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小さなボディに秘めた先鋭技術

1968/Honda S800 Racing(ホンダ・S800・レーシング[4輪/レーサー])

Honda=レースのイメージを体現し国内GTレースを席巻した小さな侍

Text/Akihiko Ouchi  Photos/Hidenobu Tanaka, SAN'S

1968/Honda S800 Racing(ホンダ・S800・レーシング[4輪/レーサー])

1968年鈴鹿12時間自動車レース出場車 No.25 永松邦臣/木倉義文

たった3.3m強の全長と、1.4mしかない全幅がもたらす驚異的なコンパクトさ。車重はわずか660kgに抑えられ、高い運動性能の礎となった。ハードトップに「RSC」のロゴが描かれている。

たった3.3m強の全長と、1.4mしかない全幅がもたらす驚異的なコンパクトさ。車重はわずか660kgに抑えられ、高い運動性能の礎となった。ハードトップに「RSC」のロゴが描かれている。

2輪車の世界で確固たる地位を築いていたHondaが4輪自動車市場への参入を決めたのは1960年代のこと。本格参入にあたってはスポーツカーからと決め、技術力研鑽のためレースへの参入も決定。その際に選んだカテゴリーがいきなり最高峰のF1だったという、量産車メーカーとしてはあまりに特異な経緯を持つメーカーがHondaだった。

これはモーターサイクル界で短期間のうちに世界の頂点を極めたHondaらしい技術優先指向のスタンスと言えたが、この時企画されたモデルが2シータースポーツカーの「S360」だった。実際には試作車およびショーモデルにとどまり市販はされなかったS360だが、これに搭載されたエンジンは軽トラック「T360(1963年8月発売)」に転用され、“4気筒DOHCエンジンを積む超高性能軽トラ”として世の中の度肝を抜くことになった。そしてこれはHondaが4輪車市場へデビューを果たした瞬間だった。

Hondaはいよいよ4輪車メーカーとして小型乗用車市場に足を踏み入れる。先頭打者に選んだのが、S360の発展型である「S500(1963年10月発売)」だ。しかし同車はわずか3カ月で「S600(1964年1月発売)」にバトンを引き継ぐかたちとなり、実質的な4輪車市場参入モデルとしてHondaの看板を背負ったのはS600だった。

このS600、発売直後の4月には早くもレースデビューを飾っている。開業2年目の鈴鹿サーキットで開かれた第2回日本グランプリのGT-Tクラス(1000cc以下)に参戦し、マーコスGT、アバルト、日野コンテッサといった実績あるライバル車両をことごとく退ける快走ぶりを披露。のちに第一期F1活動の主戦ドライバーとなるロニー・バックナムが優勝、2位北野元、3位島崎貞夫(ともにHonda ワークスライダー)と表彰台を独占する高性能ぶりを発揮したのだった。S600は66年からツーリングカーの公認を取得してカテゴリーを移行し、5月の第3回日本グランプリ(開業直後の富士スピードウェイ)では1300cc以下のT-Tクラスで優勝(見崎清志)。相変わらず強いところを見せていた。

そうして1966年1月、S600の後継モデルとして「S800」、通称“エスハチ”が登場した。エスハチのデビュー戦は3月20日の全日本スポーツカー選手権(船橋サーキット)。まだ公認が取れず賞典外での参加だったが、ロータス・エランやジャガーXKE、ポルシェ911などに混じって総合10位(鮒子田寛)で完走。早くもポテンシャルの高さを示していたが、翌4月の鈴鹿300kmレースでは正式にGTクラスでの参戦となり、木倉が並み居る格上クラスの日産フェアレディやシルビアを相手に総合3位(クラス優勝)で表彰台に立つ大健闘。その後木倉はRSC(レーシング・サービス・センター、のちのHRC)のエース格としてHonda車を駆り、獅子奮迅の活躍を見せることになる。

50年前の「GTマシン」のコクピット。シンプル極まりないダッシュボードと大きなステアリングに目が行くが、8500回転から1万1000回転までに設けられたレッドゾーンに恐れ入る。

50年前の「GTマシン」のコクピット。シンプル極まりないダッシュボードと大きなステアリングに目が行くが、8500回転から1万1000回転までに設けられたレッドゾーンに恐れ入る。

エスハチがデビューした当時のGTクラスはやっと国産車が台頭してきた時期で、1300cc以下のGT-Tクラスはトヨタ・スポーツ800(こちらはエスハチに比して“ヨタハチ”と呼ばれた)、1301cc以上のGT-Uクラスはフェアレディ1600が中心勢力となりつつあった頃である。エスハチはこうした状況のGT-Tクラスに名乗りを挙げたが、やはり直接のライバルと目されたのはヨタハチであった。どちらも小型のライトウェイトスポーツカーとして、今なお高人気を誇る「永遠のライバル」だ。当時のヨタハチはトヨタワークスが力を注ぐレース車両の1台たっただけに、相応に高いレベルで仕上げられていた。興味深いのは、この2台が好対照な構造を持っていたことだ。水冷直列4気筒DOHC vs 空冷水平対向OHV2気筒というエンジンメカニズムの極端な違いはその代表例で、「剛」対「柔」という言葉にも置き換えられるこの対決は、Hondaとトヨタの企業色の違いを象徴するものでもあった。両車の対決は、当初はデビュー時期の早かったヨタハチがリードする形勢だったが、ベースポテンシャルの高いエスハチの開発が進むと立場は逆転。エスハチは1年ほどの期間でGT-Tクラスの主導権を握るまでに進化を遂げていた。

1967年シリーズが幕を開けると、次第にエスハチの優位性が明らかになっていく。1月と3月に行なわれた船橋サーキットでの2レースでエスハチはクラス上位を独占。スプリントレースでエスハチが示すスピードの優位性は歴然としたもので、多くのプライベートユーザーがエスハチを選ぶようになっていた。圧巻だったのは5月3日の第4回日本グランプリで、GT-Tクラスの車両はすべてエスハチだった。もはや「エスハチのライバルはエスハチ」といった状態で、やはりGT-Uクラスを寡占化していたフェアレディ2000とともに、その後何年かのGTカークラスを牽引していくことになる。

S360に始まる一連のHonda「S」シリーズの特長は、何といってもHondaらしい精緻なメカニズムを持つDOHCエンジンに尽きた。「まるで精密機器のような」という形容は、すでにHonda製エンジンを表現する場合の常套句となって久しいが、そのメカニズムを介在して生み出されるレーシングパワーは、他車の追従をまったく許さぬレベルにあった。市販状態でも70ps/8000rpmという図抜けたパワースペックは、最終的なレース仕様では100ps/10000rpmを超すレベルにまで達していた。

 

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Honda S800 Racing

1968/Honda S800 Racing[4輪/レーサー]

Honda S800 Racing[4輪/レーサー]

SPEC

シャシー

型番 S800
全長×全幅 3335×1400mm
ホイールベース 2000mm
トレッド(前/後) ───/───mm
サスペンション(前/後) ダブルウィッシュボーン/トレーリングアーム
駆動方式 後輪駆動
タイヤ(前後とも) ───
トランスミッション ───
車体重量 660kg

エンジン

型式 AS800E
形式 水冷直列4気筒DOHC2バルブ
排気量 872.8cc
ボア×ストローク ───
最高出力 100ps以上/10500rpm
燃料供給方式 ───
過給機 なし(自然吸気)

その他