91年にはメインスポンサー(BRAUN)が付くが、020の開発には間に合わなかった、ということだろう。そしておそらく、チームの技術陣は分かっていた。Honda製V10ありとはいえ、91年シーズンが決して楽観できるものではないことを。ベースの019がいくら優秀でも、020は“前年改修車”に過ぎず、Honda製V10専用設計車ではないのだから──。
フェラーリ入りしたアレジに代わって加入しカーナンバー4を付けたステファノ・モデナも、期待感は大きかったはずだ。彼はアレジの後釜に決まった際、自身が去ることにしたブラバムと、そのブラバムに91はV12エンジンを供給することが決まっていたヤマハに対し「彼らには申し訳ないけど、Honda製エンジンで走れる機会を逃すわけにはいかないんだ」と語っていた。それくらい、当時のHonda製エンジンはF1界で最強最高の称号を確立していたのである。しかし、ティレルにはそれを活かしきるだけの財政力が備わっていなかった。

 

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Tyrrell Honda 020

1991/Tyrrell Honda 020[4輪/レーサー]

1991/Tyrrell Honda 020(ティレル・ホンダ020[4輪/レーサー])

SPEC

シャシー

型番 Tyrrell Honda 020
デザイナー ジョージ・ライトン
車体構造 カーボンファイバーモノコック
全長×全幅×全高 未発表
ホイールベース 2940mm
トレッド(前/後) 1800/1670mm
サスペンション(前/後) プッシュロッド+モノショック/プッシュロッド
タイヤ(前/後) ピレリ
燃料タンク 未発表
トランスミッション ティレル製横置き6MT
車体重量 未発表

エンジン

型式 RA101E
形式 水冷72度V10 DOHC
排気量 3498cc
ボア×ストローク
圧縮比
最高出力
燃料供給方式 Honda PGM/FI
スロットル形式

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