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無敵の存在

1988/McLaren Honda MP4/4(マクラーレン・ホンダ MP4/4[4輪/レーサー])

1988年、16戦で15勝を挙げ「無敵」の強さを誇ったマシンターボ時代を象徴するかのような、低いフォルムが輝きを放つ

Text/Tetsuo Tsugawa  Photos/Koji Miura

1988/McLaren Honda MP4/4(マクラーレン・ホンダ MP4/4[4輪/レーサー])

第12戦イタリアGP出場車 No.12 アイルトン・セナ

ロールバーにはブラジル国旗とセナの名が描かれる。

ロールバーにはブラジル国旗とセナの名が描かれる。

1988年は異常なリザルトを生んだ年であった。マクラーレン・ホンダ MP4/4が稀代の名ドライバー、アラン・プロストとアイルトン・セナのふたりの手で実に16戦中15勝を挙げるという快挙を成し遂げ、この年のF1を席巻したのだ。これはふたりのドライバー、エンジン、シャシーの出来……などその理由は多々あるのだが、現実的にはHondaのV6ターボエンジン「RA168E」の性能に負うところが大きかったと言える。

88年はターボF1時代がついに終わりを告げる年でもあった。翌年からは3.5リッターNAエンジンへと変更されることが決まっていたからだ。77年に登場した1.5リッターターボエンジンは80年代末にその頂点に達し、1400馬力を超える恐るべきパワーを発生させていた。86年には予選時のターボブーストが無限大にセットされ、ブースト圧は実に7バール超まで達するほどになっていたのだ。この強烈なエンジンは予選のわずか1回のアタックラップでブローしてしまうほどであった。またこの強烈なパワーを路面に伝えるため、マシンは異常な性格を持たねばならなかった。この際限ないパワーウォーズはF1マシンをモンスター化させ、少々危険とも言えるような状況を生み出してしまっていた。

RA168Eエンジンは厳しい規制を受けながらもライバルを圧倒した。

RA168Eエンジンは厳しい規制を受けながらもライバルを圧倒した。

これを危惧したFIA(国際自動車連盟)は87年にブースト圧を4バールに制限。そして89年からの3.5リッターNA化を発表。つまりターボエンジンの命は88年までと宣言されてしまったのだ。ターボ最終年となった88年はさらにターボエンジンに厳しく、ブースト圧は2.5バール、それまで195リットルだった燃料制限も150リットルにまで引き下げられたのだ。ターボは空気を無理矢理圧縮して燃焼させるため、パワーは上がるものの消費燃料も多い。45リットルもの削減はターボエンジンに引導を渡したのと同じことだった。しかしHondaはこれを逆手に取り、研究開発の進んでいた低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使し、不可能と言われたターボ締め出しレギュレーションを味方に引き入れ、競走相手のいないスーパーエンジンで他を圧倒したのだ。

 

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McLaren Honda MP4/4

1988/McLaren Honda MP4/4(マクラーレン・ホンダ MP4/4[4輪/レーサー])

1988/McLaren Honda MP4/4(マクラーレン・ホンダ MP4/4[4輪/レーサー])

SPEC

シャシー

型番 McLaren Honda MP4/4
デザイナー スティーブ・ニコルズ
トランスミッション マクラーレン製6速
ホイールベース 2875mm
トレッド(前/後) 1824mm/1670mm
サスペンション
(前/後)
ダブルウイッシュボーン+プルロッド/ダブルウイッシュボーン+プッシュロッド
ダンパー ショーワ製
タイヤ(前) 11.75インチ(ホイールリム)
13インチ
タイヤ(後) 16.3インチ(ホイールリム)
13インチ
車体重量 540kg

エンジン

型式 Honda RA168E
排気量 1494cc
形式 80度V型6気筒+ツインターボ
最高出力 685馬力
最高回転数 12300rpm
燃料供給方式 PGM-FI 2インジェクター
スロットル形式 2連バタフライ式スロットルバルブ
点火方式 CDI
重量 146kg

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