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栄光を予感させる終盤の3連勝

1985/Williams Honda FW10(ウィリアムズ・ホンダ FW10[4輪/レーサー])

カーボンモノコック採用新シャシーと新設計エンジンが高い戦闘力を発揮

Text/Toshiyuki Endo  Photos/Hidenobu Tanaka, Honda, SAN'S

1985/Williams Honda FW10(ウィリアムズ・ホンダ FW10[4輪/レーサー])

1985年F1世界選手権出場車 No.5 ナイジェル・マンセル

堅実硬派のウィリアムズも、このFW10でついにカーボンモノコックを初採用。まだまだ腰高な印象がある。サウジ航空のグリーンが消え、日本のキヤノンがタイトルスポンサーとなってカラーリングも大幅変更。これ以後93年まで、この時代のウィリアムズを代表するカラーリングスキームだ。

堅実硬派のウィリアムズも、このFW10でついにカーボンモノコックを初採用。まだまだ腰高な印象がある。サウジ航空のグリーンが消え、日本のキヤノンがタイトルスポンサーとなってカラーリングも大幅変更。これ以後93年まで、この時代のウィリアムズを代表するカラーリングスキームだ。

Honda F1の第2期活動が実戦参戦段階を迎えたのは1983年シーズン途中のことであった。1500ccターボエンジンでのチャレンジは新興スピリットチームとの共闘に始まり、同年最終戦からは強豪ウィリアムズチームとのジョイント参戦に移行、翌84年のダラスGPでHondaは復帰後初勝利を飾る。このFW10は、さらにその翌年、ウィリアムズ・ホンダとしてのフル参戦2年目となった85年シーズンのマシンである。

ウィリアムズは70年代にF1コンストラクターとしての本格的な活動を開始した、当時まだ若いチームながら、名車FW07系での活躍によって既に強豪としての地位を確立していた英国チームだ。マシン冠号のFWはチームを指揮するフランク・ウィリアムズのイニシャルで、マシン開発部門は盟友のパトリック・ヘッドが統べる体制である。80年にドライバーズ&コンストラクターズタイトルを初獲得し、81年にはコンストラクターズ連覇、82年には再度のドライバーズタイトル獲得を果たすなど、続けざまに成功をおさめていた(80年王者はアラン・ジョーンズ、82年王者はケケ・ロズベルグ=ニコの父)。

ただ、3000cc自然吸気のコスワースDFVエンジンを搭載し続けていたため、F1界全体が1500ccターボ化の波に包まれるようになってくるとウィリアムズは苦戦に陥った。ロズベルグ王座獲得の82年も実は勝利数わずかに「1」で、83年は初タイトル以降で初の無冠(1勝)と、いよいよ苦戦の度合いが強まってくる。ウィリアムズにとっては「強力なワークスターボエンジン獲得が急務」であり、そこに「実績ある強豪チームをエンジン供給先にしたい」と願うHondaの登場がうまくシンクロし、のちにF1界を席巻する強力タッグが結成されたのだ。

大柄な体躯のロズベルグとマンセルに対応したか、広い開口部をもつモノコック。ステアリングはパーソナル製で、ロズベルグはブルースウェードのものも使っていた。タコメーターは1万2000回転まで刻まれている。

大柄な体躯のロズベルグとマンセルに対応したか、広い開口部をもつモノコック。ステアリングはパーソナル製で、ロズベルグはブルースウェードのものも使っていた。タコメーターは1万2000回転まで刻まれている。

とはいえ、ウィリアムズ・ホンダの戦いは最初から順風満帆だったわけではない。フル参戦初年度の84年は、1勝したとはいえ苦戦続き。これはウィリアムズのシャシーとHondaのエンジン、双方が課題を抱えていたからだが、まずシャシーに関していえば、83年最終戦から84年シーズンを戦った“最初のウィリアムズ・ホンダ”であるFW09はアルミハニカム製モノコックだったことも含め、Honda V6ターボの強大なパワーを受けて走るには脆弱な面を否定できなかった。V8自然吸気エンジン搭載を前提とした設計思想の前モデルFW08系とモノコックの基本は同じともいわれるFW09だが、いずれにしても同車が「完全なるHonda仕様のウィリアムズではなかった」ことは事実であった。

ウィリアムズはFW10で、チームにとって初のカーボンコンポジット製モノコックを採用する。軽量で高剛性なカーボンモノコックはターボ化同様に時代のトレンドとなっていく新技術。必ずしもターボパワー対策だけが採用目的ではないが、チーム初のカーボンモノコック車FW10が、Honda V6ターボ搭載を前提にして完全開発された最初のウィリアムズだったことは間違いない。

もちろんHondaも85年シーズンに臨むRA165Eの開発にあたっては出力、燃費、信頼性など、あらゆる面でのパフォーマンス向上を狙って技術研鑽を重ねていた。前年の苦闘から多くを学び取った成果を活かし、必要ならば大胆な方針転換も辞さず、という構えでの取り組みだったが、実際に大きな変更を断行してもいる。それはスモールボア&ロングストローク化だ。従来のボア90.0mm×ストローク39.2mmでは燃焼室形状に無理が生じる面があったとされ、その影響で異常燃焼が起き、トラブル発生につながっている、などの分析がなされたからである(原因も対策もそれだけにとどまる一元的なものではないが)。

翌年の大活躍を予感させる、終盤の3連勝を支えたRA165Eエンジン。第5戦からは新設計ボアストローク値を与えられた仕様となりスピードは加速した。

翌年の大活躍を予感させる、終盤の3連勝を支えたRA165Eエンジン。第5戦からは新設計ボアストローク値を与えられた仕様となりスピードは加速した。

ボア82.0mm×ストローク47.3mmの新仕様エンジン実戦投入は85年第5戦カナダGPで実現する。これはHondaが第2期F1参戦前の準備段階としてヨーロッパF2を戦い始めた時以来踏襲されてきたボア90.0mm路線(F2のストロークは52.3mm)からの脱皮を果たしたともいえる技術的前進であり、それが正解であったことはボア79.0mm×ストローク50.8mmとさらにスモールボア&ロングストローク化が進んだ86年以降の王座連取が証明してもいよう。

新仕様エンジン投入2戦目の第6戦デトロイトGPでウィリアムズ・ホンダはシーズン初勝利を挙げた。勝ったのは前年ダラス同様にロズベルグだが、ジャック・ラフィットに代わって新加入したナイジェル・マンセル(ロータスより移籍)もこの年の序盤から速さを見せており、FW10は開幕から第6戦までの予選において、6戦中5戦でどちらかが3位以内に食い込むスピードを披露していた。そして優勝直後の第7戦フランスGPではロズベルグがHondaにとって第2期初となるポールポジションを獲得、さらには第8戦イギリスGPでロズベルグが連続ポール達成と、FW10は速さを増していく。第13戦ベルギーGPではマンセル2位、ロズベルグ4位と、ダブル表彰台目前の決勝リザルトも残した。

85年シーズンは前年同様にマクラーレン・TAGポルシェが強かったものの、彼らが使用していたミシュランタイヤの撤退もあり、12勝した84年に比べれば圧勝ぶりに陰りが見える状況で推移していった(最終的にマクラーレンは6勝。85年のマクラーレンはウィリアムズ等と同じグッドイヤータイヤを使用した。他にはピレリタイヤでの参戦チームも)。シーズン前半はフェラーリがマクラーレンに対抗していたが、彼らは次第に失速し、終盤戦になるとウィリアムズ・ホンダが「次のF1界の盟主は自分たちだ」と宣言するかのような活躍を演じることになる。

 

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Williams Honda FW10

1985/Williams Honda FW10[4輪/レーサー]

1985/Williams Honda FW10[4輪/レーサー]

SPEC

シャシー

型番 Williams Honda FW10
デザイナー パトリック・ヘッド
車体構造 カーボンファイバーモノコック
全長×全幅×全高 未発表
ホイールベース 2794mm
トレッド(前/後) 1803/1626mm
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン+インボードスプリングダンパー
サスペンション(後) ロワーウィッシュボーン+インボードスプリングダンパー
タイヤ(前/後) 12-13/16.3-13インチ
燃料タンク 220リットル
トランスミッション ウィリアムズ/ヒューランド製6MT
車体重量 540kg

エンジン

型式 RA165E(第5戦カナダGP以後)
形式 水冷80度V6 DOHC24バルブ+ツインターボ
排気量 1498cc
ボア×ストローク 82.0mm×47.3mm
圧縮比 未発表
最高出力 800ps以上/11200rpm
燃料供給方式 PGM-FI
過給機 IHI製ターボチャージャー×2基

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