team HRC現場レポート

Vol.09

いつもと違う戦略
発見した新しい武器

全日本ロードレースも、早くも後半戦の2レース目。天候に翻弄されてしまったが、オートポリス大会で、高橋はCBR1000RRWの新しい可能性を見つけたようです。

高橋巧

天候に翻弄された、監督思い出のサーキット

それは「いつもと違う」風景だった。
全日本ロードレース第7戦・オートポリス大会。JSB1000クラス決勝レースのスタートで、ロケットスタートの名手・高橋巧が、出遅れてしまったのだ。

高橋巧(以下、高橋)「クラッチミート、ローギアの加速とも決して悪くなかったのですが、今回は1コーナーで前をふさがれるような形になってしまい、行き場を失ってアクセルを戻したら、思った以上にポジションを落としてしまいました。一時8番手くらいになってしまったので、集団にのまれる前に、何台か抜いて5~6番手で序盤を消化していました。スタート直後に無理をしてレースをだめにするようなリスクは負いたくなかったので、冷静に行けました」

オートポリスサーキットでの、今年2回目となる開催。前回2&4レースが行なわれた5月の大会と同じく、今回もまた、阿蘇地方の気まぐれな天候に悩まされてしまった。

金曜の合同走行こそ午前はドライコンディション、午後にはウエットコンディションで走行できたものの、公式予選と決勝レース1が行われる予定だった土曜日は、天候が悪化してしまい、強い雨が降ったり、時にはコースに霧が立ち込めてしまい、視界不良で走行ができないセッションも出てきてしまう。

結果、JSB1000クラスはこの日の走行がすべてキャンセルとなり、土曜の公式予選と決勝レース1が中止。日曜朝にスケジューリングされていたフリー走行を公式予選に充て、日曜の決勝レース2だけが開催されることになった。

宇川徹(以下、宇川)「天気に関することだからしょうがないです。でも、もてぎ大会明けにあった事前テストも、九州地方とオートポリスの施設停電で1日キャンセルになって満足に走れず、今回はちょっと準備不足で決勝レースになります。ライバルチームも同じ条件ですが、もう少し走り込んでおきたかった」

宇川と言えば、現役時代、ここ九州でプロライダーのキャリアをスタートさせている。オートポリスサーキットは1990年オープン、宇川のロードレースデビューは1989年。ここオートポリスは、全日本選手権が開催される前から走り込んでいた、いわば思い出のサーキットだ。鈴鹿4時間耐久ロードレースを制したのが1990年、全日本GP250クラスの国内A級チャンピオンを獲得したのが1991年。まだ20歳前の宇川青年が、青春を過ごした場所である。

宇川「そんなセンチメンタルな感情はないですけどね、HRCの監督をさせていただいて、ひさしぶりにオートポリスのレースに来ると、『やっぱりいいな』と思いますね。天気に悩まされるのは昔からですから(笑) でも、『巧ならやってくれるかな』って期待はしちゃいますね」

序盤は様子を見る、いつもと違う戦略

事前テストや金曜の合同走行では、コースサイドで高橋の走りを見ながら、ライン取りや走り方のアドバイスも行っていた宇川。

宇川「巧は現役、僕が走っていたのなんて何10年も前の話だし、しかも250ですから、アドバイスになんかなりませんよ。HRCの監督をするようになって『こういう走り方だってあるよ』って何度か巧に伝えているだけです」

しかし、決勝レースが始まって早々、その宇川のアドバイスが高橋の頭をよぎることになる。日曜の朝に行なわれた公式予選で2列目5番グリッドを獲得していた高橋が「いつもの」ホールショットを獲得できなかった時だ。

高橋「これまでは、いつも序盤から前に出て、レースペースをコントロールして、トップ争いの台数を絞るようなレースを心がけていました。混戦になると、何があるかわかりませんから、トップ争いを数台に絞れるように、スタートからペースを上げるんです。でも、今回は1コーナーで前をふさがれてアクセルを戻したことで、(宇川さんから)こういう走り方もあるよ、って言われたことをやってみよう、と」

宇川のアドバイスとは、先行してペースを作っていくより、序盤はライバルをあえて前に行かせてペースを見ながらレースを組み立てる方法もいいかもしれない、ということだった。もてぎ大会明けの事前テストから、走り出し早々に自己ベストタイムをマーク、金曜の合同走行ではいいフィーリングで走れたという高橋も、スタートで前に出られなかったことで、頭を切り替えて新しい走りの戦略にトライしたのだろう。
レース序盤、まずはホールショットを獲得した加賀山就臣(スズキ)、そして渡辺一樹(スズキ)がトップに立ち、レースをリード。この時高橋は6~7台からなるトップグループに位置し、5周目までに渡辺一馬(カワサキ)を、そしてレース中盤に渡辺一樹をかわして3番手に浮上。レースは9周目から野左根航汰(ヤマハ)がリード、その後方の中須賀克行(ヤマハ)の背後につける、前回のもてぎ大会と同じトップグループの顔ぶれだった。

高橋「序盤は冷静に前を見ながら、野左根君が前に出たらそれに遅れず、中須賀さんがペースを上げたらこっちも、という風にペースを見られていました。レースが折り返しを過ぎて、トップが3台に絞られて、僕は余裕を持って走っていたつもりでした。2人との差が詰まって、広がって、の繰り返しでしたね」

ラスト5周あたりに、それまで2番手を走っていた中須賀選手が野左根選手をかわしてトップに浮上。上位2人のペースが上がったことで、ついて行こうとした高橋だったが、思いのほかタイヤを消耗してしまい、思ったほど差を詰めることができなかったのだ。

宇川「今回、今まで履いたことがないタイヤを履いて、その状態での走り込みが足りなかったんです。特に決勝日はカラッと晴れて気温が上がり、路面温度も上がったことで、そこに対応できなかった。巧も常々『路面温度が上がってくるとマシンのフィーリングが変わってしまう』と言っていて、今回もそこを詰め切れませんでしたね」

ラスト5周、トップに立った中須賀選手がペースを上げ、2番手以下との差を広げにかかると、2番手の野左根選手、そして3番手の高橋もついて行くことができず、このままの順でフィニッシュ。またも初優勝はならなかったが、今シーズン4レース連続7度目の表彰台を獲得するレースとなった。

高橋「野左根君が調子がいいのは、事前テストからわかっていましたからね。今回も、中須賀さん、野左根君との勝負になるとは思っていました。2人より3人でのトップ争いをすることで、レベルアップはできていると思います。走行時間がきちんと取れなかった中で、少しいい武器を見つけられたというか、シーズン終盤に使えるものも見つけられたので、今回も負けはしましたが、かわらずやり返す気持ちで残り2戦3レースを戦いたいです」

シーズンは岡山大会、鈴鹿大会と、残り2戦3レース。ここで、高橋と新生Team HRCの巻返しが見られるかもしれない。


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